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オルトの聖剣が折れてから二日。
討伐軍の陣営は、もはや軍と呼べる状態ではなかった。
五百いた兵のうち、戦闘可能な人数は三百を割っていた。腹痛で動けない者。罠で負傷した者。恐怖で眠れず消耗した者。士気は地に落ち、脱走兵が毎夜のように出ている。カイの監視網が捕捉した数だけでも、二十人以上が森の中に散っていった。
野営地の中央に、勇者リオンのための白い天幕が張られている。その前で、ドミニクとヴィクトルが声を潜めて言い争っていた。
「撤退すべきです。これ以上の損耗は——」
ヴィクトルの言葉を、ドミニクが遮った。
「撤退は許さない。ここで退けば、王国は終わる」
ドミニクの鷹の目が、老いてなお鋭い光を放っていた。
「民衆は勇者の聖戦に期待している。辺境の悪魔を討伐し、呪いを祓う——それが我々が約束した物語だ。この物語が崩壊すれば、王国への信頼が崩壊する。奇跡への信仰が崩壊する。全てが崩壊する」
ヴィクトルは唇を噛んだ。正しい。政治的には、ドミニクの分析は正しい。しかし軍事的に、この状態で前進するのは——
「ならば——勇者様に、あれを使っていただくしかない」
ドミニクの声が低くなった。
「最後の奇跡。星の残存エネルギーを全て注ぎ込む大規模浄化。辺境ごと——この森ごと——浄化する」
ヴィクトルの顔から血の気が引いた。
「それは——規模が。影響範囲の推定は」
「広い。非常に広い。しかし、辺境は既に死にかけている。失うものは少ない」
ドミニクの声には、辺境に住む人間への配慮が一切含まれていなかった。彼にとって辺境は、王都を守るために切り捨てて良い「末端」だ。
「その後の影響は——星のエネルギーが完全に」
「枯渇する可能性はある。しかしヴィクトル、考えてみろ。今のペースでも、遅かれ早かれ枯渇するのだ。ならば——残りの全てを使って悪魔を滅ぼし、『勇者が世界を救った』という物語を完成させる方が、政治的には遥かに有益だ。聖なる犠牲。民衆はそれを受け入れる」
ヴィクトルは黙り込んだ。反論できなかった。政治家として、ドミニクの論理は——恐ろしいほどに——筋が通っている。残りのエネルギーを細々と使って緩やかに衰退するか、一度に全て燃やして壮大な勝利を演出するか。後者の方が、体制の延命には効果的だ。
奇跡が終わった後の世界のことは——ドミニクの計算には入っていなかった。
天幕の裏で、エルザ・グレーヴェンは記録帳を抱えて立ち尽くしていた。
全て聞こえていた。
「最後の奇跡」。エルザの記録帳には、その規模のエネルギー放出が何を意味するかの試算が記されている。昨夜、眠れぬ天幕の中で計算した。星の残存エネルギーの推定値。それを一度に解放した場合の影響範囲。結論——半径二百キロ圏が消滅する。帝国だけではない。辺境の村々も、森も、川も、全て。そしてその後、星の生命力が完全に枯渇し、世界規模の生態系崩壊が始まる。
世界が終わる。
エルザの指が、記録帳の背表紙を掻いた。爪が革に食い込み、白い痕が残った。




