72 完治させた
ほんの数分で。
大広間の中心付近は、倒れのたうつ百名弱ほどの兵士で埋め尽くされていた。
そいつらの呻き声以外、音がなくなる。
そうして、数呼吸。
「何だ何だ?」と喚き声が劈き上がった。
「何だ、何をしている? 我が領の兵たちはどうした、もういないのか?」
エクヴィルツ何たら侯爵だ。
何とも、お耳に障るダミ声。
そちらに向き直り、あたしは水鉄砲を顔にお見舞いしてやった。
「ぎゃあ!」
後ろに吹っ飛び、贅沢衣装の貴族は仰臥で動かなくなる。
そのときになって、東口近くに動きが生まれた。会場後方から控えの護衛らしき数人が駆け寄ってきている。
「おい、何だ?」
「お前何だって、ここに閂をかけてる?」
「え――え?」
急いで閂が外され、扉が開かれた。
明らかに王国軍と思われる装備の兵が雪崩れ込んでくる。
貴族の列から一人の男が進み出て、それに命じた。
「そこに倒れている兵たちに、縄がけせよ」
「は!」
軍を指揮する高位の貴族ということだろうか。
命令に従い、百名ほどはいそうな兵たちが動き出す。
前方に目を戻すと。
ようやく動けたらしい国王の護衛が、王女たちを拘束しているところだ。
あたしは素速く、そちらに戻るべく駆け出した。
まだ混乱が完全に収まりきらない状況で、テオバルト王子の傍をあまり離れていたくないからね。
さすがにもう何人もの貴族の目が追ってきてるみたいだけど、気にせず中央通路を走り抜ける。
最初に王女たちが立ち止まった辺りまで来た、とき。
「くそ、この野郎!」
さっきまで奥にひっくり返っていた第二王子が、立ち上がりざま短刀を振りかぶっていた。
やや傍に立っていた、第三王子に向けて。
「ラインマー!」
「何をする!」
第二妃と国王が、叫んだ。
前にいた護衛たちが振り返り、駆け出す仕草。
しかし、間に合わない。
と、見てとって。
あたしはまた、水鉄砲を発射した。
「ぎゃあ!」
さっきのリプレイ再生のように。
手に水の直撃を受けて、第二王子は後方へひっくり返っていった。
「ラインマーを直ちに拘束せよ」
「は!」
国王の指示を受け、護衛が駆け寄っていく。
尻餅をついた第二王子は二人の護衛に押さえられながら「無礼者、王子に対して何をする」などと喚き散らしている。
ほう、と緊張の解けた息を吐き、テオバルト王子はあたしに向けて笑いかけてきた。
ようやくガヤガヤと、会場内に貴族たちの会話が再開している。
東口方向から、追加の国王護衛らしい一団が入ってくる。
それに混じるように、エトヴィンとカルステンも速歩でこちらに寄ってきた。
国王に挨拶し断りを入れて、エトヴィンは第三王子の健康状態を確かめるべく首横に手を当てている。
そこへ、怒鳴り声がかけられた。床に座り込んで縄をかけられた第二王子が、真っ赤な憤怒の表情で。
「くそこいつ、悪運に助けられやがって! 何で魔法爆発を起こさねえ? 少しでも浴びたら起こすはずだ。お前、完全に花粉から逃げられたのか?」
「いや――少しは届いたみたいですよ、兄上」
「それなら何で、効き目がない!」
「黒夢病は完治しましたから」
「何だと!」
「それは真か、テオバルト?」
目を瞠って、国王が尋ねた。
それに第三王子は、微笑で頭を下げる。
「はい、父上。エトヴィンが薬を仕上げてくれました。報告が遅れて、申し訳ありません」
「そうなのか」
「何度も調薬を妨害されたことと今日の行事の関連の疑いがどうしても拭えなかったので、エトヴィンと相談してこの事実はしばらく伏せることにさせてもらいました」
「そうか。事実とすればエトヴィン、よくやってくれた」
「は、忝いお言葉」
