第11話 この身体で問題ありません
平日の夜、夕食を終えたダニエルは、仕事用の端末を持ってリビングへ戻ってきた。
キッチンではルークが夕食に使った皿を洗っている。水音に混じって食器の触れ合う音が続く中、ダニエルはソファへ腰を下ろし、端末に届いていた社内向けの案内を開いた。何度か画面をスクロールしてから、ちょうど皿を食器棚へ戻していたルークへ声をかける。
「ルーク。前に言ってた身体の話、覚えてるか?」
食器棚を閉じたルークが振り返った。
「産業用機体への交換希望でしょうか」
「よく覚えてんな。だったら話が早い」
ダニエルは端末をテーブルへ置き、画面をルークの方へ向けた。
「会社で評価に使ってた業務用アンドロイドが何台か払い下げになる。軍用じゃないけど、今のお前よりはだいぶ頑丈だ」
表示されているのは、人型の汎用業務用アンドロイドだった。工場や倉庫、屋外設備の点検などを想定した機体で、外見こそ人型だが、今のルークが使っている家庭用メイド型ほど人間に似せることには力を入れていない。
代わりに、フレーム強度もアクチュエーター出力も上だった。バッテリー容量には余裕があり、防塵防水性能も高い。胴体内部の空間も広く、人格コアを組み込んでも補助バッテリーを外す必要はない。背部へ六、七キロの重量物を追加したところで、現在の身体ほど重心への影響も出ないはずだった。
ルークは端末の前へ立つと、表示された仕様を上から順に確認していった。
「人格コアとの接続互換性は確認されていますか?」
「完全互換じゃない。そこまで都合よくできてないよ。ただ、制御バスは今の身体より触りやすい。変換器を作り直せばつなげられると思う」
説明を聞きながら、ルークは画面を内部構造図へ切り替えた。
「固定位置は?」
「背中側に空きがある。補助フレームを一本追加すれば固定できる」
ルークは図上の配置をしばらく確認した。
「現在の身体より、人格コア搭載時の重量配分は良好になると推定します」
「だから候補にしたんだよ」
ダニエルは別の画面へ切り替え、社員向けの価格を表示した。
「しかもこれ。今度は値段を見て閉じなくて済むぞ」
ルークが価格欄を見る。以前、産業用アンドロイドの価格を調べた時には、ダニエルは仕様を確認する前に画面を閉じていた。今回の金額は安いとは言えないが、少なくとも即座に諦める額ではない。
「社員向け価格が適用されています」
「だからこの値段で出てる。中古の評価機だけど、整備履歴も残ってる。前みたいに正体不明のジャンクを拾ってくるよりはマシだ」
ルークはもう一度仕様表へ目を戻し、フレーム、駆動系、バッテリー、内部空間と、青い瞳で項目を順番に追っていった。ダニエルはその様子を眺めながら、当然のように返事を待つ。
「どうだ?」
「交換は不要です」
ダニエルは端末へ向けていた顔を上げた。
「……待て。お前、最初は産業用に替えろって言ってただろ」
「はい」
ダニエルは思わず、端末に並んだ仕様を指で示した。
「高出力アクチュエーターに強化フレーム、できれば履帯まで欲しがってたよな。最後のは今でも却下だけど、他はだいたい入ってるぞ」
「確認しました」
「じゃあ何で要らないんだよ」
ルークは端末を見たまま答えた。
「現在の身体は、人格コアの重量を含めた姿勢制御の学習が進んでいます。固定具とセンサーの補正も完了しています」
ルークの視線が、端末からリビングのソファやテーブルへ移った。
「住居内での移動、家具配置への対応、家事作業に必要な動作データも蓄積されています」
「それは分かってる」
ルークは内部構造図へ視線を戻した。
「新しい機体へ移行した場合、それらの再調整が必要になります」
「だから、それは俺がやるよ」
ダニエルは端末を自分の方へ戻し、内部構造図を指で拡大した。
「固定具は作り直せる。姿勢制御も補正値を取り直せばいい。身体が変わるんだから多少の再学習は当然だろ。今のお前だって、最初は立っただけで後ろに倒れかけてたじゃないか」
ルークは間を置かずに訂正した。
「転倒はしていません」
