4.アラン・ベルテ
次の休日、ソフィアはマーガレットから聞いた宝石店に馬車を向けた。侍女を一人だけ連れ、目立たない装いで。
宝石店は学院から馬車で二十分ほどの、商業地区の一画にあった。
石畳の細い通りに入ると、両側に小さな専門店が並んでいた。香辛料屋、時計屋、古書店。その奥に、「シュバルツ商会」と金の縁取りの看板を掲げた店があった。
宝石店の扉に手をかけようとしたら、店内からの声が聞こえた。
大きな男の声だった。扉越しでも聞こえる音量は、怒鳴り声と呼ぶべきだろう。
ソフィアは横の細い路地に入り、店内の声に耳を澄ませた。侍女が落ち着きなくあたりを見回したが、ソフィアは手で制した。
「これのどこが最高の品だ?」
鼻に抜けるような特徴的な話し方。声の主がカールだと、すぐにわかった。
「カール様、こちらは一流の職人が長い時間を掛けて作り上げた逸品で……」
「カラン嬢がお気に召さなかった。それだけで充分だろう。お前の店の品が悪いということだ」
「しかし……」
「黙れ!」
何かが倒れる音がした。侍女が肩をビクッと震わせた。
カールの暴挙は婚約者であるソフィアの品位を落とす。これ以上は見過ごせない。
ソフィアが扉を開けると、ガラスの破片が床に散らばっていた。
剣を振り上げて立つカールの前には、床に膝をつき頭を抱える店主がいた。その横に見知らぬ青年が立っていた。
青年は布袋をポケットから取り出すと、カウンターに置いた。金属音が店内に響いた。
「君が気に入らないなら、僕が買うよ」
青年の声は落ち着いていた。焦り、恐怖、怒りのない、穏やかな声だった。
剣を手にしたまま、カールは青年を睨んだ。
青年は動じなかった。青年から扉へ視線を向けたカールの動きが止まった。
ソフィアと目が合ったカールの顔から感情が消えた。
剣を鞘に納めると、カウンターの布袋を拾った。そして、カールは何も言わずに店から出ていった。横を通るとき、カールはソフィアと目を合わせなかった。
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「大丈夫ですか?」
床に倒れ込んだ店主を、青年は起こした。店主の手は震えていた。
「ああ……ありがとうございます、ありがとうございます」
店主は何度も頭を下げた。
ソフィアは店内に入り、ショーケースの破片を踏まないよう歩いた。店主の後ろに立つ青年に目を向けた。
グレーの髪、黒い目、高い鼻筋。背が高くなって、声が変わっていたけれど、子供の頃と同じ目元だった。
「アラン?」
青年はソフィアを振り返ると、頬をゆるめた。
「ソフィア、久しぶりだね」
アラン・ベルテ。ベルテ伯爵家の三男。
ソフィアの幼馴染だ。両家の付き合いで顔を合わせる機会が多かった。十歳のソフィアは「大きくなったら、アランのお嫁さんにしてくれる?」とアランに尋ねた。
当時のアランは十三歳。「考えておくよ」と頭をかいたのを、ソフィアは覚えている。
前の人生では、カールと婚約したこともあり、王立学院に入学してからは、アランとは挨拶を交わす程度の関係であった。
二年前に王立学院を卒業したアランは、ベルテ伯爵家の事業のために、隣国へ駐在していたはずだ。
「いつ帰ってきたの?」
「先月だよ。それにしても……君の婚約者に、失礼なことをしてしまったね」
アランは頭をかいた。
「気にしなくていいのよ。それよりも、店主が無事でよかった。ありがとう」
ソフィアの返答が意外だったのか、アランは目を大きく見開いた。それから、愛想笑いを浮かべた。
店主が二人のやり取りを、おろおろと見守っていた。
もっとアランと話したい気持ちを抑え、ソフィアは店主に向き直った。
「先ほどのお客様は、よくいらっしゃるの?」
店主はソフィアと目を合わせられず視線を逸らした。
「その、お嬢様、それは……」
「ただの雑談よ。誰にも言わないから」
店主は口元に手を当てて黙り込んだ。ソフィアは店主が口を開くのを待った。決して急かさなかった。
「……頻繁に、いらっしゃいます。その、支払いのことで……」
「支払いですか?」
「いえ、何でもありません」と店主は言葉を濁した。その手元は落ち着かず、指先をいじっていた
ソフィアは店主を問い詰めなかった。無理に訊かなくても、カールと顧客以外の関係があることはわかった。
「わかったわ。お大事にしてください」
宝石店を出たソフィアは、ぼんやりと金看板を見た。
店主が言いかけた「支払いのことで」に続く言葉。
宝飾品を頻繁に購入しているカールは、支払いについて店主から何らかの便宜を受けている。あるいは、店主に支払いを要求している。
情報としては不十分だが、カールを陥れる糸口にはなる。




