第12話 悟り
小学3年生の時は気が付かなかった事が多くある。
ひとつは水道。
蛇口は同じだけど、このパイプは山に向かって伸びている。
全てではないが、山から湧き水を引いて来ている。
もうひとつはお風呂。
この風呂は薪を燃やして沸かしている。
だから、いつも薪割をしていたんだな。
違うのは俺の腕力。あれほど重たかった手斧が軽い。
運動のため、役場のとなりの学校まで歩いてみたが、近い。
これで50分も掛かっていたのか…。
蘭からLINEが来た。
学校がまだあるというのに、明日、家を出るそうだ。
朝のお勤めが終わり、本堂で座禅を組み、精神統一をする。
調身(姿勢を調える)、調息(呼吸を調える)、調心(心を調える)
どうすれば、何があれば、心が平静で居られるのか…。
脳裏に浮かんで来たのは、喫茶『憩』のオーナーとの会話。
「それにしてもお経が読めるとは思わなかったよ。ありがとう」
「いいえ、両親の離婚協議の間、お寺に1年ほど預けられまして、毎日のお勤めで覚えました」
「災い転じて福となす…か」
そうだ! 俺は、災いと遭遇したから、福を得てきたんだ。
寺に預けられたから、体力や筋力、持久力が得られたし。
雷雨にあったから、逃げ込んだ祠で武士の身のこなしや、筆使いを得たし。
株価の暴落にあったから、資産が大幅に増えたし。
そうだよ!
俺は『災い転じて福となす!』、これで行こう。
考えれば考えるほど、当てはまる。
東京に連れて行かれたからこそ、彼女に会えた。
学校がきらいだったから、その苦しみから逃れるために、勉強を趣味にしてしまおうとした。
上級生に襲われたからこそ、自分の能力が覚醒した。
携帯の画面を、オムレツと映る蘭の笑顔をずっと見ていた。
そしてLINEを打つ。
「オーナーに伝えて」
「吹っ切れました」
「災い転じて福となす」
「これで行きます」
返ってきたのは
「わけがわかんないんだけど」
住職には、明日、蘭が来ることを伝えたのだが
「何時の新幹線に乗るとか、確認したのか?」
「あっ、いいえ」
「確かめた方が良い。そのルートで、その時間で大丈夫かどうか判断ができるからな。万一にも迷ったら、当日中にここへは来れん」
「はい」
「いざとなれば、車で橿原まで迎えに行く事もするが…考慮しておけ」
「分かりました」
だが、返って来たのは「わたしも子供じゃない」「大丈夫」だけだった。
(いや、子供だろう…とは私の立場では言えない)
翌23日のLINEも同様に
「いま家を出た」
「新幹線にのった~ はじめて」
そして、新幹線の車内に写る徳永さんと笑顔の蘭。
「なんで?」
「わたしひとりじゃ、OKが出なかった」
蘭の文章は、ひらがなが多いが、これを指摘すれば英文で攻められる気がするので言わない。
英語塾は中学でも続けるつもりだ。
偽外国人の評価を脱却するには、必要だと思うからだ。
日本語で考えているので、使わないとすぐに忘れてしまう。
住職には、彼女と大人の付き添いが一緒に来る事を伝えた。
携帯の画面を見せて
「この2人です」
「ははは。なるほど…いい笑顔の子だな。だが、お前以上に自我の確立に苦労するだろう。助けてあげなさい」
「はい」
蘭は、髪の色も、顔も、最近では体形さえも、日本人のものではなかった。
女の子は父親に似るという説を聞いた事があるが、ともかく、外国人が多い東京でさえ、疎外感を感じる事はあるだろう。
そんな時は、偽外国人の俺でも、まだ安心感はある?
蘭と徳永さんが山寺にやって来た。
住職と徳永さんが挨拶を交わしている間、蘭の質問に答えていた。
ここには宿屋はない。
寿司屋もない。
ラーメン屋?あるわけない。
「え~ 『あきらが悟りを開いた』って徳永さんが言うから、お祝いをしようと思ったのに…」
「気持ちだけ頂いておきます」
住職に聞こえたらしい。
「あきら、悟りを開いたのか?」
「いえ、そんな大層なものではないんですけど、今朝座禅を組んでいて、思い至った事がありました」
「そうか…また今夜にでも聞かせてくれ」
「はい」
2人をゲストルームに案内してから、風呂場の掃除をする。
もちろんユニットバスではなく、タイル張りで五右衛門風呂だ。
風呂に水を張り、風呂いすを洗う。
五右衛門風呂の風呂釜に薪を入れ火を起こし、湯を沸かす。
薪に火を付けるのはコツが要るそうだが、こんな事は武士には当たり前の事だ。
湯を沸かすのも然り。
風呂の準備が終われば、夕食の準備だ。
手伝いのおばさんが作る料理は、それなりにおいしい。
私はお膳の準備を手伝う。
手前に箸置きと箸。
右手前が汁物、左手前はご飯。
右奥に天然ものの鮎を冷凍保存していた住職のとっておき。
そして、左奥が山菜の和え物だ。
「坊ちゃん、良く覚えたね~ 上手上手」
(いや、御膳ものは武士の定番ですから。)




