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第一話 処刑された悪役貴族

 断罪剣が、朝日を弾いて白く輝いていた。


 あれが、あと数分で俺の首を落とすらしい。


 王都中央広場。


 普段なら商人の声と馬車の音で賑わう場所に、今日だけは巨大な処刑台が築かれていた。


 広場を埋め尽くす民衆の視線が、罪人として跪かされた俺へ集中している。


「死ね、売国奴!」


「魔王の犬め!」


「貴族だからって、何をしても許されると思うな!」


 罵声とともに、何かが額へぶつかった。


 熟れすぎた果実が潰れ、赤黒い汁が頬を伝う。


 続けて飛んできた石がこめかみを裂いた。


 血が流れたが、今さら痛いとも思わなかった。


 両腕は背中で縛られ、足首には魔力を封じる枷が嵌められている。三日間に及ぶ尋問で肋骨は折れ、右目もほとんど見えていない。


 それでも背筋だけは曲げなかった。


 惨めな姿を晒すのは構わない。


 だが、こいつらの望む罪人らしく項垂れてやるつもりはなかった。


「静粛に」


 穏やかな声が響く。


 怒鳴ったわけでもない。


 それだけで数千人の罵声が、波を引くように静まった。


 処刑台の中央に立つ男が、一冊の黒い書物を開く。


 灰白色の髪。


 細い銀縁の眼鏡。


 黒い祭服の上に、白銀の外套を羽織っている。


 聖冠教会大審問官——ユリウス・クロイツェル。


 俺をここへ送り込んだ張本人だ。


「これより、元アルヴァレス公爵家当主、レオン・アルヴァレスの刑を執行いたします」


 元、か。


 仕事が早い。


 俺が死ぬ前から、公爵位も領地も何もかも奪ったらしい。


 ユリウスは、病床の人間を慰めるような声で罪状を読み上げていく。


「魔王軍との内通。禁忌魔術の研究。王国軍機密情報の漏洩。領民九十七名の虐殺。そして、国王陛下に対する反逆の企て」


 身に覚えのない罪が並べられるたび、民衆の敵意が膨れ上がっていく。


 九十七名の虐殺。


 その九十七名は生きている。


 魔物の襲撃を受けた辺境の村から、俺の領地へ避難させた人々だ。


 ユリウスは彼らを行方不明者として処理し、その罪を俺へ被せた。


 魔王軍との内通に至っては、証拠とされた書簡に使われていた紙が、王国の官僚しか入手できない特注品だった。


 あまりにも杜撰だった。


 少なくとも、俺が調査したときまでは。


 裁判へ提出された瞬間には、紙も筆跡も魔力の痕跡さえ、すべて本物へ変わっていた。


 偽造された証拠が、後から真実になったのだ。


 半年前。


 前世の記憶を取り戻した俺は、この世界がゲーム『聖冠のアルカディア』と酷似していることに気づいた。


 レオン・アルヴァレス。


 ゲーム本編が始まる直前、王国への反逆罪で処刑される悪役貴族。


 説明文に数行だけ登場する、勇者カイルの最初の功績。


 それが俺だった。


 だから未来を変えようとした。


 領地の不正を正し、ゲームでは処刑の証拠となった密書も先に回収した。魔王軍と関係を持った者を洗い出し、王国へ証拠を提出しようとした。


 それでも結末は変わらなかった。


 避けようとするほど、新しい罪が生まれた。


 まるで世界そのものが、俺を処刑台へ戻そうとしているかのように。


「被告レオン・アルヴァレスは、一貫して罪を否認していました」


 ユリウスが書物から顔を上げる。


「しかし、彼を最もよく知る二名の証言によって、その罪は疑いようのないものとなりました」


 視線を動かす。


 処刑台の右側に、一人の青年が立っていた。


 黄金色の髪に、澄んだ碧眼。


 白銀の鎧を身につけ、腰には教会から授けられた聖剣を帯びている。


 カイル・レグナード。


 平民出身の勇者候補。


 そして——俺が親友だと思っていた男だ。


 士官学校で貴族たちに嬲られていたカイルを助けた。


 剣術の稽古に付き合い、学費を援助し、勇者候補へ推薦した。


 見返りが欲しかったわけではない。


 ゲームの主人公だから利用しようとしたわけでもない。


 こいつなら、英雄になれると思った。


 少なくとも、あの頃は。


 裁判でカイルは証言した。


 レオンが魔王の力を求めていた。


