5-1 「天」との出逢い1
5-1 「天」との出逢い1
この章から「人の尊い「命」を軽んじる侵略戦争を、異能の薩摩示現流侍が勧善懲悪する!」の異世界転移が本格化していきます。どうぞよろしくお願いします。
俺(=晶人)は、幼少期から島津家の薩摩示現流を学び続け、免許皆伝目録を与えられていた。俺は、独身だったため、週末の1日は、体を鍛え直そうと、薩摩藩島津家ゆかりの神社の境内で薩摩示現流の稽古を続けていた。薩摩示現流の教えでは、いつどんな時でも、どんな状況においても戦えるように、生活に根付いた実戦性を追求していたために、他藩の剣技のように常に道着を着て稽古をすることはなかった。
この物語には、「薩摩示現流」が大切なキーワードのひとつに挙げられるため少し詳しく説明をしたい。
薩摩示現流とは、薩摩藩を中心に伝わった古流剣術である。薩摩藩内では、藩外の者に伝授することを厳しく禁じられていた。なぜ、薩摩示現流が藩外の者に伝授することを厳しく禁じられていたのか?それは、薩摩示現流の剣技が凄まじく驚異的であったからに他ならない。
「一の太刀を疑わず」または「二の太刀要らず」といわれ、初太刀から勝負の全てを掛けて斬りつける「先手必勝」の鋭い斬撃が特徴であり、電光石火の初太刀に全身全霊をかけ、一撃のもとに敵を斬り伏せるという剛剣「示現流」であった。
示現流は、初太刀から勝負の全て、つまり自分の命の全てを掛けて斬りつける斬撃であったため、幕末期に活躍したあの新選組も示現流を恐れていた。新選組が使った「天然理心流」は、徹底的に実戦のための剣術として磨き抜かれた剣技のため、とても強かったと言われていた。
ところが、実際、幕末期に薩摩藩の者と戦った数多くの武士は、自分の刀の峰や鍔が頭に食い込んで絶命した者が多くいた。電光石火の初太刀に全身全霊をかけ、一撃のもとに敵を斬り伏せる薩摩示現流を恐れた新選組の局長・近藤勇は部下に「薩摩の示現流の初太刀は、必ず外せ。」「薩摩武士と斬り合うな。」と厳しく命じていたという。
さらに薩摩示現流は、抜刀術的な技である「抜き」も優れており、「神速の攻撃」として恐れられていた。西郷隆盛を盟主にして起こった士族による西南戦争は、日本国内でも最大規模の過酷で激しい戦いであった。官軍の征討軍は、地形を効果的に利用した薩軍の薩摩示現流による抜刀隊により手も足も出なかったといわれている。官軍の征討軍は薩軍の薩摩示現流による抜刀隊によって、多くの官軍兵が次々に死んでいき、長い苦戦を強いられるとともに「薩摩示現流」の恐ろしさを味わわされ官軍の征討軍に恐れられた経緯がある。
さて、薩摩示現流は、硬い木を削った木刀を用い、「蜻蛉」と呼ばれる構えから、土中に埋めて立てられた堅い木に、離れたところから全力で走り寄って、立木に向かって気合と共に左右激しく斬撃する『立木打ち《タテキウチ》』など、実戦を主眼に置いた稽古をひたすら反復する事に特徴がある。
掛け声は、「一の太刀」に勝負の全てを掛けて切りつけるため、その激しさのあまり「キエーイ!」という猿叫と呼ばれる叫び声になる。「蜻蛉」と呼ばれる腕の構えとは、「一の太刀」に勝負の全てを掛けて切りつけることから、当然、科学的な観点、とりわけ力学の観点から、自分の利き腕の方に刀を高く構え、右手も左手も必然的に自分の利き腕の肩の高さよりも高くなる構えになる。
例えば右利きの場合、「蜻蛉」の構えは、右手は柄の位置を握り、可能な限り右肩の上の方に高く構える。そして、左手は右肩よりも高い場所におさまるように構える。高い所から刀を全力で振り下ろすため、最も早いスピードで振り下ろされるため、力学的に最もエネルギーを発揮することができるのである。
それだけでなく、利き腕が左手であってもその構えでより速く激しく斬撃するため、相手は「一の太刀」を防げても、一の太刀で頭や肩をかばっている位置が下がるため、二の太刀で斬撃され深く切り裂かれ絶命したと言われている。実戦では、「一の太刀」で殺される場合が多く、日本の戦国時代でも薩摩示現流は最も恐れられていた剣術であった。
俺は、「袈裟斬り」と「抜刀術」が得意だった。「袈裟斬り」とは、相手と対面した状態で、右利きであれば、自分の右肩の上から相手の左腰に掛けて一文字に斬り裂く技である。この「袈裟斬り」は、一撃必殺の斬り方で、このように斬り裂かれると、よほど薄い当たりでない限り、他藩の武士は刀でふさいでも、刀ごと真っ二つに折られ、助からなかった。
加えて、俺は瞬発力が誰よりも速かったため、「神速の攻撃」として恐れられていた抜刀術の技である「抜き」の練習に魅了された。抜刀術は、膝を曲げ、腰を落とし、一歩目を踏み込む速さが重要であったため、ジークンドーで地面を踏み込む力と共通したので、俺には最もふさわしい技だった。
はてさて、ここで冒頭の話の本流に戻りたい。
俺が早朝から抜刀術をスローモーションで練習していたとき、突然、一陣の風に吹かれて木の葉がひらひらと空中を舞った。その瞬間、俺は白い光を浴びた状態で空中に立っている感覚になった。
「遂に逢えたな、大和晶人。」
「誰だ?」
「お前は、いったい誰なんだ?」
本章に書かれてある内容に、意義や大切さ、人間性、心のあたたかさ、おもしろさなどを感じましたら、お友達やご友人、知人、先輩、後輩の方々にご紹介下されば幸いです。




