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4-4 心には涙しか渡れぬ橋がある

五体そろわぬご遺体を抱きかかえて、身元確認した体験がありますか?

そんな時、人は何を感じ、どう思うのでしょうか?

その実体験を綴りました。


侵略戦争を否定する小説の原点です。

 「教師が大嫌いで教師になった」俺だったが、不思議と子供たちや保護者から慕われ、男女問わず毎週のように鹿児島の谷山港に釣りに出かけたり、慈眼寺公園を探検したりして遊んでばかりいた。また、俺は、新任教師1年目から、学校でおとなしすぎる子供や荒れた子供には何か「目に見えない苦しみを抱えている」ことを早期に察知し、男子の子供を一週間私のアパートにあずかり、起居を共にするうちに、隣で寝ている子供自身が抱えている家庭の事情を話してくれるようになった。


 俺は、このような子供への働きかけを続けていくうちに一人一人の子供の心理状態を把握することができ、豊かな関係性を築き上げていくことができるのだと確信した。


 そんな充実した日々を子どもたちと共に過ごしていたが、思いもしない悲劇が起こった。交通事故が起こったのだ。クラスの教え子が青信号で渡っている最中に、居眠り運転をしていた80tの大型クレーン車にはねられ、そのまま下敷きになったのだ。その子のお母さんは、警察から連絡を受け、すぐに身元確認に行ったのだが、5体そろわぬ我が子の身元確認の際に意識を失くし、救急搬送されたため、私が警察署から呼び出され、身元確認をした。


 大きなブルーシートが幾重にも覆われ、車の交通は遮断され、パトカーや救急車、消防車が取り囲んでいたのです。警察官にうながされて、一枚目のブルーシートに入ったその刹那、私を取り巻く空間はぐにゃぐにゃと歪み、曇天の空はぐるぐる回って見えた。その場の情景によって、既に私の意識の半分は宙を舞っていた。



 それから後の記憶は穴が開いたように「ない」のだ。その後の私の行動は、警察署で聞かされました。現実を現実のものとして受け入れることを精神医学や心理学では「同一性」といいますが、到底受け入れられない現実を目の当たりにした私の意識は「解離」してしまい、現実を現実のものとして受け入れられないため「同一性障害」を起こし、無意識の状態になっていたのです。後で、警察署に出向き、その場に立ち会った警察官から、


「先生は、偉かった。○○ちゃんの頭を抱いて、何度も、痛かったね、痛かったね、と大声で泣き叫んでいました。先生は偉かった。ちゃんと○○ちゃんが逝くのを見送ったんですよ。」


 と聞かされた。記憶が解離し、何も覚えていない俺だったが、その警察官の話を聞いて少しだけ善い行いをしたと思った。


 そして、今でもこの話の続きは書くことができません。


 ただ、一つだけ言えることは、担任である私が、初めて受け持った低学年の子どもたちに「青信号で渡っている最中でも、右、左、右を見なさい。」と何度も繰り返し指導していれば、その子は尊い命を失わずに済んだという事実でした。我が子を失った保護者と祖父母の姿が今でも目に焼き付いています。どんなに苦しかったことでしょう…。それから毎年、命日のたびに保護者と祖父母と一緒にその子の眠る場所へ行き、その子の仕草や微笑みや休み時間にいつも私の膝の上に乗ってきたことを思い出すのです。


 取り返しの付かない悲劇に遭い、途方もない喪失感を味わわされたことで、心には涙しか渡れぬ橋があることに気付いた。

 私は、その出来事が起きた日から毎晩、港に通った。どうしても海を見たかった。両親が奄美大島の喜界島の出身であるため、幼いころから海が大好きだった。「海」という漢字の語源のひとつに、さんずいに「母」という説がある。俺は、深層心理の中に、海に対して「母性」を感じ取ろうとしていたのかもしれないと思った。


 防波堤に打ち寄せる波と外灯に反射する港の眩しさを見つめながら、人知れず泣きました。

 そして、人生という物語には到底受け入れ難い理不尽な出来事が起き、途方もない喪失感と心には涙しか渡れない橋があることをようやく悟ったのです。大声でその子の名前を泣き叫ぼうが、早春の冷たい港の海に飛び込もうが、もうその子は返ってこないのです。

 

