第二話 2度目の死
カイルが、聖剣を抜いた。
澄んだ金属音と同時に、処刑台が白い光で照らされる。
太陽の光とは違う。
邪悪なものだけを焼き尽くす、聖属性の魔力。
それを浴びた瞬間、俺の胸で脈打つ心臓が警鐘を鳴らした。
「レオンから離れなさい!」
エルシアが悲鳴を上げる。
誰に向けた言葉なのかは分からない。
俺からカイルを遠ざけたいのか。
カイルから俺を守りたいのか。
それとも——俺の中にいるノアへ命じたのか。
カイルは答えない。
聖剣を両手で構え、処刑台の階段を上がってくる。
その碧眼に迷いはあった。
だが、剣先だけは真っ直ぐ俺の心臓へ向けられている。
「その身体を、レオンへ返せ」
「何を言ってる?」
「黙れ」
「本人を前にして、身体を返せと言われても困るんだが」
「黙れ!」
カイルが処刑台の床を蹴った。
踏み込むと同時に、その姿が視界から消える。
速い。
士官学校にいた頃とは比較にならない。
聖剣が、俺の首へ振り抜かれた。
避けるより先に右腕を上げる。
刃が前腕へ食い込んだ。
肉は裂けた。
だが、骨までは届かない。
傷口から這い出した黒い血管が刃へ絡みつき、斬撃を押し返している。
「なっ……」
「同じ手は、もう通じないらしい」
俺自身にも、まだ能力の全容は分からない。
ただ、一度俺を殺した斬撃に対して、肉体そのものが適応している。
俺は聖剣を掴み、カイルの腹へ蹴りを叩き込んだ。
鈍い衝撃。
白銀の鎧が軋み、カイルの身体が処刑台の端まで吹き飛ぶ。
しかし、落ちない。
空中で姿勢を立て直し、床へ聖剣を突き立てて踏み留まった。
昔からそうだった。
どれほど強く打ち倒しても、こいつは必ず立ち上がる。
「カイル!」
民衆から悲鳴が上がる。
「勇者様をお守りしろ!」
「あの化け物を殺せ!」
「負けないで、勇者様!」
勇者様、か。
まだ候補だったはずだが、民衆の中では既に英雄らしい。
処刑台の下から、無数の祈りがカイルへ集まっていく。
目には見えない。
だが、今の俺には感じ取れた。
恐怖。
期待。
希望。
俺という悪役を倒してほしいという願い。
それらが白い光となり、カイルの身体へ注がれている。
『面倒な男だな』
肩へ腰掛けたノアが、楽しげに呟いた。
周囲の人間は、彼女の姿が見えていない。
カイルもエルシアも、俺が誰もいない場所を見ていると思っているのだろう。
『己の力だけで立っているつもりらしいが、あれは他者の願望を喰らっている』
「止められるか?」
『妾を誰だと思っている?』
「心臓しか残っていない魔王」
『……お前、契約したばかりの相手に対して遠慮がないな』
「否定できるのか?」
『できぬ』
ノアが不機嫌そうに腕を組む。
『今の妾には無理だ。お前が何とかしろ』
「役に立たない魔王だ」
『二度と蘇らせてやらぬぞ』
「それは困るな」
ノアとの会話を遮るように、カイルが聖剣を引き抜いた。
「レオンは……死んだ」
自分自身へ言い聞かせるような声だった。
「あいつは、たとえ王国を憎んでも、民衆へ剣を向けるような男じゃない」
「よく分かってるじゃないか」
「だから、お前はレオンじゃない」
「理屈が飛躍してないか?」
「レオンの身体から出ていけ、魔王!」
白い魔力が爆発する。
処刑台へ亀裂が走り、周囲の空気が震えた。
カイルの足元へ、黄金色の紋章が浮かび上がる。
その形には見覚えがあった。
ゲーム『聖冠のアルカディア』において、主人公が固有能力を解放する際に表示されていた紋章。
だが、ゲームでは詠唱など存在しなかった。
「泥より生まれ、何者にも選ばれず——」
カイルの声が、広場へ響く。
「名もなきままに、空を仰いだ」
一節ごとに、民衆の祈りが光へ変わっていく。
「それでも、この手は剣を取った。この足は、今日まで一度も止まらなかった」
