13-2 大人として知っておきたい、幸福と孤独と孤立2
大人として、心理学の知見に基づく、「幸福」と「孤独」と「孤立」を知っていれば、何か問題が起きたときに、友人や後輩、我が子に助言をすることができるのではないでしょうか。
「心理学的に言うと、って言えば、かたっ苦しい話になりがちだけどよお~、そういう元気のない自分が物事に集中して取り組んだ時に、自分を褒める感覚を育てなきゃいけないんだよ、自分自身の気付きでな。それによお、日本人は自分の善い立ち居振る舞いや努力に対して、『自分で自分をほめる』感覚や『自分で自分を認める』っていう感覚や発想が外国人より相対的に低いという研究結果が明らかになっているんだよ。剛だってそうだろう?」
「はい、そうっすね。『自分で自分をほめる』感覚や『自分で自分を認める』っていう感覚や発想はもったことがないし、したこともありませんね。」
「だからよお、俺は、必ず、頑張った時は、自分で自分を褒めたり、認めたりするようにしているぞ。特に就寝前は一日を振り返って、自分の善かったところや頑張ったところだけを探して、褒めるようにしているんだ。自己肯定感は自己存在感や自尊感情との相関関係が高い。だから、『他人に褒められるのを気にせずに、まず、自分から自分を褒める人間にならなきゃならねえのよ。』つまり、『他人に褒められる前に自分で自分を認めるんだよ。』そうすりゃあ、他人の物差しで自分を評価しなくなるぜ。背伸びして他人の物差しで自分を評価するほどバカげたことはねえ。自己肯定感を高めたいのなら、どんな些細なことでもいい。自分が頑張ったり善い行いをしたりしたときは、自分を褒めろ、自分を認めろ、先ずは、そっからだ。」
「晶人さん、ありがとうございます。なんかちょっとスッキリしました。」
「それから、晶人さんについでに聞いておきたかったことがあるんすよ。晶人さん、『幸福』って何ですか?心理学で『幸福』に関する研究とかあるんですか?」
「あるよ。」
「じゃあ、晶人さん、教えて下さいよ。」
「そうだな、知らないよりは、知っていた方が良いだろうな。」
「心理学にはよお、数多くの『幸福』の研究がなされていてよお、そのぶんだけ『幸福』の定義もあるんだよ。その中で最もスッキリしていて分かりやすい俺好みの定義を教えておくよ。」
「はい、ぜひ教えて下さい。知らないよりは知っていた方が得ですからね。」
「心理学では、『幸せ』のことを、『主観的幸福感』と言うんだよ。剛、覚えておけよ、『主観的幸福感』だぞ。忘れんなよ。」
「はい、忘れません。『主観的幸福感』ですね。」
「『主観的』という言葉が付く以上、その人自身が、これは幸せだ、これは幸福だって感じるのが主観的っていう意味になるのさ。ここが特に重要なんだよ。」
「晶人さん、それって、つまり、『客観的』なものじゃないってことですよねえ。」
「剛の言う通りだ。」
「剛自身が、『あぁ〜、幸せだなぁ』『あぁ〜、幸福だなぁ』と感じれば、それが『主観的幸福感』になるのさ。だからよお~、何をもって感じるかは、人それぞれでいいんだよ。他人から『いいや違う、これが幸福だ!』ってよお、押し付けるものじゃねえんだ。自分は自分、人は人の物差しで決めればいいんだよ。」
「あと、剛に知ってもらいたいのは、もうひとつある。」
「晶人さん、それって、何ですか?」
「それは、主観的幸福感の中身だよ。これが意外に大事なんだよ。」
「剛、主観的幸福感は、2つの要素で構成されている。1つめは、『感情的幸福感』だ。2つめは、『認知的幸福感』だ。剛、ちゃんと覚えておけよ、1つめは、『感情的幸福感』だ。2つめは、『認知的幸福感』だからな。」
「晶人さん、それって中身が違うんですか?」
「剛、お前の言う通りだ。中身が違う。」
「『感情的幸福感』は、瞬間的な 『良い感情』に起因する幸福感を意味するんだよ。『嬉しいなぁ』、『楽しいなあ』、『心地よいなぁ』、『無心になって今までの嫌なことを忘れられていいなあ』といった感情からなる『感情因子』と、「ワクワクするなぁ」などの感情からなる『活性度因子』の2つで構成されているのさ。大まかにいうと、『感情的幸福感』とは、その時その時の『瞬間的な感覚』なんだよ。」
「じゃあ、晶人さん、2つ目の、『認知的幸福感』っていうのは何ですか?」
「あのなあ、『認知的幸福感』は、これまでの人生を、『総合的に振り返った場合の満足感』を意味するんだよ。京都大学の学術論文などに目を通すと、これまでの先行研究で、『感情的幸福感』と『認知的幸福感』の間には『正の相関関係』 があることが明らかにされているんだ。」