「転んでないのは分かったよ。とにかく、その辺は全部、交換したあとに調整できる話だ」
ルークは反論せず、画面に表示された機体を見ていた。ダニエルは少し姿勢を変えると、今度は端末ではなくルーク本人へ目を向けた。
「今の身体、別に悪いって言ってるわけじゃないぞ。でも、あの時はこれしか買えなかっただけだ」
ルークの視線が端末から離れる。
「中古で安くて、人格データも初期化済みで、俺でも手が届いた。それで選んだ。コアを積むために補助バッテリーまで一つ外してるし、本来の設計から外れた使い方をしてるのも変わらない」
「現在の稼働時間に支障はありません」
「そういう話じゃない」
ダニエルは苦笑してから、端末の角を指で軽く叩いた。
「今なら、もう少しましなのを選べるって話だ。無理して今の身体を使い続ける理由はないだろ」
ルークは返事をせず、新型機の仕様へもう一度視線を向けた。
「新型機の方が高性能です」
ダニエルは片眉を上げた。
「そこは認めるんだな。それでも要らないのか?」
「はい」
ダニエルは端末から手を離した。
「そこが分かんねえんだよ」
眉を寄せたまま、今度こそ答えを待つ。ルークが口を開きかけたところで、玄関のチャイムが鳴った。
◇
ドアを開けると、奈緒が買い物袋を片手に立っていた。
「こんばんは。こんな時間に来て大丈夫だった?」
「まだ九時前だぞ」
奈緒は玄関先で肩をすくめた。
「ダニエルなら夜中まで起きてると思ったけど、一応聞いてみたの」
「人を夜行性みたいに言うなよ」
「買い物の帰りに寄っただけ。すぐ帰るよ」
「どうせなら上がってけ。今ちょっと変な話してたところだから」
「その言い方だと帰りたくなるんだけど」
奈緒は笑いながら靴を脱ぎ、リビングへ入った。テーブルの上にはまだ新型アンドロイドの仕様が表示された端末が置かれ、その横にはいつものメイド服姿のルークが立っている。
「何見てるの?」
「ルークの新しい身体」
奈緒の足が止まった。
「え、ルークちゃん身体替えるの?」
「いや、替えないって言うんだよ」
その横からルークが訂正する。
「まだ決定していません」
「お前さっき二回も要らないって言っただろ」
「交換不要という判断を示しました」
ダニエルはルークへ顔を向けた。
「それを普通は決定って言うんだよ」
奈緒は二人を見比べてから、テーブルの端の席へ腰を下ろした。
「どういう話?」
ダニエルが事情を簡単に説明した。会社の評価機が社員向けに払い下げられること。現在の身体より強く、内部にも余裕があること。人格コアそのものを移すので、ルークの人格をコピーしたり、新しく作ったりする話ではないこと。
奈緒は途中で何度か仕様表を見たが、最後にはルークへ顔を向けた。
「つまり、今より性能のいい身体に替えられるけど、ルークちゃんは要らないって言ってるんだ」
「はい」
奈緒は今度はダニエルへ視線を移した。
「それで、ダニエルは替えた方がいいと思ってるの?」
「絶対替えろって話じゃない。ただ、前なら喜んで飛びついてたと思うんだよ」
「本人の前で飛びつくって言う?」
「実際、履帯まで要求してたんだから似たようなもんだろ」
ルークが二人の間から淡々と口を挟む。
「履帯は現在も有用だと判断しています」
「そこは蒸し返すな」
奈緒が吹き出した。
ダニエルは端末を奈緒の方へ少し押す。
「フレームも強いし、電池も長持ちする。コアを積んでも今みたいに無理が出にくい。なのに理由を聞いたら、今の身体は調整済みだからって」
「それじゃ駄目なの?」
「駄目じゃないけど、それだけなら俺が調整できるんだよ」
奈緒は難しそうな仕様表をもう一度見た。
「じゃあ、それだけじゃ納得してないんだ」
今度はルークへ向き直った。
「ルークちゃん、今の身体がいいの?」
「『いい』という評価基準が曖昧です」
奈緒は苦笑した。
「やっぱりそこからなんだ。じゃあ、今の身体から変えたい?」
「いいえ」
返事は早かった。奈緒はそれ以上追及せず、素直に頷く。
「なら、決まりだね」
ダニエルが眉を寄せた。
「それで終わるのか?」
奈緒はダニエルの方を見た。