聖剣の刀身へ、黄金の文字が刻まれる。
カイルの顔から、迷いが消えていく。
「血統が何だ。運命が何だ。生まれながらに与えられた栄光など、俺は認めない」
その言葉を聞いて、思わず笑った。
なるほど。
こいつの根底にあるものは、昔から何も変わっていない。
平民であることを嘲笑われ。
何を成し遂げても、俺の助けがあったからだと言われ。
自分だけの力で選ばれた存在になりたいと願った。
「敗北よ、我が道を譲れ。絶望よ、我が背後へ跪け」
光が翼のように、カイルの背後へ広がる。
「誰に選ばれずとも、俺は己を選び取る。ならば勝利よ、この手に冠を授けよ」
聖剣が天へ掲げられた。
「第一階位——《宣誓》」
民衆が一斉に、勇者の名を叫ぶ。
「《勝利戴冠・グロリアス》!」
世界が、カイルの勝利を祝福した。
そうとしか表現できなかった。
吹いていた風が止まり、雲間から差し込んだ光がカイルだけを照らす。
傷ついていたはずの身体から力が溢れ、聖剣の輝きが一層強くなる。
宣誓によって魂の奥底から引き出された力は、術者の性質に応じた武器、あるいは異能として現実に形を得る。
その最初の到達点こそが――《第一位階》。
己の内にある力を、この世界へ顕すための力。
カイルが踏み込んだ。
今度は見失わない。
右から迫る斬撃に合わせ、俺も拳を振るう。
聖剣の側面を殴り、軌道を逸らす。
そのままカイルの顔面へ肘を叩き込む——はずだった。
足元で何かが滑った。
先ほど砕いた断罪剣の破片。
よりにもよって踏み込んだ位置へ転がり、俺の体勢を僅かに崩す。
カイルの聖剣が頬を掠めた。
浅い傷。
致命傷ではない。
だが、避けた先で処刑台の床板が割れた。
右足が沈み、動きが止まる。
「はあああっ!」
カイルの剣が翻る。
脇腹を斬られ、黒い血が飛び散った。
斬撃への耐性がなければ、胴体を両断されていただろう。
俺は床板を蹴り砕き、拘束から逃れる。
反撃の拳を繰り出す。
カイルは避けられない。
そう確信した瞬間、処刑人が落とした柄が拳とカイルの間へ跳ね上がった。
俺の拳が金属を砕く。
その僅かな抵抗で、カイルが後方へ逃れた。
「偶然にしては、出来すぎだな」
『偶然ではない』
ノアの深紅の瞳が、カイルを見据えている。
『あの男が勝つために、世界の方が辻褄を合わせている』
ゲーム主人公の補正。
そう考えれば納得できる。
どれだけ追い詰められても、最後には逆転する。
強敵との戦いで新たな力へ覚醒し、都合よく弱点を見つけ、仲間の救援が間に合う。
ゲームでは当たり前だった現象が、現実の法則として存在している。
「随分と愛された主人公だ」
俺は足元の断罪剣の破片を拾う。
短剣ほどの長さが残っている。
武器がないよりはましだ。
「何を言っている」
「こっちの話だよ、勇者様」
「俺は、まだ勇者じゃない」
「安心しろ。俺を殺せばなれるらしい」
カイルの表情が歪んだ。
図星か。
俺を処刑へ導いた功績で、カイルが正式な勇者として認められる。
それはゲームどおりの筋書き。
こいつも知らなかったわけではないのだろう。
「俺は称号のために、お前を——」
「殺したわけじゃない?」
「ああ!」
「なら、何のためだ」
「お前を止めるためだ!」
聖剣と断罪剣の破片が衝突する。
武器の性能差は比較にもならない。
一撃で破片が砕け、俺の手から弾き飛ばされた。
「魔王の力に呑まれる前に、お前を止める!」
「それで一度殺して、蘇った俺をもう一度殺すのか」
「お前はもう、レオンじゃない!」
「俺がレオンじゃないなら——」
踏み込み、カイルの懐へ入る。
剣を握る手首を掴んだ。
「お前は誰を止めようとしてるんだ?」
カイルの瞳が揺れる。
聖剣の光が、僅かに弱まった。
俺はそのまま腕を捻り上げる。