今でも私の胸には塞ぎようのない穴がぽっかりと空いています。私は自分の過去の苦い経験から「強さ」というものをはき違えていたことに気付かされました。本当の「強さ」とはそんなものではない。私はこの歳になって思うのです。「弱さを経ない強さなどあるだろうか。」「深い悲しみを知らぬ優しさなどあるだろか。」「深い苦しみを経ぬ思い遣りなどあるだろうか。」と。 


 「人生という物語には到底受け入れ難い理不尽な出来事が起き、途方もない喪失感と涙しか渡れない橋があることに気付かされる。」


 俺の魂には、この言葉が銘として魂に刻み込まれている。そして、俺の砕け散った心を癒してくれた海に心から感謝している。毎日、お墓参りには行けないが、彼女との豊かな思い出をたどっていくことも重要な供養だと信じている。こうしてキーボードで文字を打ちながら○○ちゃんの名を呼ぶ俺がいる。朝も昼も夜も君の名を呼ぶ俺がいる。


 亡くなった教え子は高層マンションに住んでいた。教え子の部屋の場所も知っていた。谷山港で海を眺めた後で、亡くなった教え子の部屋を見に行くのだが、灯りがつかないのだ。分かり切っていることなのに、現実を現実のものとして受け入れられないがために、毎晩、教え子の部屋を見に行った。


 そんなある日、ラジオから浜田省吾さんのPAIN(心の痛み・喪失感)をいう曲を聴いた。俺は、ふいに涙が溢れ出て、止まらなくなった。俺の人生の物語は、浜田省吾さんのPAINの場面との共通項が多く、恣意的に解釈しながら、そして、悲嘆に暮れながら今でもこの曲を延々と聴き続けていた。 そして失ったあの子の笑顔を思い出すのだ。今、生きていれば40歳になる。この曲を聴き、彼女の笑顔や私の膝の上に乗りふざける笑顔と肌のぬくもりを思い出す。これもまた大切な供養だと思う。


 7年忌のときにお母さんから一冊のお絵かき帳を渡された。私の似顔絵と彼女の似顔絵ばかりが書かれていた。二人で遊んだ遊具に大きく描かれていた。私はお母さんに告げられた。


「先生は、まだ自分を責めているでしょう。自分が○○を殺したんだと責めているでしょう。そんな先生を天国にいる○○が喜ぶと思いますか?もう自分を責めないで下さい。自分が○○を殺したのだなんて思わないで下さい。お願いします。そうじゃないと、○○は成仏できないじゃないですか!」


 俺は大声で泣いた。今まで耐えに耐えてきた気持ちが切れ、堰を切ったように大声で泣いた。顔中が涙だらけになった。


「先生、○○は先生をお父さんだと思っていたんです。大好きだったんです。だからもう、自分を責めずに○○を成仏させてあげて下さい。」


「はい、ありがとうございます。」


 心には涙しか渡れぬ橋がある。そう信じて命日には人知れず泣く。彼女の思い出に逢いにいくために。


一人の子供が亡くなっただけで、その子を愛した分だけの悲しみを手にするのです。命が尊いのは、命が儚いからです。だからこそ、侵略戦争は許せません。心にぽっかりと開いた穴は、底がないんです。何を詰めても底がないから心にぽっかりと開いた穴は生涯続きます。侵略戦争による大量虐殺であるジェノサイドを許してはならないのです。


本章に書かれてある内容に、意義や大切さを感じましたら、お友達やご友人、知人、先輩、後輩の方々にご紹介下されば幸いです。

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 筆者は、少年期の酷いいじめの経験と青年期の二度の心肺停止と臨死体験と死後の世界を経験しました。世界で起きている侵略戦争に対して、強い憤りの念をもつ筆者が、せめて異世界の小説の中だけは、侵略戦争を食い止め、勧善懲悪を貫き通す武士道精神をもった薩摩武士の生き様を描きたいという強い思い入れがあり、せめて異世界ものの小説は絶対的な「善」が存在し、絶対的な「悪」を懲らしめるといったストーリーを軸足に据え、筆者の実体験を基にしながら、主人公が数々の危機を乗り越えながら予定調和的な結末に落ち着くことで、現在起こっている侵略戦争に対するアンチテーゼを提案したいと考えています。 #男主人公 #超能力 #侵略戦争 #臨死体験 #心肺停止 #薩摩示現流 #コスモサイコキネシス #勧善懲悪 #ロマンス #心理学 #大量虐殺 #武士道精神 #命の尊さ #転移 #薩摩隼人
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