第38話 カメラの死角
『色即是空』
色、すなわち物質はスペース。
スペース無くして物質は存在できず、物質なくしてスペースは意味がない。
そんな意味だそうです。
まるで不確定性原理のような…。
解説本からの推察です。
あれから、父と麻衣さんは入籍して、陽菜は高橋姓のまま必要な時に変更することになった。
双方とも2回目なので、式、披露宴はしないとの事。
経済的にも相互依存はしないと契約まで交わしたそうだ。
麻衣さんの御父上は、この契約を特に気に入ったとのこと。
父が財産を狙う可能性を考えたのだろう。
9月に入り、蘭は5位から3位に上がったのだが、山里の隣の席になってしまった。
そして5位に上がってきたのが、前田純子、そう、護衛対象の子だ。
俺は、頑張っても1位の斉藤には勝てないし、3位の山里に負けるはずはない。
つまり、普通科と総合学科に分かれる4年生(高等部)までは、ずっとこの席だ。
中高一貫校のこの学園では、高校入試が無いため内申書が無い。
家庭科や音楽で特別な提出物も要求されない。
出ていればOKなので、斉藤と山里と組んでも問題は無い。
だが、蘭は家庭科にも結構ちからを入れている。
珍しいからか、家庭科と英語科の講師からは好かれているようだ。
俺が思うには、国語にもう少しちからを入れて、先取りで勉強した方が良い。
蘭が言う『俺が使う難しい言葉』は、新聞に載っている程度の単語や熟語だからだ。
教務主任からは、外国で育った蘭は、漢字検定に取り組んではどうか、と言われたそうだ。
さすが、教務主任だと思った。
俺と蘭が教務室の面会を終えて教室に戻ると、前田純子が
「わたし、これからトイレに行くから、よろしくね」
「ん?荷物を見ててって、そういう事?」
「そう。また変な奴が私の荷物にいたずらしないようにね」
「しね~よ!」
山里が前を向いたまま、言い捨てた。
『パシン』
「あっ ごめん。蚊が止まってたんだけど、逃げられた!」
蘭が山里の後頭部をはたいていた。
山里は振り向いて、蘭の顔を見上げているが、何も言わない。
この反応は、美人には何も言い返せないって事か?
「ふふふ」
「ふっふっふ」
俺と蘭が同時に笑った。
「勘弁しろよ~有本。おまえみたいな美人は暴力をふるうな」
「なぜ?」
「反撃できないだろ?」
教室にいたクラスメートが笑った。
そして、その反応に山里はうれしそうにしていた。
「なんだ、笑いが欲しかったのか…」
「ちがうわ!」
それにしても、俺は護衛だったはず…ま、いいけど。
漫才みたいな休憩時間が終わり、午後の国語の授業で積極的に蘭は質問をしていた。
なんだか、山里と蘭はうまくやっていけそうな気がした。
女子1位は稲盛 萌。普通科を目指していて斉藤と同じだ。
女子2位は東 美咲。この子も普通科を目指しているようだ。
どうも、このメンバーだと蘭の2位はかなり厳しい。
興味を持ってふたりを観察していると、東からは庶民の匂いがする。
その理由は、食堂を利用しているが、いつもお弁当を持って来ているからだ。
しかもその弁当は、ペラペラの使い捨ての容器のまま。
業務用のフードパックと呼ばれるこの容器は、総菜や弁当を入れて輪ゴムで止めればOKの優れものではあるが、学校にそのまま持ち込む者は少ない。
そしてお茶は、緑茶のペットボトル。
ん?まさか、そんな事は…。
10月になった。
今年も文化祭があったが、壁新聞には俺たちの写真はなかった。
前田理事の縄張りである文化部、生徒会指導は、文化祭の終了までを監督している。
前年の1年生のころは、途中で帰ってしまっていたし、どこの管轄なのかなんて、気にもしていなかった事だ。
今年は護衛任務のため、前田純子の後ろには、俺と蘭、そして少し離れた場所から(勝手に)山里が付いてくる。
前田と一緒に展示物を見ているだけで、特に何もない。
ただ、気をつけないと、無意識に蘭と手をつないでしまう事だ。
手をつなぎそうになった時
「こら!わざと俺に見せつけようとするな!」
と山里から抗議の声がするので、助かっている。
だが少数、手をつないでいるカップルもいた。
前田純子が帰る時が、護衛任務完了の時だ。
中旬になると、中間テストの準備が始まる。
再び蘭の自宅でテスト対策の1週間だ。
そして3日目の水曜日。
今日は稽古と塾のない時間に余裕がある日だ。
それでも集中力はいつもの時間に切れてしまう。
「コーヒーをもらってくるわ」
時刻は6時。
いつもは店でコーヒーを飲んで、家に帰るのだが。
自宅でコーヒーをごちそうになり、トイレを借りた。
トイレを出ると、向かい側の洗面所に蘭がいて、タオルを渡してくれた。
俺も鏡を見ようと、狭い入口で蘭と重なった時、それは起きた。
蘭が俺に抱きついたのだ。
「あきら、私のこと、好き?」
「…もちろん」
俺も返事をしながら、蘭の腰を中途半端に抱えていた。
そして、ゆっくりとキスをした。
2度3度、こうか?これでいいのか?というキスだった。
お互いに顔が赤いので、顔を洗って、わざとらしく居間に戻った。
「さ、さあ、帰ろうかな。」
「そ、そうね。今日もありがと」
荷物を持って、喫茶店の裏口から入り、表の入口まで足元に注意しながら、足早に進む。
「おじゃましました」
チラっと、オーナーを見たが、洗い物をしているようで、下を見ていた。
「あ~ 緊張した~」
あとで気が付いたのだが、あのカメラにはマイクは無い。
カメラの視界からふたりが消えたのも、1分?2分?その程度だ。
大丈夫。
きっと大丈夫。