 王国を憎み、いつか滅ぼすと語っていた。


 秘密の研究施設で禁忌の実験を行っていた。


 その証言が、俺の有罪を決定づけた。


 目が合う。


 カイルは苦しそうに眉を寄せ、先に視線を逸らした。


 今にも「すまない」と言いそうな顔だった。


 だが言わない。


 言えるはずもない。


 俺が本当に悪人なら、こいつは王国を救った英雄になれる。


 俺が無実なら、こいつは親友を売って英雄になる卑怯者だ。


 だからカイルは、何があっても俺を悪人だと信じ続けるしかない。


 もう一人は、処刑台の左側に立っていた。


 腰まで流れる淡い銀髪。


 紫水晶を思わせる瞳には、大粒の涙が溜まっている。


 聖女エルシア・ルミナリエ。


 俺の婚約者だった女。


「レオン……」


 震えた唇が、俺の名前を紡ぐ。


 今にも崩れ落ちそうなほど、悲痛な顔をしていた。


 その表情だけを見れば、処刑されるのは俺ではなく彼女だと思うだろう。


 エルシアは裁判で、俺の身体から禁忌の魔力を感じたと証言した。


 そして婚約者として、俺の処刑に同意した。


『あなたの魂を守るためなのです』


 牢獄を訪れたエルシアは、鉄格子越しにそう言った。


『今は理解していただけなくても構いません。いつか必ず、あなたを救います』


 死刑へ同意しておいて、俺を救う。


 どういう意味か問い詰めても、エルシアは泣くだけで何も答えなかった。


 きっと彼女なりの理由がある。


 カイルにも、エルシアにも。


 だが——だから何だ。


 どれほど美しい理由を並べられようと、こいつらが俺を処刑台へ送った事実は変わらない。


「レオン・アルヴァレス」


 ユリウスに名を呼ばれる。


「刑の執行前に、最後の発言を許します。罪を認め、神へ赦しを乞うのであれば、あなたの魂は救われるでしょう」


「罪を認めれば、か」


「ええ」


「犯してもいない罪を?」


「この場に集ったすべての者が、あなたを有罪だと信じています」


 ユリウスが静かに微笑む。


「それでもなお、自分だけが正しいと?」


 その言葉と同時に、奇妙な圧迫感が全身へ絡みついた。


 罪人。


 悪役。


 売国奴。


 魔王の犬。


 民衆から向けられた無数の認識が、鎖となって魂へ食い込んでくる。


 心臓の奥で、黒い何かが蠢いた。


 ——認めろ。


 ——お前は悪だ。


 ——皆がそう望んでいる。


 耳元で囁かれているような錯覚。


 俺は舌を噛み、血の味で意識を保った。


「俺を悪役にしたければ、好きにしろ」


 ユリウスを見上げる。


「お前たちの裁判で、歴史で、好きなだけ俺を悪と書けばいい」


「では、罪を認めるのですね?」


「まさか」


 唇の端を吊り上げる。


「お前たちの書いた筋書きに、俺が従ってやる理由はない」


 ユリウスの瞳が、初めて僅かに細められた。


 俺はカイルを見る。


 次にエルシアを見る。


 最後に、俺の死を待ち望む民衆を見渡した。


「覚えておけ」


 処刑台の上へ、俺の声が響く。


「俺の終わりを決めるのは——お前たちじゃない」


 沈黙。


 それを破ったのは、ユリウスの小さな吐息だった。


「残念です」


 黒い書物が閉じられる。


「刑を執行しなさい」


 背後で、重い金属音が響いた。


 処刑人が断罪剣を持ち上げる。


 視界の端で、エルシアが両手を組んで祈った。


 カイルは目を逸らさなかった。


 せめて最期だけは見届けるつもりなのだろう。


 ふざけるな。


 お前に見届けられるために、俺は生きてきたわけじゃない。


 断罪剣が振り下ろされる。


 首筋へ、凍えるような冷たさが走った。


 次の瞬間。


 世界が、回転した。


 一度だけ見えた。


 首のない俺の身体が、処刑台の上に残されている。


 鮮血が噴き上がる。


 エルシアが声にならない悲鳴を上げる。


 やがて俺の視界は、石床へ激突した。


 痛みはなかった。


 音も遠ざかっていく。


 人間は首を落とされても、数秒は意識が残るという話を聞いたことがある。


 本当だったらしい。


 薄れていく視界の中で、カイルが英雄として称えられていた。


 民衆が歓声を上げている。


