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セレーナが言葉を終えた後、広場に沈黙が落ちた。
情報量が多すぎて、消化が追いついていない。星が死にかけている。奇跡が世界を壊している。自分たちの泥だらけの暮らしが正解だった。——頭で理解しても、腹の底で信じるには時間がかかる。
その沈黙を破ったのは、セレーナではなかった。
モルスが、前に出た。
灰色のローブが風に揺れ、フードの奥に闇が沈んでいる。帝国民の多くにとって、モルスは「不気味な化け物」だった。屍役を操り、死体を堆肥に変え、人間の感覚の外側に立つ存在。
そのモルスが、自ら進み出て、口を開いた。
契約上の義務ではない。セレーナの指示でもない。モルスが自発的に——数百年の沈黙を破って——語り始めた。
「ひとつだけ、補足させていただきたい」
声は穏やかだった。いつもと同じ、性別のない平坦な声。しかし、広場を満たす数十人の人間の視線を一身に受けて語るという行為そのものが、このモルスという存在にとっては途方もなく異例のことだった。
「私は長く生きています。どれくらいかは自分でも曖昧ですが——これだけは覚えています」
モルスのローブの下で、何かが深く息を吸ったような気配がした。
「三百年ほど前、この大陸の南に、ティリアという都市国家がありました」
帝国民の間にざわめきはなかった。誰もその名前を知らなかった。三百年前の都市国家など、歴史書にも残っていない。
「ティリアは地脈のエネルギーを汲み上げる技術を発明しました。無尽蔵の力。飢えは消え、病は治り、人々は祝福された暮らしを手にした。わずか二世代で、大陸最大の都市になりました」
建国直後の夜、焚き火の前で断片的に語った内容だ。あの夜は四人しかいなかった。今は八十人を超える人間が聞いている。モルスは、あの夜には踏み込まなかった部分に、足を進めた。
「ティリアの人々は、汲み上げたエネルギーで全ての問題を解決しました。不作の年には力で土壌を蘇らせ、疫病が流行れば力で浄化し、外敵が攻めてくれば力で蹴散らした。——今の勇者の奇跡と、やっていることは同じです」
広場が静まり返っていた。屍役を怖がっていた帝国民たちが、死霊術師の言葉に釘付けになっている。
「しかし、地脈は枯れました」
モルスの声が、ここで微かに——ほんの微かに——揺れた。
「最初に水が消えました。泉が涸れ、川が干上がった。次に森が消えた。木が立ったまま枯れていく。根から水を吸い上げられなくなったのです」
広場の後方で、辺境の農村から来た女が口に手を当てた。彼女の故郷で起きたことと、寸分違わぬ描写。
「そして最後に、土が死にました。種を撒いても芽が出ない。灰色の砂だけが残った。生きているものが何もない大地を、熱い風だけが渡っていく。——あの光景を、私は今でも覚えています」
「ティリアの人々は散り散りになりました。水のある土地を求めて。しかし、そういう土地には既に別の人々がいた。奪い合いが始まり、長く続き、やがて——ティリアという名前自体が歴史から消えました」
モルスは一拍だけ間を置いた。
「私は、その全てを見ていました」
広場が凍った。
「見ていた」。目撃者として。三百年前の文明の崩壊を、最初から最後まで。この存在は——人間の時間の外側から——世界が壊れていく様を見ていた。
「見ているだけでした」
モルスの声が、ここで二度目の揺れを見せた。一度目よりも深い揺れ。人間をやめた存在に残る、最後の人間性が震えている。
「今、また同じことが起きています。名前が違うだけです。ティリアは地脈を、王国は星を。汲み上げる対象が変わっただけで、構造は同じ。そして結末も同じになる」
長い沈黙の後、モルスは最後の言葉を——数百年の記憶を凝縮した、たった一文を——口にした。
「私がここにいるのは、契約だけが理由ではありません。——今度は、間に合わせたい」
広場が揺れた。
物理的な揺れではない。八十人を超える人間の感情が同時に動いた。あの不気味な化け物が、三百年の記憶を抱えて「間に合わせたい」と語った。分解と循環の技術者が、人間のために声を上げた。
ダリオが後に語ることになる。
「あの化け物の話で、俺は初めて腹の底から信じた。本当に世界が壊れるんだと」。