やや微妙な面持ちで、エトヴィンは低頭する。
国王の賛辞を、今ひとつ虚心に受けられないでいるような。
無理もない、と言うか。実際に調薬したのは彼でなく、あたしだったのだから。
あの、エトヴィンが助手の裏切りで調薬に失敗した日のことだ。
彼が目を覚ます前の夢会話と、王子相手の無言会話の中で、打ち合わせをしておいた。その上で王子から「調薬がどうやって行われているのか知りたいから」と言って、空いている道具を部屋に運ばせた。
中ツ森の群生地であたしが白夢草の葉を採取した数は、十枚だ。そのうちの五枚をエトヴィンに渡して、この日失敗に到った。残る五枚が、最後の頼みの綱としてあたしの中に残されていた。
おそらくエトヴィンの行動は神さんが常時観察していて、どんな手を使ってでも調薬だけは成功させないようにしているのではないか、という可能性が疑われる。おそらく王子もカルステンも同様だろうし、他の人間を使うにしてもエトヴィンから指示を出す限り察知されるしかない。
としたら残された手段としては、もしかすると神さんに認知されていないのではないかと思われるあたしが行うしかないだろう。
幸い調薬の実際は、葉を回復薬に漬ける、取り出して磨り潰す、漉したものを再び回復薬に溶かす、という比較的単純な手順だ。磨り潰すところがやや困難を伴うけど、おおむねあたしのマジックハンドで実行できる。
実際に、可能だった。回復薬に漬ける時間が半日必要なのでその日の夜までかかったけれど、何とか閉ざされた王子寝室の中でやり遂げることができた。
細かい作業手順は初見の者に不安なので、漬け終わった頃合いに無理矢理エトヴィンに寝入ってもらって、夢会話でリモートワークよろしく指示をしてもらいながらの作業になった。
完成後すぐ王子を呼んで、服用させた。
夕食後エトヴィンが訪ねてきて未完成の薬を飲ませるなどのやりとりをしたのは当然、盗聴などを警戒した演技だ。その際エトヴィンが王子の頸動脈付近を触診して、快方に向かっていることを確認した。
この件を国王にさえ知らせないようにしたのは、今エトヴィンが言った通り。とにかく、神さんに知られて今日の王女の花粉投げつけ等々計画を事前に変更させたくない。
このため、カルステンを含めてこの件を知る者全員、その後一切密談の中でさえ話題にしないように打ち合わせた。触れるのは、あたしによる無言会話の中だけとする。
「それにしてもあの乱入してきた兵、クーネンフェルス王国の者はもちろんだが、混じっている装備はエクヴィルツ侯爵領のものではないか」
「は、然様に思われます」
「直ちにエクヴィルツ侯爵を拘束せよ」
「は!」
国王の指示を受け、護衛の二名が走り出していった。
かの侯爵は貴族列の後方でのびたままだから、何とも簡単なお仕事だ。
そうして唸りながら、国王は顔の向きを変える。
その視線が、離れた床の上に静止したあたしに向けられる。
まあ――誰にとっても現状、最大の疑問だろう。この焦茶色の小さな物体は、いったい何なんだ?
傍らの二人の王妃、会場に居並ぶ貴族たち、拘束された罪人たちも含め全員が、最高の権限を持つお方の発問を待っている。
「それにしても、それ――」
国王の口髭が動いた、その瞬間。
バガーーーン、と轟音が響き渡った。
驚き、全員が振り返る。貴族の中には、腰を抜かしかけている者まで見えている。
「な、何だ――」
「何が起きた?」
見ると。
先ほど兵士たちが乱入してきた西口の扉が、周囲の壁ごと破壊されていた。
ガラガラと木材が崩れ、それをかき分けながら。
巨大な黒い生き物が、のしのしと歩み入ってきている。
「な、な――」
「何だありゃあ?」