「だって、本人が変えたくないって言ってるし」
「俺はそこが引っかかってるんだよ」
奈緒はテーブルの端末へ一度目を落とした。
「機械の細かい性能は私には分からないよ。それに、理由って全部きれいに説明できないと駄目なの?」
「そういう言い方されると、俺が面倒な奴みたいだろ」
奈緒がきょとんとした顔でダニエルを見返す。
「えっ、違うの?」
「おい」
声を立てて笑う奈緒の横で、ルークは二人のやり取りを黙って眺めていた。やがて端末へ視線を戻し、口を開く。
「現行機体は、ご主人様宅での生活環境に適応済みです」
ダニエルは「生活」という言葉に引っかかり、ルークを見た。
「生活? 前のお前なら、そこ『任務環境』とか言ってなかったか」
ルークは何を聞かれているのか確認するように、わずかに首を傾けた。
「現在の活動内容を任務と呼ぶ必要性は低いと判断しました」
「まあ、掃除と洗濯を任務扱いされても困るけどな」
「以前、ご主人様から『掃除って言え』と指摘されています」
ダニエルが思わず笑う。
「そんな昔の小言まで持ち出すなよ。そういうのだけ妙に正確なんだよな」
奈緒が口元を押さえたのを見て、ダニエルが眉をひそめた。
「何笑ってんだよ」
「いや。ちゃんと生活してるなと思って」
「掃除の呼び方だけでそこまで言うか?」
奈緒は笑ったまま首を振った。
「ダニエルには分からないんじゃない?」
「どういう意味だよ」
奈緒はテーブルの上の端末からルークへ視線を戻した。
「毎日一緒だと、そういう変化には気づきにくいのかもね。でも、ルークちゃんが今の身体を替えたくないなら、それでいいんじゃないかな」
ルークは奈緒へ顔を向けた。
「奈緒様の意見を記録します」
「そこまでしなくていいよ」
「参考情報として有用です」
奈緒は苦笑した。
「それならまあ……好きにして」
ダニエルはそのやり取りを見ながら何か言いかけたが、結局口にはしなかった。
◇
奈緒が帰ったあと、リビングはいつもの静けさに戻った。ダニエルは新型機の購入ページが開いたままの端末の前へ座る。ルークはその向かい側に立っていた。
「ルーク。最後に一回だけ確認するぞ」
ルークがダニエルを見る。
「本当にいいんだな?」
「はい。この身体で問題ありません」
迷いのない返事だった。
ダニエルは数秒、ルークの顔を見た。最初にこの身体へ入った時、ルークは履帯がない、装甲がない、出力が足りないと次々に不満を並べていた。今も新型機の方が性能で上だという判断自体は変わっていない。
「最初はあれだけ性能に文句言ってたのにな」
「当時より、この身体での運用実績が増えました」
「運用実績ねえ」
ダニエルはソファの背へもたれた。
「家事とか、買い物とか、奈緒の家の機械に感動したとか、そういうのも入ってるのか?」
「含まれます」
「ずいぶん平和な実績になったな」
「現在の身体での爆発物処理の実績はありません」
「なくていいよ。家で爆発物処理する生活は嫌だ」
「同意します」
ダニエルはそこで少し笑った。
「そこまで言うなら、今回は見送るか」
「承知しました」
ダニエルは端末へ手を伸ばしたものの、ページを閉じる前にルークを見る。
「ただし、壊れても意地張ってこれ使う、とかは無しだからな。修理できないところまで来たら、その時は別の身体を考える」
「その場合は再検討します」
ダニエルはそれを聞いて、購入ページを閉じた。画面が社内販売の一覧へ戻る。
「そういや、胸部増加装甲とか言ってたしな」
「その評価は訂正済みです」
ダニエルは笑った。
「そこはちゃんと覚えてんのか」
「誤った評価を維持する理由はありません」
ダニエルは苦笑しながら一覧を閉じようとして、画面の端に表示された別の商品に気づき、指を止めた。
「……あ。ルーク、これ見ろ」
「どうしましたか、ご主人様」
ダニエルが画面を拡大する。表示されたのは、人型でも業務用でもない、小型の家庭用ロボット掃除機だった。型落ち品ではあるが、ネットワーク接続に対応し、家庭用アンドロイドからの制御も可能と書かれている。
ルークが画面を覗き込んだ。