剣を奪える。
そう思った瞬間、広場から声が上がった。
「カイル様!」
幼い少女の声だった。
「負けないで!」
その一言に呼応し、聖剣が爆発的な光を放つ。
掌が焼けた。
反射的に手を離す。
カイル自身も驚いている。
だが、動きを止めなかった。
聖剣を引き戻し、真っ直ぐ突き出す。
狙いは胸。
俺の中で脈打つ、魔王の心臓。
避けようとした。
だが背後で、先ほど俺が砕いた断罪剣の刃が崩れた。
破片の一つが踵へ刺さり、踏み込みが遅れる。
僅か一瞬。
それで十分だった。
聖剣が、俺の胸を貫いた。
「がっ……!」
刃が背中へ抜ける。
一度目とは違う。
単に心臓を刺された痛みではない。
聖剣から溢れた白い炎が、血管を通って全身へ広がっていく。
魔王の心臓を焼く炎。
黒い血管が内側から白く燃え、灰へ変わる。
『レオン!』
初めて、ノアの声から余裕が消えた。
胸の奥で、何かが砕ける。
鼓動が止まった。
両足から力が抜ける。
カイルが俺の身体を支えるように、聖剣を深く押し込んだ。
「終わりだ、魔王」
「……そう、か」
口から黒い血が溢れる。
「また……俺を、殺すのか」
「違う。俺はレオンを——」
「一度目も……そう言ったのか?」
カイルが息を呑む。
何かを答えようとしていた。
だが、もう聞こえない。
聖なる炎が喉を焼き、視界を白く染めていく。
処刑されたときよりも苦しい。
心臓だけではない。
俺という存在そのものが、世界から焼き消されていく。
カイルが聖剣を引き抜いた。
支えを失い、俺の身体が崩れ落ちる。
石床へ倒れる寸前、誰かの腕が俺を抱き留めた。
黒髪が視界を横切る。
ノアだ。
先ほどまで透けていた指先が、俺の頬へ触れている。
「……役に立たない、魔王だな」
『黙れ』
ノアの声が震えていた。
『まだ妾の許しを得ておらぬ』
俺の身体を包む白い炎が、ノアの腕へ燃え移る。
白い肌が焼け、黒い亀裂が走る。
『勝手に終わるな』
ノアが俺の額へ、自分の額を重ねる。
深紅の瞳が、俺だけを映していた。
『お前の名は、レオン・アルヴァレス』
薄れていく意識へ、一つずつ刻むように告げる。
『裏切られ、奪われ、首を落とされ、それでも終わりを拒んだ男だ』
世界が白く消えていく。
肉体の感覚が失われる。
名前すら、自分のものではなくなっていく。
それでもノアの声だけは残った。
『妾が覚えている』
その言葉が、消滅しかけた魂へ鎖をかける。
『ゆえに、お前はまだ終わっていない』
——どくん。
砕かれたはずの心臓が、再び脈打った。
◇
「やった……」
誰かが呟いた。
それを合図に、広場へ歓声が広がっていく。
「勇者様が魔王を倒した!」
「カイル様!」
「王国の英雄だ!」
カイルは聖剣を下ろし、足元へ横たわるレオンを見つめていた。
身体は聖なる炎に包まれ、輪郭さえ崩れ始めている。
今度こそ終わった。
そう思わなければならなかった。
「カイル」
エルシアが駆け寄る。
その顔は青ざめていた。
「なぜ……」
「エルシア?」
「なぜ、魂が消えないのですか……?」
彼女の瞳には、カイルとは異なるものが見えていた。
聖女だけが捉えられる、魂の輝き。
白い炎の中で消滅するはずのレオンの魂が、何かに引かれるように再び形を取り戻していく。
大審問官ユリウスが、初めて笑みを深くした。
「素晴らしい」
聖なる炎の色が変わった。
白から灰へ。
灰から赤へ。
最後には、光さえ呑み込む黒へ。
黒い炎の中から、手が伸びる。
カイルの聖剣を掴んだ。
「な——」
カイルが剣を引こうとする。
動かない。
焼け崩れていたレオンの身体が、炎の中で再生していく。
胸に空いた穴を黒い血管が埋め、砕かれた心臓を縫い上げる。
瞼が開く。
金色だった右目が、僅かに赤黒く染まっていた。
