第3章 第1話:選民の学舎
「パパ、本当に行っていいの……?」
アイギス中央駅のプラットフォーム。豪華な装飾が施された管理局専用列車の前で、リナがカイルのシャツの裾をぎゅっと握りしめていた。
周囲には、同じように「特別選抜生」として選ばれた子供たちと、誇らしげな顔をした親たちが集まっている。その多くは中流以上の魔導士階級であり、カイルのような泥にまみれた作業服姿の男は、それだけで異質な存在だった。
「ああ、リナ。あそこはパパのような無能とは違う、すごい人たちがたくさんいる場所なんだ。リナならきっと、素敵な魔法使いになれるよ」
カイルは膝をつき、娘の目を見て優しく笑った。その瞳には、今にもこぼれ落ちそうな涙が湛えられている――完璧な、愛娘との別れを惜しむ父親の演技だ。
背後では、レイスがその光景を氷のような瞳で見つめている。
「カイルさん、時間は厳守です。リナちゃんは国家の資産として、正しく管理されなければならない」
「わかっています、レイスさん……。あの子を、あの子をどうかよろしくお願いします」
カイルはレイスに向けて、衆人環視の中で深々と頭を下げた。周囲の親たちから「あんな無能の親を持つなんて、あの子も苦労するわね」という蔑みの視線が刺さる。カイルはその屈辱を、上質なスパイスのように飲み込んだ。
列車が動き出し、リナの小さな手が窓から振られる。
カイルは、列車が見えなくなるまで、ずっとその場に立ち尽くしていた。
翌朝。
『聖アイギス中央魔導院』の裏門。
そこには、昨日の「哀れな父親」の面影を微塵も感じさせない、冷徹な眼差しをしたカイルの姿があった。
「今日から清掃員として雇われた、カイルだ。よろしく頼む」
カイルは名簿を受け取り、管理用の灰色の作業着に袖を通した。
レイスはカイルを「監視下」に置いたつもりだろうが、カイルにとっては、この学院こそが、管理局の急所を突くための最前線だった。
学院内部は、カイルが住む下層階級とは別世界だった。
廊下には常に清浄な魔導空調が流れ、壁一面には古代の英雄たちを讃える魔導絵画が飾られている。行き交う学生たちは、若くして高度な術式を操るエリートたちだ。
彼らにとって、通路で床を磨いているカイルは、動く障害物と大差なかった。
「おい、そこの清掃員。邪魔だ、どけ」
銀色の刺繍が入った制服を着た少年が、カイルを突き飛ばすように通り過ぎる。
カイルはわざとらしくバランスを崩し、モップを投げ出して床に手をついた。
「あ、ああ……申し訳ありません、エリート様」
少年の足元で、カイルは密かに『理』を走らせた。
(……こいつの魔力回路、人為的に拡張されているな。それも、かなり乱暴なやり方だ。管理局め、子供たちをただの蓄電池にでもするつもりか)
清掃を続けながら、カイルは学院の構造を脳内にマッピングしていく。
一見、平和な学びの舎に見えるこの場所だが、地下深くからは、絶えず不気味な「魔力の震え」が伝わってくる。それは、カイルがかつて戦場という地獄で何度も耳にした、魂を削り取る術式の音だった。
夕暮れ時、カイルは人気のない中庭の清掃を任された。
そこは、選抜生たちの寮へと続く道。
「パパ……?」
不意に、聞き慣れた小さな声が響いた。
振り向くと、そこには少しサイズの大きい制服を着たリナが、不安げに立っていた。
「リナ。……パパだよ。びっくりしたかな?」
カイルは周囲に誰もいないことを確認し、リナに駆け寄った。
「パパ、どうしてここにいるの? お仕事?」
「ああ、パパはね、リナの近くで見守りたかったんだ。でも、内緒だよ。他の先生たちにバレたら、パパは怒られちゃうからね」
カイルがリナの頭を撫でようとした、その時。
「——感動の再会を邪魔して済まないね」
木陰から、一人の男が姿を現した。
レイスではない。もっと若く、傲岸不遜な笑みを浮かべた男。胸元には、学院の「主任教官」を示す金色の徽章が輝いている。
「キミが、あの『Gランク』の父親か。なるほど、清掃員として紛れ込むとは、親心というやつかな? だが、ここは聖域だ。無能な者が汚していい場所ではない」
教官はリナの肩を抱き寄せ、カイルに向けて冷ややかな視線を送った。
「リナちゃんは、我々が責任を持って『再定義』する。キミのような失敗作の血を、完璧に洗い流すためにね」
カイルの握りしめた拳が、かすかに震える。
それは恐怖ではなく、溢れ出しそうな「理」を抑え込むための震えだった。
「……そうですか。よろしくお願いします、先生」
カイルは深く頭を下げた。
去っていく教官の背中を見つめながら、カイルは心の中で囁いた。
(……再定義、か。面白い。なら、この学院の理そのものを、俺が根底から書き換えてやろう)
アイギスの空に、不気味な月が昇り始めていた。