 ユリウスだけが、俺ではなく処刑台の足元を見ていた。


 ——こんなものが、俺の最期か。


 罪を着せられ。


 信じていた者に裏切られ。


 憎まれながら首を落とされ。


 数行の設定どおりに、物語から消える。


 ふざけるな。


 認めない。


 こんな結末を、俺は認めない。


 意識が暗闇へ沈んでいく。


 そこで——音がした。


 どくん。


 心臓の鼓動。


 だが、俺のものではない。


 もっと深い場所。


 石床の下。


 処刑台の地下深くから響いてくる。


 どくん。


 二度目の鼓動とともに、暗闇の中へ赤黒い亀裂が走った。


 その向こうに、巨大な心臓が浮かんでいる。


 無数の鎖と杭によって封じられた、漆黒の心臓。


 俺の首から流れ出した血が、処刑台の亀裂を伝い、その心臓へ降り注いでいた。


『ようやく届いたか』


 女の声がした。


 幼い少女のようでありながら、耳にしただけで魂が震える。


 暗闇の中、二つの深紅の瞳が開いた。


『百年待った』


 鎖が軋む。


『実に醜く、実に美しい渇望だ』


「……誰だ」


 首を落とされたはずなのに、声が出た。


 肉体ではない。


 魂そのものが、言葉を発している。


『妾の名を問うか。歴史より消され、墓碑さえ砕かれた妾の名を』


 赤い瞳が愉快そうに細められる。


『よかろう。覚えることを許す』


 心臓が、三度目の鼓動を刻んだ。


『ノア・ヴァルプルギス』


『かつて魔王と呼ばれ——お前たち人間に殺された者だ』


 魔王。


 ゲームでは、カイルたちが旅の果てに討伐する存在。


 だが、ノアという名前には覚えがない。


 少なくとも『聖冠のアルカディア』に、そんな魔王は登場しなかった。


『答えよ、人間』


 ノアが俺へ問う。


『死にたくないか?』


 死にたくない。


 当然だ。


 生きられるのなら、生きたい。


 だが、その言葉だけでは足りなかった。


 俺をここまで引きずってきたものは、生への執着だけではない。


「違う」


『ほう?』


「俺は、ただ生きたいんじゃない」


 奪われた。


 家名を。


 領地を。


 信頼を。


 未来を。


 そして、命を。


 すべて奪われたまま、終わることだけは耐えられない。


『では、何を望む?』


 カイルの顔が浮かんだ。


 エルシアの涙が浮かんだ。


 ユリウスの穏やかな笑みが浮かんだ。


 俺を悪と決めつけ、死を喜んだ民衆の声が蘇る。


「俺を殺した連中を——」


 魂の奥底から、黒い炎が噴き上がった。


「俺と同じ場所まで、引きずり下ろしたい」


 一瞬の沈黙。


 やがて暗闇を震わせるように、ノアが笑った。


『素晴らしい』


 心臓へ突き立てられていた杭が、一本弾け飛ぶ。


『ならば、お前の命を半分寄越せ』


 漆黒の血管が、俺の魂へ伸びてくる。


『代わりに、妾の心臓を半分くれてやる』


「契約か?」


『そのような生温いものではない』


 黒い血管が、俺の魂へ突き刺さった。


 耐え難い熱が流れ込んでくる。


 ノアの怒り。


 憎悪。


 孤独。


 百年間、誰にも名前を呼ばれなかった苦痛。


 それと同時に、俺の感情もノアへ流れ込んでいく。


『妾が、お前を覚えよう』


 声が、すぐ耳元で囁いた。


『お前が妾を覚えている限り、妾は消えぬ』


 崩れかけていた魂が、黒い血管によって縫い合わされる。


『そして、妾がお前を覚えている限り——』


 止まっていたはずの鼓動が響く。


 どくん。


 それがノアの心臓なのか。


 俺の心臓なのか。


 もう区別はつかなかった。


『お前の終わりは、まだ訪れない』


     ◇


 歓声に包まれていた処刑台で、異変に最初に気づいたのは処刑人だった。


「ひっ……」


 男の口から、引きつった声が漏れる。


 首のない死体の指先が動いていた。


 石床を掻き、血の跡を残しながら、胴体がゆっくりと立ち上がる。


 民衆の歓声が止まった。


 広場を、悲鳴が塗り潰す。


「動いた……!」


「死体が!」


「魔物だ!」


 うるさい。


 百年ぶりに目を覚ましたような、ひどい気分だった。


 視界がない。