「あのお~、晶人さん、『感情的幸福感』と『認知的幸福感』の間には『正の相関関係』 があるって、どういう意味ですか?」
「剛、つまりなあ、どういうことかというと、瞬間的に『幸せだなぁ』『幸福だなあ』と感じる『感情的幸福感』が多ければ多いほど、『認知的幸福感』は高くなる傾向があるんだよ。『今さえ良ければそれで良し。』って世間で言われているようなものさ。だからな、日々の生活の中で、ほんの些細なことに対して、本人が『幸せだなあ』『幸福だなあ』と実感することの日々の積み重ねがとても重要になるわけさ。」
「へえ~、そうなんですね。」
私(筆者)は、小学校を4校も転校し、過酷ないじめを受けました。髪の毛を一気に10本も引き抜かれ血が噴き出たこともあります。殴られたり蹴られたりは毎日でした。登校中に歩いていると、後ろから猛ダッシュしてきた土屋(仮名)がカバンに飛び蹴りを入れ、ひざと顔をおお怪我したこともあります。また、シューズに牛乳をためられたり、画鋲を何十個も刺されたりしたこともあります。挙句の果ては、引き出しに猫の糞を入れられたことまであります。その当時は、社会的にいじめによる「自殺」という概念がなかったため、「自殺」しませんでしたが、今だったら、どうなっていたか分かりません。私はずっといじめる連中に殺意のような強い怒りの感情を抱きました。兄が中国拳法のジークンドーを学んでいたため、長い期間、地獄のようなトレーニングに耐え続け、見違えるような筋肉と強い心を身に付けました。そして、全校生徒が見ている前で土屋一派を「完全懲悪」したのです。私の人生は幼少期から過酷な人生の連続でした。
また、私は、2度の心肺停止と臨死体験と死後の世界の経験をしています。その内容の詳細も詳しく書かれておりますので、人が死ぬ瞬間というものは具体的にどのような体験をするのか、どんな心情になるのか、どのようなものなのかお読みください。また、教師時代に可愛がっていた教え子を交通事故で亡くし、お母様が身元確認をした瞬間に意識を失くされ、救急搬送されたため、担任である私がその子の身元確認を致しました。私の意識は解離し、無意識の状態でその子の頭を抱えて泣き叫んだそうです。この内容は後で警察署で聞かされました。命は尊いのです。なぜなら儚いからです。私は自分の臨死体験と教え子の死亡事故を体験したために、現在行われている「侵略戦争」「大量虐殺ジェノサイド」には断固反対します。
せめて、異世界の世界だけでも「侵略戦争」を阻止し、平和な世界を構築するために、この物語を構成しました。未熟なアマチュア作家で、文章も未熟ですし、誤字や脱字もあろうかと存じます。しかし、せめて異世界だけでも侵略戦争を完全懲悪する物語を書こうと思いました。未熟な内容ですが、どうぞお付き合いくださいませ。
また、個人的なことを書いて大変申し訳ありませんが、今から約12年前、首の後ろを通る右の椎骨動脈が破裂しました。その結果、延髄梗塞で倒れ生死を彷徨いました。延髄梗塞になった後、難病の中枢性疼痛を発症しました。右顔面は5本ぐらいの包丁で切り刻まれる痛みが脳内で生起します。右顔面には何の傷もないのですが、脳内で痛みが常時生起するのです。これを右顔面知覚障害と言います。また、左下肢は、常時ガスバーナーで燃やされる痛みがあります。天候不良や気圧の変化に敏感で台風や低気圧が来ると、耐えがたい痛みになり、耐えたことにより外因性うつ病を発症しました。外因性うつ病とは、癌の末期患者さんや余命宣告をされた患者さんや生涯、治ることのない線維筋痛症の患者さんがなるうつ病です。死ぬまで激しい痛みになえなければなりません。自死を考えた時期も長かったですが、家族や両親、兄、ぼっけもんずのメンバーのお陰でなんとか自殺を考えずに前を向いて生きていけることができるようになりました。
左下肢温痛覚異常は、氷のバケツに左足を入れても熱く感じる難病です。右ののどの声帯も麻痺しています。左の声帯で声を出すことができます。さらに、右のどの嚥下障害になりました。食べ物が右の肺に入り、生死を彷徨ったこともあります。平衡感覚もないため杖による歩行をしています。こんな難病のため、定職に就くことができず、世界自然遺産屋久杉の美術品を創る事業に携わっていましたが、収入もなく倒産寸前です。ですから、せめて小説だけでも妻に食費の一部を手渡せるようにしたいと考えています。下手な小説や文章ですが、どうぞよろしくお願い致します。読み続けて頂ければ幸甚に存じます。
また、感動する場面などがありましたら、お知り合いの方やご友人などに紹介して下さると幸いです。




