031 兆候
俺は夢を見ていた。
夢の中でありながら、それが夢であることを知っている奇妙な感覚だった。
いつの間にか、俺は見覚えのある部屋の片隅にいた。
豪奢でありながらも、質実剛健さを兼ね備えた部屋の装飾と調度品に、なつかしさを感じる。
部屋の中央には、天蓋付きのベッドに少年が眠っていた。
明るい茶色の髪に、まだ幼さの残る顔立ち。
ゆっくりと胸部が上下している。
(あれは……俺だ)
声をかけようとして、起こすのも悪いと思いとどまるが、同時に馬鹿馬鹿しさに気づく。
夢の中の自分に遠慮するのも妙なものだった。
その時、少年を呼ぶ声とともに激しく扉を叩く音がした。
少年はすぐに飛び起きて、扉を開ける。
「ロデリック様!ロデリック様!」
「どうした?何があった?落ち着いて話せ」
「ザンドゥーラの蛮人どもが……蛮人どもが、北の国境から攻め寄せて参ったのでございます」
「待て!北の国境?北はジャイヤールの領土であろう?」
「ジャイヤールが裏切ったのです!盟約を破って。彼らも同時に南西方向から進軍を開始しております」
(ああ……これは……)
忘れるはずもない。
「あの日」だった。
「敵の兵力は?」
少年の声は落ち着いていた。
だが心臓が早鐘のように打ち鳴らされ、乱れようとする呼吸を何とか整えている事を俺は知っていた。
上に立つものが、動揺したそぶりを見せるわけにはいかない。
あの時はまだ十五歳だったが、幼い頃からずっとそう教育されていた。
「騎兵と歩兵、そのうち魔導騎兵2000と竜騎兵100を含み……総兵力は、およそ二万でございます」
歴史と伝統あるニケイア王国といえど、現在は人口わずか五万の小国にしか過ぎない。
絶望的な戦力差だった。
「わかった。すぐ行く……それで姫は?」
「こうなれば、あの魔剣の封印を解くしかないと、すでに神殿に向かいましてございます」
俺は思わず叫んだ。
「ダメだ!やめろ!」
魔剣の封印を解いた結果どうなったか。
俺は知っていた。
だが当然俺の声は届かない。
そして目の前に様々な光景が浮かび上がり、過ぎ去っていった。
炎に包まれる街。
打ち鳴らされる剣と槍の響き。
飛び交う魔法と悲鳴。
一国の栄華が、歴史が、人々の命が、ただなすすべなく蹂躙されていく。
俺は呆然と立ち尽くし、ただ見ていることしかできなかった。
そして空を覆いつくす黒い雲。
この世ならぬものを切るために作られ、魂を吸い力に変えるという魔剣ルドラ。
その魔剣に操られ、魔剣を振るい、敵と味方の多くの血と魂を吸い上げ破滅の運命をもたらした、過去の自分……
魔剣の封印を解かなくても、どのみちあのままではザンドゥーラとジャイヤールの兵に蹂躙されていただろう。
俺はどうすれば良かったのだろう?