「対応通信規格を確認します」
「そこ一番に見るのかよ」
「重要です」
仕様欄を最後まで読み、ルークは顔を上げた。
「この掃除機は接続可能です」
「身体はいらないなら、こっちはどうだ。一個買うって言っただろ」
「以前の発言を覚えていたのですか?」
「お前に家電買えって何回も言われたら覚えるよ。しかも、最優先は掃除機って言ってたしな。一個だからな」
「まだ数量について何も要求していません」
「だから、先に言っとくんだよ」
ルークは再び価格を見る。新型アンドロイドとは桁がいくつも違った。
「購入に賛成します。現在の掃除機は電源コードの届く範囲でしか使用できません」
「知ってるよ。毎回コードを引っ張ってるのは見てるし、その話も前に聞いた」
「また、接続可能である点を改めて強調します」
ダニエルは返事をせず、購入画面を開いた。
「じゃあ、これにするか」
「異議ありません」
「今日はやけに決断が早いな」
「適切な装備更新です」
「掃除機って言え」
ルークが一瞬黙った。
「……掃除機です」
「よし」
◇
数日後、段ボール箱から出されたロボット掃除機は、リビングの床に置かれた充電台の上で、充電が終わるのを待っていた。
薄い円盤形の本体は特に珍しいものではない。ダニエルが初期設定用の端末を操作し、家庭内ネットワークへ登録する横で、ルークは、人間なら紙の説明書の一ページ目を開くほどの間に、電子マニュアルを最後まで確認していた。
「ルーク。接続していいぞ」
「承知しました」
ルークが家庭サービス用の通信機能を起動すると、端末の画面に新しい接続先が追加された。
「応答を確認しました」
「そんな嬉しそうに言うほどか?」
「これまで、この家には私から操作できる家電が一台もありませんでした」
「……悪かったよ」
「事実を述べています」
初期設定が進み、最後に機体名を入力する画面が表示された。ダニエルはコーヒーを取りにキッチンへ向かい、その間の入力をルークへ任せる。
戻ってくると、画面には設定完了の表示が出ていた。
「終わったか? 名前は適当でいいぞ。掃除機一号でも何でも」
「設定済みです」
ダニエルが画面を見る。
機体名の欄には、短く二文字だけ表示されていた。
三番。
ダニエルはコーヒーカップを持ったまま止まった。
「……何で三番なんだよ」
ルークは設定画面を見たまま答えた。
「識別名です」
「一台しかいないだろ」
「現在は一台です」
ダニエルはルークを見る。
「増やすつもりかよ」
ルークは答えず、掃除開始の指示を送った。短い電子音のあと、三番と名付けられた掃除機が動き出し、壁際を確認しながら進んでテーブルの脚を避け、ソファの前を横切っていく。
ダニエルはコーヒーを飲みながら、その様子を眺めていた。
「ちゃんと動くな」
「正常です」
ダニエルは掃除機を目で追ったまま、ルークへ聞いた。
「普段はこいつが自分で走るんだよな?」
「通常の経路判断は機体側で行っています。必要な場合のみ介入可能です」
「必要な場合だけにしろ」
ルークは掃除機から視線を外さずに答えた。
「承知しました」
掃除機はそのままダイニングの椅子へ近づいた。前方センサーが脚を捉えると、左右へ小さく動く。進路候補を探しているらしいが、数秒経っても同じ場所で向きを変えていた。
ルークの視線が、椅子の脚の前で迷っている掃除機へ向く。
「経路判断が遅延しています」
「放っとけよ。そのうち自分で抜けるって」
「修正可能です」
ダニエルがルークへ顔を向けた。
「だから必要な時だけって言ったばっかりだろ」
その時には、ルークはすでに通信経路へ介入していた。掃除機へ進路修正データを送りながら、その内容を口にする。
「三番、右へ〇・二メートル移動してください。進路を継続してください」
掃除機がすぐに右へ動き、椅子の脚を抜けて進み始めた。
ダニエルは掃除機を見送り、それからゆっくりルークへ顔を向けた。
「……お前、それ絶対わざとだろ」
ルークは何事もなかったようにダニエルを見る。
「どの操作のことでしょうか、ご主人様」




