第13話 五右衛門風呂
「では、徳永殿、大したもてなしは出来ませんが、今夜は冷凍保存していた天然鮎の塩焼き。この寺の秘密兵器です。どうぞご賞味あれ」
「では、いただきます」
蘭が小声で訴える
「あきら…私たちにはあの魚ないけど…」
「あの魚は大人用。お腹も食べられるけど、子供には苦い場合もあるからね」
「お腹って、内臓も食べるって事?」
「うん。天然の鮎は草食で川底の苔しか食べないから、内臓も臭みが無いし、山菜のような香りがすると言う人もいるよ」
「もちろん焼く前にちゃんとお腹を押して、フンを取り出しているから大丈夫さ」
住職が驚いて
「あきら、お前、いつのまにかそんな事まで勉強してたんだな」
「はは。インターネットのおかげだね。でも俺は、鮭の方が好きだな」
「じゃ、わたしも鮭がいいかな。いただきます」
そもそも貴重な秘密兵器が子供に出されるわけはない。
足がしびれた蘭は、食べ終わっても立てなかった。
「蘭さん、しばらく足を伸ばして、感覚が戻ってから立ちなさい」
「はい。ご住職さま」
手伝いのおばちゃんは徳永さんに日本酒かビールかを聞いていたが、俺は子供2人分のお膳を片付けて、ゲストルームの寝具の準備をしてからキッチンに戻った。
おばちゃんが聞き取った情報によれば、徳永さんはしばらく橿原のホテルに泊まって奈良の観光をするらしい。
橿原は奈良県の平野部の最南端にあって、観光拠点としては南過ぎる。
おそらく、蘭が帰宅する際も付き添いをするためだろうと思われる。
住職は、おばちゃんに感謝を言い、俺にも業務終了の伝達をした。
お言葉に甘えて、部屋に戻り、風呂場に行くと
「あっつ~! なんなの、これ~!」
と蘭の叫び声が浴室の中から聞こえてきた。
「お~~い!蘭!教えるから服を着て~」
『ガラガラ バシャン!』
(引き戸の勢いが強すぎ!)
「いいわよ~」
(早!)
「ちょっと入るよ」
脱衣室に入ると、生意気にもバスタオルを巻いた蘭が立っていた。
靴下を脱いで、ズボンを脱ぎ始めたら
「なんでパンツを脱ぐのよ!」
「ズボンだけだよ!」
「は~? その…ズボンのすそをめくればいいじゃない」
「ん~それでも濡れちゃう可能性大なんだけど…」
「ま~ どうしても脱ぎたいなら、わたしは構わないわよ」
しかたなく、すそを巻き上げ、風呂場に入り
「蘭、こっち来て」
「えっ?」
「見ててほしいんだ」
「何を?」
「ここにある木のふたは、中に沈めて足場にするんだ。熱くないようにね」
お湯があふれて少しズボンが濡れてしまった。
「へえ~」
「これでよし。これ五右衛門風呂っていう、本物の釜だね」
「あ、ありがとう」
「それと、ここにはシャンプーはあるけどリンスは無いよ? 貸してあげようか?」
「あっ、ありがとう。お願いします」
部屋に戻り、リンスを持ってお風呂場に行くと、既に湯舟に浸かっているようだった。
「蘭、戸を開けるよ~」
「OK」
『ガラガラ』
「これリンス。ここに置いておくね。それと引き戸は意外と軽いから気をつけてね。怪我をしないように注意して」
「わかった」
イギリス系の白い肌が、ほんのりと赤くなった姿は、子供であっても美人度UPだな。
「蘭、きれいだ」
「な、ばかやろー!」
危うく、手の水鉄砲に当たる寸前に引き戸を閉めきった。
外の気温はかなり低く、寺の中でも温かくはないから、お風呂は必需品だ。
寝室には石油ガスファンヒーターがあって、問題はないだろう。
大人2人の事が気になって、夕食を出した来客用の和室に行くと、そこには既に姿はなく、ダイニングのテーブル席に座っていた。
「よう!あきら君のその恰好は…」
「蘭に五右衛門風呂の説明をして、ズボンを濡らしてしまいました」
「ついでだから、徳永さんも交えて『悟りを開いた』件の説明を聞こうか」
「あぁ、はい」
蘭の祖父でもある有本英二さんから、本意ではない寺の生活で、読経の技能を得たことを「災い転じて福となす」と言われた事。
そして、座禅の際にこの一言を思い出し、自分のこれまでに得た良い事は、すべて災いに対する事から得られたものであると気づきました。
そこで、これからは『災いを不幸と思わず、福を得るための試練』だと思い、災いに対処して行く事にしました、と報告した。
「なるほどな。ま~それで良いだろう」
住職の言葉に頷く徳永さん。
「人付き合いも、無理にうまくなる必要はないと思うぞ」
「はい。それと蘭をここまで送って頂き、ありがとうございます」
「いや、英二に頭を下げられたなら断ることはできんし、丁度観光旅行にもなって、逆に感謝してるよ。まさかこの冬場に、天然鮎を食べる事ができるとは思わなかったよ。まさに『災い転じて福となす』だな」
「はははは」
「そろそろ蘭さんも出たころだろう。お前も風呂に入って来い」
「はい。ではお先に失礼します」
「おう!」
翌24日土曜日、朝5時に起床。
本堂の拭き掃除の他、寺の準備や朝食を終えて、8時にゲスト2人を起こしに行く。
既に起きていた徳永さんに、お湯の入ったポットを渡す。
徳永さんは10時のバスで橿原へ移動すると言う。
逆算すると9時半には、ここを出ないといけない。
洗面所に行った蘭の悲鳴が聞こえた。
「ひゃ~~」
山の水は、洗面器に手を入れただけで完璧に目が覚める。
「にぎやかな奴だ…あんなので本当にいいのか?」
俺をからかっている徳永さんは、いつもと違って、とても穏やかな感じがする。
山寺の澄んだ空気は、どんな人の心にも平穏を届けるのかも知れない。