その時ふいに足元の石畳が崩れ、俺は奈落の底へと落下していった。
そして次の瞬間、俺は絶叫をあげながら飛び起きた。
周囲に目をやると、いつもながらの見慣れた自室だった。
カーテンの隙間から、柔らかな朝日が差し込んでいる。
(ちっ……嫌な夢だ……)
反射的に左腕に触れる。
勿論そこには魔剣はなかった。
あの出来事で、俺は故郷と故郷より大切なものを失った。
そして長い放浪の旅に出たのだった。
何度も悪夢にうなされて飛び起きた、二十年前の血塗られた記憶。
このところ夢にみることはなかった。
だが忘れ去ろうとしても、忘れられるはずもなかった。
「ロイさん、ロイさん。おはようございます、ロイさん」
扉を叩く音がする。
「……あぁティータか。今行く」
「もう朝ですよ。今日はギルドの会議でしょう?体調悪いんですか?」
「大丈夫だ」
「じゃあ良かったです。私、学校行きますから。後はよろしくお願いしますね」
そう言うとティータは去っていった。
俺は水道で顔を洗い、洗面器の水面に映った己の顔を見る。
あの少年の二十年後の姿がそこにあった。
今の俺の名前はロイ。
ウミネコ亭という酒場の主をやっている。
あれから色々な出来事があった。
俺は名を変え、素性を隠し、今は一介の無名の店主だ。
これからは平凡だが穏やかな日々が続くだろう。
もう二度と、あんな悲惨な出来事など起こるはずもない。
俺は急いで朝食をとると、ギルドの会議へと向かった。
「今日の議題は、十月の海神祭の件に関してですが……」
海神祭とは、海の神マリクルに祈りをささげる祭であった。
ここ五年は魔大戦のせいでずっと祭が中断していた。
この時期はアステリア王国各地で収穫祭も行われる。
祭の名称は各地で違うが、海に近い王都エリオンでは海神祭となる。
海神祭には出店や市が並び、異国からも商人や雑技団、観光客が訪れる
店の配置と準備、担当地区等が地図を元に説明される。
もっともウミネコ亭の場合は店舗があるので、店の前に屋台を出すだけだ。
祭りではレナス神やマリクル神の像を乗せた山車の、パレードも行われる。
そのスケジュールも知らされる。
打ち合わせが一通り終わった後、お茶が出され雑談にうつる。
「そういえば、皆さまご存じですかな。ほら、例の女隊長ですが、職務停止になったそうですよ」
「レティシアが?」
俺は驚いて声が出る。
「このところ例の、辻斬りの件で」
「ああ」
それは耳にしていた。
ティータにも気を付けるよう注意したことがあった。
「それが辻斬りの顔を見た者がいましてね。なんと警備隊長レティシアの顔をしていたそうで」
警備兵が見たのが、レティシアの姿だったという。
いかにもうさんくさい。
魔導灯に顔をさらすなど、かえって意図がみえみえである。
だがいくらそうであっても、国家というのは適性な手続きと処分が必要である。
それだけでなく、国王ともなれば、様々なパワーバランスも考えなければならない。
調査が終わるまで、職務につくべきではないと、一部貴族から声があがった。
王といえど無視できない、大貴族の反対もあったそうだ。
レティシアは王都の警備隊長を、一時停職という処分になった。
元々レティシアは下級貴族の出身だ。
それを面白く思わない者が、ここぞとばかりに非難しているのかもしれない。
本気で犯人だと信じている者は、果たしてどれくらいいるのだろうか。
「しかし、お歴々。このごろまた魔物の活動が活発になっておりませんか?」
一人が発現し、旅商人たちもうなづく。
「そんなにですか?まさか大暴走が……」
俺は誰にともなくたずねる。
暴走とは数年に一回、魔物が大発生する現象であった。
そういえば、リルの村の魔物の事件。
あれも正式には解決していない。
神狼の魔力によって、普段は目にしない魔物たちが暴れまわった。
だが神狼を一時的にとはいえ封じた者は誰なのかはわかっていない。
「今のところその兆候は無いようです。近々調査団が派遣されるらしくてね」
とりあえずその話はそれで終わった。
といっても個々の商人にとっては、いつもにも増して注意するとか、警備の人数を増やすくらいしかできることはない。
会議の終わりに、会長に声をかけられる。
「よぉ、ロイ。どうだい商売の方は」
「はぁ、まずまずって所ですかね」
今のところは何とかやれている。
だがウミネコ亭の最盛期にはほど遠いだろう。
「宣伝が大事なんだよ、宣伝が。知ってもらわなきゃ始まらないだろ?」
「そうは言いいましても」
「例えばさ。最近、若くて可愛い女の子が店番やってるパン屋とかあるだろ?」
「はぁ。そうなんですか?」
「男の客はその子目当てでくるんだよ。スケベ心でさ。だがそれも経営努力ってやつよ」
中にはその子の似顔絵を売ったりする、商魂たくましい店もあるらしい。
さすがに経営努力といっても、ティータにそこまでさせたくない。
それ以前に、学校があるので無理だろうが。
最近ごたごたがあったが、あくまで俺は一介の酒場の親父にしか過ぎない。
魔物だの魔族だの暗殺教団だのは、他の人間に任せておけばいい。
どういう方針をとるかはともかく、心を入れ替えて、ウミネコ亭の業務に励むとしよう。
あらためてそう決意する。




