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討伐軍は森に入った。
五百の兵が白銀の鎧を纏い、光の軍旗を掲げて死の森の外縁を越えた。先頭を行くのは聖騎士団筆頭オルト。白い鎧に光の聖剣。その背後に、金髪の勇者リオンが馬上で揺れている。
森は彼らを拒まなかった。拒むことすらしなかった。
ただ——静かだった。
鳥の声がない。魔物の気配がない。風すら凪いでいる。五百の軍勢が踏み入れたにもかかわらず、森はまるで無人の廃墟のように静まり返っていた。
兵士たちの間に不安が広がった。この静けさは不自然だ。何かが——いる。しかし見えない。
最初の罠は、セレーナのものだった。
討伐軍が森に入って二時間。先頭部隊が幅の広い獣道に差しかかった時、地面に仕込まれた魔力回路が起動した。セレーナが森の魔力を再配置して構築した偽装結界——「迷路」。獣道の左右に不可視の壁が立ち上がり、隊列を細く引き伸ばす。兵士たちは進んでいるつもりで、実際にはセレーナが設計した回廊を歩かされていた。回廊の出口は——モルスの「集落」に繋がっている。
補給線への最初の攻撃は、さらに一時間後。
隊列の最後尾。補給物資を積んだ荷馬車の列。護衛の兵士が十名。
木の上から毒針が降った。
針は細く、飛距離は短い。先端に塗られた薬品は——カイの調合物。即効性の麻痺毒。刺さった箇所から三秒で全身に回り、四秒で意識を奪う。殺しはしない。しかし半日は動けない。
護衛十名が音もなく崩れ落ちた。
カイの仕事はそれだけではなかった。荷馬車の食料に手をつける。略奪ではない。カイは水樽と干し肉の樽に、それぞれ別の薬品を混入した。水樽には下剤。干し肉には催吐剤。致死性はゼロ。しかし翌日から討伐軍の兵士たちは腹痛と嘔吐に苦しみ、行軍能力が壊滅する。奪うのではなく、汚す。暗殺者の補給線破壊は、食料を盗むよりも遥かに陰湿で、遥かに効果的だった。
森の影から民兵が走り出て、残りの矢と薬品だけを手際よく抜き取り、再び影に消えた。
討伐軍が異変に気づき後方に部隊を送った頃には、護衛は眠り、荷馬車は——見た目には無事のまま——致命的に汚染されていた。
* * *
二日目。
偵察隊の三十人が、森の奥にある「集落」を発見した。セレーナの迷路結界が導いた先。煙が上がり、建屋が見える。人の気配がある。
突入した。
集落はモルスの屍役が「演じて」いた。
丸太小屋の中に屍役が座り、焚き火の前に屍役が佇み、見張り台に屍役が立っている。遠くからは人間の生活に見えた。近づけば腐臭が漂い、目が動かず、皮膚の色が違うことに気づく。しかし、気づいた時にはもう——
罠が作動した。
小屋の床下に仕込まれていた落とし穴と、壁に偽装された毒棘。偵察隊の三十人のうち十二人が穴に落ち、八人が棘に触れて麻痺した。残りは撤退。死者はゼロ。しかし、三十人の偵察部隊が実質的に壊滅した。
同時刻。本隊の陣営では、昨夜の食事を摂った兵士たちが次々と腹を押さえて倒れ始めていた。カイの下剤が効き始めたのだ。野営地の周囲に掘られた便所が足りず、森の中に散らばった兵士たちの間で——衛生状態が急速に悪化した。
三日目。
討伐軍の進軍速度は予定の三分の一にまで低下していた。
下痢と嘔吐で実戦力を失った兵士が百人以上。偽拠点の罠で脱落した偵察兵が五十人。補給線は寸断され、水が信用できない。夜間にはカイの仕込んだ小石が樹上から飛び、眠れない兵士が増えている。
ヴェルナーが設計したゲリラ戦は、完璧に機能していた——というよりも、四人の悪党が設計した「合理的な地獄」が、五百の正規軍を着実に蝕んでいた。セレーナの結界が敵を誘導し、カイの毒が内側から崩し、モルスの屍役が外側から欺き、ヴェルナーの民兵が隙を突く。単独では脅威にならない要素が、四つ重なった時に壊滅的な効果を生む。