「二度も親友を殺した気分はどうだ、英雄?」
「嘘だ……」
「何が?」
「心臓を破壊した。聖炎で魂まで焼いたはずだ!」
「ああ」
俺は胸元へ手を当てる。
痛みは残っている。
聖剣に貫かれた感覚も、内側から焼かれた苦痛も、すべて覚えている。
同時に、もう同じ炎が俺を焼けないことも理解できた。
「死ぬほど痛かった」
胸に刺さった聖剣を掴む。
カイルが放つ聖なる光は、もう俺の皮膚を焦がすことすらできない。
「だが——覚えたぞ」
聖剣を自分の胸から引き抜く。
黒い血が溢れたが、傷口はすぐに塞がった。
奪った剣をカイルへ投げ返す。
カイルは反射的に受け取った。
その刀身へ、黒い炎が絡みつく。
「ぐっ……!」
今度はカイルの掌が焼けた。
聖剣を包んでいた白い炎。
俺を殺した力が、黒く反転して俺のものになっている。
『本当に、出鱈目な能力だな』
ノアが俺の隣へ立つ。
両腕には白い炎で焼かれた傷が残っていた。
「お前も無事だったか」
『誰のせいで焼かれたと思っている』
「助かった」
『……ふん』
「ありがとう、ノア」
ノアが目を見開く。
すぐに顔を背けた。
『あとで代償は高くつけるぞ』
「生きていれば払ってやる」
カイルが再び聖剣を構える。
だが先ほどまでの確信はない。
民衆の歓声も、困惑へ変わっていた。
勇者が倒したはずの悪役が、再び立ち上がった。
世界が用意した勝利の筋書きに、亀裂が入っている。
「まだやるか?」
「俺は……」
「三度目も、俺を殺すのか」
「お前を、このままにはしておけない」
カイルが踏み込む。
先ほどより遅い。
俺は聖剣を躱し、掌をカイルの胸へ押し当てた。
「返すぞ」
黒い聖炎が爆発した。
カイルの身体が処刑台の石柱へ叩きつけられる。
白銀の鎧へ黒い亀裂が走り、口から血を吐いた。
追撃しようと足を踏み出す。
そのとき、処刑台の端から悲鳴が上がった。
「きゃあっ!」
先ほどカイルを応援していた少女だった。
戦闘の衝撃で欄干が崩れ、幼い身体が広場へ落下していく。
俺を悪役と呼んだ民衆。
カイルへ力を与えた観客。
助ける義理などない。
——殺せ。
胸の奥から、甘い衝動が湧き上がった。
見捨てろ。
むしろ黒い炎で焼き払え。
人間を殺せば、もっと強くなれる。
「黙れ」
誰にともなく吐き捨て、床を蹴る。
処刑台から飛び降り、空中で少女を抱き留めた。
背中から石畳へ落ちる。
衝撃で肺の空気が吐き出された。
少女は腕の中で震えていた。
怪我はない。
「立てるか?」
「ま、魔王……」
「質問に答えろ」
少女は何度も頷いた。
地面へ降ろす。
母親らしい女が駆け寄り、少女を抱き締めた。
俺を見る目には、恐怖しかない。
礼を期待していたわけではない。
背を向け、処刑台へ戻ろうとする。
「実に惜しい」
ユリウスの声が響いた。
広場の中央。
黒い書物を片手に、大審問官が俺を見ている。
「何がだ」
「今のあなたは、筋書きから外れかけていた」
ユリウスが《原典聖書》を開く。
「ですが、ご安心ください。迷える役者を正しい舞台へ戻すことも、語り手の務めです」
本の頁が、風もないのに捲れていく。
黒い文字が紙面から浮かび上がり、ユリウスの周囲を旋回する。
「王は玉座へ。勇者は戦場へ。聖女は祈りへ。そして悪しき者は、断頭台へ」
広場に集まった民衆の視線が、再び俺へ集中する。
「人は己を知らず、分を越え、道を外れ、自由という名の迷妄に救いを求める」
声に呼応し、周囲の囁きが重なっていく。
悪役。
売国奴。
魔王。
人類の敵。
「ならば私が記そう。汝の名を、汝の罪を、汝の結末を」
黒い文字が鎖となり、俺の手足へ絡みついた。
実体はない。
それなのに、魂そのものを縛られている。
「役者よ、己を語るな。脚本は既に完成している」
心臓の鼓動が速くなる。
