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『追放された悪役令嬢は、最凶の悪党たちと辺境で【悪の帝国】を建国する』  作者: 冷やし中華はじめました
敗北からの教訓と、対等の契約

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ここからが、本当の交渉だった。

セレーナは提案の骨格を述べた。

「四人が対等な契約を結びます。上下関係はなし。命令権もなし。代わりに、各自の専門領域における決定権を分割します。自分の専門については自分が最終判断を下し、他者はそれに干渉しない。ただし、自分の領域に影響が及ぶ場合には異議を申し立てる権利がある」

これが核だった。支配ではなく分業。命令ではなく権限の分割。全員がそれぞれの領域で「王」であり、同時にそれぞれの領域の外では「一構成員」に過ぎない。

「具体的には——私が政治、経済、対外交渉の全権を持ちます。ヴェルナーが軍事と戦闘に関する全権。モルスがインフラと資源管理の全権。カイが諜報と偵察の全権」

セレーナは自分の持ち分を最も限定的にした。「政治」と「経済」は、今この森にはまだ存在しない概念だ。つまりセレーナは、実質的に「今すぐ使える権力」を最も少なく設定している。それは意図的だった。昨日「全権を握ろうとした」人間が、今日は自分の取り分を最小にする。その落差が、誠意の代わりになる。

ヴェルナーが最初に条件を出した。

「戦闘に関する判断は、一切の例外なく俺に一任すること。政治的理由で撤退の判断を覆す、あるいは攻撃目標を変更するなら、俺はその場で契約を破棄する」

重い条件だった。しかしセレーナには、その理由が分かった。

聖騎士団。ヴェルナーがかつて属していた組織。そこでは政治的思惑が軍事判断を日常的に歪めていた。上層部の面子のために不利な戦場に突入させられ、外交上の理由で有利な局面での撤退を命じられ、功績は上に吸い上げられた。ヴェルナーが騎士団を去った理由は、光魔法の欺瞞だけではない。組織の構造そのものが彼を裏切ったのだ。

「受け入れます。戦場でのあなたの判断には、一切口を出しません」

ヴェルナーはセレーナを見た。嘘を言っているかどうかを測る目。数秒の沈黙の後、短く頷いた。

次にカイ。

「全ての決定の根拠を、俺にも理解できる形で開示すること。なぜそうするのか、何のリスクがあるのか、俺たちが何を負うのか。全部だ。理由が不明確な指示には従わない」

セレーナはカイの要求の本質を読み取った。これは感情的な反発ではない。暗殺者の冷徹な計算だ。理由が開示されない指示は、リスクの計算ができない。計算できない行動は、生存確率の最適化が不可能になる。カイにとって「不明確な命令に従う」とは、目隠しで崖の縁を歩くのと同じ——生存のシステムエラーとして、原理的に棄却すべき選択肢なのだ。

「当然です。根拠のない判断はそもそも私の流儀ではありません。全ての意思決定の理由を、常に開示します」

カイの灰緑色の目が、セレーナの顔を数秒間じっと見つめた。嘘を探す目。しかし暗殺者が見つけたのは、嘘ではなく——確信だった。この女は本気で根拠を開示するつもりだ。なぜなら、それが彼女自身の行動原理だから。

「……いいだろう」

最後に、モルス。

灰色のローブが、ゆっくりと揺れた。

「研究の自由を保障していただけますか」

穏やかな声だった。しかし、その穏やかさの裏にある重みを、セレーナは感じ取っていた。数百年を生きた存在が「研究の自由」を条件にするということは、過去にそれを奪われた経験がある——あるいは、奪われる光景を見てきた——ということだ。

「研究成果の使用方法については協議しますが、研究そのものを禁じることはしません。それが条件です」

セレーナは答えた。しかし、その言葉を口にした瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。

研究の自由。

その四文字が、セレーナの合理の壁を内側から叩いた。

学術院の研究室。窓から差し込む午後の光の中で、魔力波形の図表を壁一面に貼り、何日も寝ずにデータを照合した日々。あの部屋だけが世界の全てだった。真実に一歩ずつ近づいていく興奮。仮説が数値で裏付けられる瞬間の、指先が痺れるような快感。

あの全てを奪われた。

研究を「邪悪」と断じられ、論文を握りつぶされ、研究室の扉に封印の紋章を焼き付けられた日。セレーナはあの部屋の前に立ち、封印を見つめた。怒りも悲しみも出てこなかった。ただ——計算できなかった。この喪失の大きさを、数値に変換する方法が見つからなかった。初めて、合理では処理できない感情の存在を知った。

あの日から、セレーナはその感情に蓋をした。計算できないものは存在しないものとして扱う。それが、壊れずに生き延びるための唯一の方法だった。

モルスの条件は、その蓋に、正確に触れた。

唇が動きかけた。「それは、私が最も——」。喉の奥まで来た言葉を、セレーナは飲み込んだ。合理の壁が、辛うじて機能した。感情を言葉にすれば、この交渉の場で自分だけが裸になる。それは許容できない。

「……ええ。研究の自由は、尊いものですから」

声は平坦だった。無機質に、事実を述べるように。しかしその一文を口にするまでの沈黙が——ほんの一拍、長すぎた。

セレーナ自身は完璧に制御したつもりだった。しかし、あの一拍の間に何があったのか。蓋の下で、あの研究室の午後の光が燃え上がり、壁一面の図表が焼け落ち、封印の紋章が瞼の裏で赤く脈打った。それを圧し殺して、ようやく絞り出した一文。

言葉は制御した。しかし、沈黙は制御できなかった。

この場にいる三人は、いずれも常人ではない。戦場で呼吸の一拍から敵の動きを読む男。目の前の相手の嘘を生業として嗅ぎ分けてきた少年。数百年にわたって人間を観察してきた存在。たった一拍の沈黙から、彼らが何も読み取らないはずがなかった。

ヴェルナーがセレーナを見た。その鉄灰色の目に、初めて敵意でも無関心でもない何かが浮かんだ。それは——理解、とでも呼ぶべきものだった。何かを奪われた人間だけが持つ、同類を認めた時の静かな目。

カイもまた、木の上から降りてきていた。セレーナの傍に、地面の高さで立っている。それは——おそらく無意識の——歩み寄りだった。

モルスのローブの奥で、何かが頷いたような気配がした。

「では、契約の最後の条項です」

セレーナは声を立て直した。感情を封じ、合理の言葉に戻る。

「この契約に含まれる全ての構成員は、対等です。誰も他の構成員を『道具』として扱わない。全ての協力は取引であり、対価が伴います。——私を含めて」

最後の二語が重かった。

「私を含めて」。

つまりセレーナ自身も、この契約では特権を持たない。頭脳として設計を行うが、他者を支配する権利はない。提案はするが命令はしない。根拠を示して説得はするが、最終判断は各自の専門領域で下される。

それは、セレーナが生まれてから一度も経験したことのない構造だった。公爵家では血統が秩序を定め、学術院では実績が序列を決めた。常に縦の関係の中を生きてきた。それ以外の世界を知らなかった。

だから昨日、失敗した。

だから今日、横の構造を設計した。

学習とは、失敗を入力にして次の出力を改善することだ。セレーナの合理主義は、自分自身すら最適化の対象にする。


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