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理(ことわり)を綴り直す無能  作者: 最後に残った形
本編

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第2章 第2話:無能の証明


 アイギスの北壁に位置する資材集積所。

 カイルは今日も、泥と油にまみれて魔導石の搬入作業に従事していた。

 数百メートル離れた監視塔の上。そこには作業服を模した術者用の防護服を纏ったレイスが、高性能の遠隔観測器を手に、カイルの挙動をミリ単位で追っている。


(……カイル・ヴァン・クロムウェル。お前がどれほどの演者であれ、脊髄反射まで制御することはできまい)


 レイスは手元の魔導端末を操作し、集積所の中央で稼働している大型の自動運搬重機『ギガント・キャリア』の制御回路に、極微細な「論理エラー」を流し込んだ。

 それは、管理社会の死神が仕掛けた、冷徹な実験だった。


 「……なんだ? 重機の音が変だぞ」

 同僚の労働者が顔を上げた瞬間、重低音を響かせていた『ギガント・キャリア』の魔導核が、どす黒い赤色に発光した。

 「暴走だ! 全員離れろ!」


 安全装置が焼き切れた巨躯が、制御を失って暴れだす。数トンもの魔導石を積んだアームが周囲をなぎ払い、資材の山が崩落した。逃げ遅れた若手の作業員が、倒壊する鉄骨の下敷きになり、逃げ場を失う。


 カイルの視界に、その光景が飛び込んできた。

 (……始まったか。稚拙な罠だ、レイス)


 カイルは『理』を通じて、重機の回路にレイスの署名シグネチャが残った魔導ウイルスが干渉していることを即座に理解した。今、指を一度鳴らせば、重機の物理運動を「停止」という結果に上書きできる。だが、それでは監視塔の上の死神に、望み通りの「正体」を差し出すことになる。


「た、助けてくれ、カイルさん!」

 鉄骨に脚を挟まれた若者が悲鳴を上げる。その頭上に、暴走した重機の巨大なローラーが迫っていた。


「うわあああ! 助けてくれええ!」

 カイルは叫んだ。それは救いを求める叫びではなく、腰を抜かし、恐怖に顔を歪ませた「無能」の絶叫だった。


 彼はあえて、瓦礫の山へと無様に突っ込んだ。

 転倒し、転がり、滑稽なほど手足をバタつかせる。

 だが、その一連の「無様な動き」こそが、古代の理に基づいた緻密な計算だった。


 カイルが転んだ拍子に蹴飛ばした小さな石が、因果律の連鎖を引き起こす。

 石が跳ね、別の資材を支えていた楔を弾く。

 偶然を装って崩れた資材の束が、絶妙な角度で重機のキャタピラに食い込み、その進行方向をわずか数センチだけ逸らした。


 ズドォォォォォンッ!


 巨大なローラーは、若手作業員の数ミリ横を通り過ぎ、地面を深く抉って停止した。

 

(……ふぅ。これで「偶然」助かった、という理の構築は完了だ)


 カイルは泥だらけの顔で這い出し、震える声で若者に駆け寄った。

「あ、ああ……よかった。生きてるか? 僕はもう、死ぬかと思ったよ……」


 監視塔の上で、レイスは観測データを凝視していた。

「……生体反応、異常なし。筋肉の動き、逃走のための迷走神経反射。魔力の漏出……ゼロ」

 レイスの指が、端末の画面を叩く。

「すべてが『偶然』の結果だというのか? 崩落した資材の位置、石の跳ね方。……これが計算だとしたら、神の領域だ。だが、この男はただ腰を抜かして転んだだけにしか見えない」


 レイスの合理的な思考が、目の前の光景を否定しようとする。

 しかし、理屈ではない「違和感」が、彼の背筋をなぞっていた。

 完璧すぎる偶然は、必然と区別がつかない。


 騒動の後、管理局の救護班が到着し、現場は騒然となった。

 カイルは「腰を痛めた」と言い張り、隅の方でうずくまって茶を啜っている。その姿は、英雄のそれとは程遠い、ただのくたびれた中年男だった。


 夕暮れ時。

 片付けを終えてアパートに戻るカイルの前に、隣人のレイスが現れた。

 「カイルさん、災難でしたね。仕事場で大きな事故があったと聞きました」


「ああ、レイスさん……。もう、寿命が縮まりましたよ。やっぱり僕みたいな無能は、運だけが頼りですね」

 カイルは情けなく笑ってみせた。


「……運、ですか」

 レイスの瞳が、カイルの汚れた作業服の裾を射抜く。

「不思議ですね。あんなに激しく転んだのに、あなたの衣服の『破れ方』は、致命的な怪我を避けるための合理的な形をしている。まるで、どこを滑れば安全かを知り尽くしているかのように」


「ははは、考えすぎですよ。僕はただ、転び慣れてるだけですから」

 カイルはレイスの横を通り過ぎ、自室のドアに手をかけた。


「カイル・ヴァン・クロムウェル。……いつか、あなたの『運』が尽きる時を楽しみにしていますよ」

 背後でレイスが静かに告げた。


 部屋に入り、扉を閉めた瞬間。

 カイルの表情から、一切の情動が消えた。

 彼は鏡を見ることもなく、闇の中に立ち尽くす。


(……執拗だな、レイス。だが、次はもう少し面白い芝居を用意してくれ)


 カイルの指先が、暗闇の中で一瞬だけ虹色の光を放った。

 それは、今日という一日の「欺瞞」を祝うかのような、不気味で美しい光だった。

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