 それも当然だ。


 首はまだ、石床へ転がったままなのだから。


 俺は声の位置を頼りに歩き、自分の頭部を探す。


 靴の先に何かが触れた。


 屈み込み、髪を掴んで持ち上げる。


 自分の首というのは、思っていたより重かった。


 切断面へ戻す。


 黒い血管が伸び、首と胴体を縫い合わせていく。


 骨が軋む。


 肉が絡む。


 潰れていた右目が再生し、光が戻った。


 最初に見えたのは、青ざめたカイルの顔だった。


「レ、オン……?」


「よう」


 声帯の調子を確かめながら首を鳴らす。


「ずいぶんひどい顔だな、カイル」


 その名を呼ぶと、カイルが後退した。


「違う……」


「何がだ?」


「レオンは死んだ。お前は……レオンの身体を奪った魔物だ」


 笑いそうになった。


 俺が生きていてほしかったのか。


 死んでいてほしかったのか。


 こいつ自身にも、もう分からないのだろう。


「離れなさい、カイル!」


 エルシアが叫ぶ。


 こちらへ駆け出しかけた足を、ユリウスが片手で制した。


 大審問官だけは驚いていなかった。


 淡い金色の瞳で、俺の胸を観察している。


 最初から知っていた。


 俺が蘇ることを。


「やはり、心臓はあなたを選びましたか」


 ユリウスの呟きは、広場の悲鳴に紛れた。


 だが俺には聞こえた。


「処刑人」


 ユリウスが命じる。


「刑は、まだ終わっていません」


 背後から断罪剣が迫る。


 一度目よりも鮮明に、刃が空気を裂く音が聞こえた。


 振り向かない。


 逃げる必要もない。


 俺の中で脈打つ心臓が、何をすべきか教えている。


 言葉が溢れてくる。


 誰かから与えられたものではない。


 俺が奪われたすべて。


 認められない結末。


 魂の奥底に沈んでいた渇望が、詠唱となって世界へ流れ出す。


「奪われた」


 断罪剣が、首筋へ触れる。


「名を、誇りを、血を、明日を」


 刃が振り抜かれる。


 だが、俺の首は落ちなかった。


 黒い血管が皮膚を覆い、断罪剣を受け止めている。


「我が生涯は敗北に満ち、我が末路は他者の筆によって記された」


 俺はゆっくりと振り返る。


 処刑人が、断罪剣を引き抜こうとする。


 動かない。


 俺は刃を素手で掴んだ。


「されど認めぬ。断じて認めぬ」


 掌が裂け、黒い血が滴る。


 痛みはある。


 だが、もう俺を終わらせる痛みではない。


「死よ、我が終幕を騙るな」


 処刑台を中心に、赤黒い魔力が渦を巻く。


 空が翳る。


 民衆が息を呑み、カイルが聖剣へ手をかける。


「この首が落ちようと、この心臓が潰れようと——我が意志だけは、誰にも殺せない」


 視界の端に、少女の姿が現れた。


 艶やかな黒髪。


 深紅の瞳。


 尊大な笑みを浮かべたノアが、俺の肩へ手を置いている。


『さあ、宣誓せよ』


 俺は断罪剣を握る指へ力を込めた。


「ゆえに反転せよ——既定の結末」


 世界が、一瞬だけ静止した。


「第一階位——《宣誓》」


 心臓が鳴る。


 死そのものを嘲笑うように。


「《葬命反転・ネクロリベル》」


 《宣誓》。


 それは単なる呪文ではない。


 己の魂に刻まれた渇望を言葉へ変え、世界に対して存在の在り方を宣言する――異能を呼び覚ますための誓約だった。


 握り締めた断罪剣に、無数の亀裂が走った。


 次の瞬間。


 俺の首を落とした大剣が、ガラスのように砕け散る。


 黒い炎を帯びた破片が、処刑台へ降り注いだ。


 処刑人が腰を抜かす。


 エルシアは口元を押さえ、涙を流している。


 ユリウスは笑っていた。


 そしてカイルは——聖剣を握ったまま、俺を見つめている。


 俺は処刑台の上から、かつての親友へ笑いかけた。


「どうした、英雄」


 首に残った傷を、親指でなぞる。


「悪役を倒したんだ」


 黒い炎が、俺の背後で燃え上がった。


「もっと嬉しそうな顔をしろよ」

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


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