74 設定された
前方の視界は、ほぼ真っ暗。
ガウガウという低い呻きが、振動になって伝わってくる。
がっしりと、あたしの身体は上下から挟まれている。
痛覚みたいなのを装備していないので正確じゃないけど、どうも熊魔獣の口の中にめり込んでいるんじゃないかと思われる。
遠くからでもはっきり視認できた鋭い牙が突き立てられているんだろうけど、超合金筐体に刺さってはいないみたいだ。
ガウガウとくぐもった唸り。
すぐに、大きく傾く感覚。
おそらく巨体が倒れ、何度も弾み、しかしその動きは止まらない。
つまるところ、この魔獣の疾走は止められたけど、まだ息の根は止まっていないということだ。
それなら、やることは一つ。
水魔法。
水魔法。
水魔法。
――――。
連発して、口の奥と思われる前方から水分を奪う。
高速連発、数十秒ほど。
やがて、巨体に何度も震えが走り。
次第次第に動きが消えていった。
がく、とおそらく頭部が床に打ちつけられ。
ゴロリ。
挟みつけが緩んで、あたしは絨毯の上に転げ出された。
瞬間、ギャアッ、という叫びが頭に響いた、気がした。
何だ、と耳を澄ますと、周囲は静まり返っている。何かの空耳か。
見回すと、当然ながら大勢の人間の目がこちらに集まっている。
「や……」
「やったのか?」
「そいつ、死んだのか?」
互いに顔を見合わせ、貴族たちは信じられないとばかり声を震わせている。
カルステンと護衛の二名が歩み寄ってきて、魔獣の身体を検分する。
倒れ伏して動きを止めた大王熊は大きく口を開け、そこからどくどくと血が流れている。
横の床を見ると、大きな白い牙が二本、折れて転がっている。
やっぱり詰まるところ、カルステンが投擲したあたしは見事魔獣の大口に命中、自慢の牙をへし折ったという顛末らしい。
かなりの力持ちじゃないかと見込んでカルステンを指名したのが、奏功したわけだ。
全力疾走してきた相手への、カウンターパンチになった効果もあったかもしれない。
それにしてもこの乱暴な仕打ちで傷もついていないみたいな超合金の頑丈さと、それでも元気にのたうっていた熊さんのタフさ。どちらも呆れるしかないね。
それでもそれで水魔法を使う余裕ができたのは、幸いだった。
「まちがいなく、息絶えています」
「そうか」
護衛の報告に、国王が頷く。
その目が、報告者の傍らに移った。
「カルステンの手柄だな。よくやってくれた」
「あ、は――いえ、恐縮です」
肩を縮こめるようにして、一礼。
その大男の視線は、ちらと床上のあたしを窺った。
傍目には疑いなく、カルステンの投擲だけによって仕留められたという受け止めになるだろう。生き物の体内から水分を奪う攻撃なんてふつうには思いつきもしないし、説明されても理解に余るんじゃないか。
今この現状であたしに説明しろと言われたって煩雑極まりない、たとえ通訳を介すことができても願い下げだ。譲歩して、せいぜい将来的にエトヴィンの研究対象にできるかという程度だろう。
それでも以前に地面龍やジャイアントモール討伐の子細を聞いていたカルステンにはある程度想像がついたらしく、複雑な表情になっている。
しかし、それ以上の説明は断る!
小さく覗かせたハンドで、軽く頷き返し。
あたしはするすると移動を始めた。前方に立ったままの、テオバルト王子の足元へ。
何ともたいへんな荒仕事を遂げたようだけど、走行に問題なく、本当に傷一つ負っていないみたいだ。
笑って迎え、王子はさっき飛ばされたものを拾ったらしい濡れ布であたしの上面を拭ってくれた。
潜望鏡を立てないと自分じゃ見えないけど当然、魔獣の血液や唾液やで汚れきっているんだろう。
見た目気持ちいいもんじゃないだろうけど、名誉の汚れと思っていただければ嬉しい。
呆然と、人々の目がずっとこちらの動きを追っているのが分かる。
それでもややしばらく、辺りを沈黙が支配した。
やがて、こほん、と咳払いが聞こえた。すぐ横の、国王だ。
「さっきからの騒乱も、その魔獣の出現も、分からないことばかりなのだが。それにしても何よりテオバルト、その物体は何なのだ?」
「あ、はい。エトヴィン、頼む」
「は」
少し後ろに立っていたエトヴィンが、進み出る。
国王に向けて一礼し。
「発言して、よろしいでしょうか」
「うむ」
「その物体は、先日カルステンがキュンツェル伯爵領に出向いた際、茂みで拾ったとのことなのですが。どうも古の魔道具なのではないかと思われます」
「古の、魔道具と?」
「はい。さっきからご覧いただいた通り、自力で走行し、水と風の魔法を使います。表面が見たこともない金属で非常に硬く、中を見ることもできません。ただ、何より不思議なのは――」
「何だ」
「テオバルト王子殿下の命令だけに従います。私や他の者が指示しても何ら動きを見せないにもかかわらず、殿下の命にだけ漏れなく従うのです」
「何と」
当然ながら、つい先日王子とエトヴィンとあたしで相談してでっち上げた設定だ。
半信半疑の表情ながら、国王は興味深そうにあたしを眺め回している。
「どういうわけなのだろうな、テオバルトの命にだけ従うというのは」
「は。まだ調べる余裕がなく、まったく理由は不明なのですが。王家の血筋ですとか魔力の強さ、適性などが関係しているのではないかと想像しております」
「うーむ。血筋や魔力なら、余も当てはまってよさそうだが……」
首を傾げながら、国王はもう一度あたしを見つめる。
そうして、覚悟を決めたみたいに、一言。
「動け」
しーん。
あたしは、微動だにしない。
ややしばらく待って、王子が声をかけた。
「ハル、少し前に出て」
すかさず従い、五十センチほど前進、そして停止。
おお、と見守る一同から声が上がる。
うーむ、と国王は唸った。
「なるほど。テオバルトの命令は聞くのだな」
「は。しかも殿下の命令であれば、かなり柔軟に解釈して行動します。先ほど、細かく指示しなくとも殿下に投げつけられたものを排除したように」
「なるほど。あちらで乱入した兵たちを無力化したのもそうか」
「は。さらには殿下の傍で、就寝中に不審者が近づいても撃退する、という働きもできるようです。まだいろいろ研究しなければなりませんが、今のところ殿下のかなり強力な護衛代わりになるものと思われます」
「理解した」頷き、国王はわずかに苦笑の顔になる。「余も手元に置いていろいろ見てみたい気がするが、今はテオバルトの傍に置くのが最も相応しいということだな」
「然様に存じます」
「分かった。テオバルトの部屋に置いて、さらに研究を続けよ」
「畏まりました」
エトヴィンが大きく頭を下げ、王子も軽くそれに倣う。
こうして、当分の間あたしの居候先が公認されたわけだ。