黒い炎が、俺の意思を無視して溢れ始めた。
少女を助けた右腕へ、焼けるような激痛が走る。
反対に、民衆へ殺意を向けると痛みが和らいだ。
「世界よ、正しき筋書きを再演せよ。すべての者を、あるべき場所へ」
ユリウスが俺の名前を記すように、空中で指を動かす。
「第一階位——《宣誓》」
黒い文字が、俺の胸へ焼きついた。
「《聖典配役・ミステリオン》」
頭上に、巨大な文字が浮かび上がる。
それを見た瞬間、理解した。
俺へ与えられた役名。
——《人類を裏切った悪役》。
「がっ……!」
右腕の骨が軋む。
皮膚の下で黒い何かが増殖し、指先を鋭い爪へ変えようとしている。
理性を塗り潰すほどの破壊衝動が押し寄せた。
目の前には、怯えた民衆がいる。
一人殺せば楽になる。
十人殺せば、もっと強くなれる。
全員殺せば——もう何も苦しむ必要はない。
「なるほど」
爪が伸びかけた右手を、左手で掴む。
掌へ爪が食い込み、黒い血が流れた。
「俺を悪役にしたのは……お前か」
「いいえ」
ユリウスは穏やかに否定する。
「私は、誰もが知っている真実へ名前を与えただけです」
「随分と都合のいい真実だな」
「あなたは人類を憎み、復讐を望んだ。魔王の力を得て、王国の英雄へ刃を向けた」
ユリウスの背後で、審問兵たちが武器を構える。
「今のあなたは、誰が見ても正しい悪役でしょう?」
反論できない。
王国を憎んでいる。
カイルも、エルシアも、ユリウスも許すつもりはない。
皆殺しにしてやりたいとさえ思った。
俺の中に存在する感情を、こいつは捏造していない。
ただそれだけが俺のすべてであるように、世界へ押しつけている。
『レオン』
ノアが処刑台の下を見た。
『退くぞ』
「勝てないか?」
『今のお前ではな。あの男を殺そうとするほど、奴の与えた役割へ近づく』
「逃げれば?」
『悪役らしく逃亡したと喜ぶだろうよ』
「どちらを選んでも、あいつの筋書きか」
『ならば今は、生き残る方を選べ』
ユリウスが片手を上げる。
審問兵たちが一斉に踏み出した。
処刑台の上では、カイルも立ち上がろうとしている。
この場で全員を相手にすれば、ユリウスの望む悪役へ変えられる。
だからといって、黙って殺されるつもりもない。
「ノア」
『妾の心臓は、この下へ百年も封じられていた』
ノアが獰猛に笑う。
『逃げ道の一つくらい、用意してある』
俺たちの心臓が、同時に脈打った。
どくん。
処刑台の地下から、亀裂が広がっていく。
「全員、伏せなさい!」
ユリウスが初めて声を強める。
直後、処刑台が内側から爆発した。
石と木片が噴き上がり、広場を煙が覆う。
俺は黒い炎で破片を弾きながら、崩落した処刑台へ駆ける。
足元に、地下へ続く巨大な穴が開いていた。
飛び込む直前、振り返る。
煙の向こう。
ユリウスだけが、崩れた舞台の上へ立っていた。
「お待ちしています、レオン・アルヴァレス」
逃亡を止めようとはしない。
すべてが予定どおりであるかのように、微笑んでいる。
「あなたが正しい悪役として——この舞台へ戻ってくる日を」
俺は何も答えず、暗闇へ身を投げた。
ノアの笑い声が、すぐ傍で響く。
頭上で瓦礫が崩れ、差し込んでいた光を塞いでいく。
最後に見えたのは、俺たちを見下ろすユリウスの金色の瞳。
あの男だけは知っていた。
俺が蘇ることも。
ノアの心臓が俺を選ぶことも。
そして、おそらく——俺がここから逃げることさえ。
処刑は失敗したのではない。
最初から、俺を蘇らせるために行われた。
暗闇へ落下しながら、胸の奥で黒い心臓が脈打つ。
どくん。
それはまるで、誰かが書いた物語の開始を告げる鐘のようだった。
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