番外編① レイナの妃教育
結婚式から3週間後の穏やかな午後、クリスとレイナは静かな書斎で、紅茶を飲みながら妃教育のことを思い出していた。
宮廷からの正式な通知は、意外なものだった。
「レイナ様には、従来のような妃教育は必要ない」
彼女が3歳から聖女として城で育ち、王室の一員としての振る舞いを既に身につけているという理由だった。
しかし、レイナは謁見の間でエドワルド王の前にひざまずき、静かに、しかし力強く語った。
「私は……確かにこの城で育ちました。アルドリック様の優しさに守られ、皆様の愛情に包まれて。でもそれは、私が何もしなくてもいいということではありません。むしろ、頂いたものに報いるためには、妃として改めて学ぶ必要があると思いました」
彼女の真摯な言葉に、エドワルド王は深く頷き、最小限の教育を許可した。
それは形式ではなく、レイナが自然に身につけた宮廷の知識を整理し、深めるための時間となった。
学習室では、老女官マーガレットが厳格ながら慈愛に満ちた指導を続けていた。
「では、儀式における立ち居振る舞いについて確認いたしましょう」
レイナは背筋を伸ばし、これまで無意識に行ってきた動作を、改めて意識的に再現してみせた。
お辞儀の角度、歩幅、扇子の扱い方。
ひとつひとつが、20年近くこの城で過ごしてきた者だけが持つ自然な優雅さに満ちていた。
「レイナ様の所作は、すでに完璧に近いものです」
マーガレットは感嘆の息を漏らした。
教育は順調に進み、やがて王国の根本的な仕組みについての話題に及んだ。
「ではお尋ねします。現在のアルドリア王国における王位継承順位はどのようになっておりますでしょうか?」
「1位はウィリアム王太子殿下、2位はクリス様です」
レイナは迷いなく答えた。
その時、偶然通りかかったクリスが部屋に入り、優しい笑顔で訂正する。
「アルドリア王国では、基本的に第一王子とその直系が優先される。1位は兄上のウィリアム、2位は兄上の息子であるジョージ王子、3位は僕になるんだ」
レイナの目が少し見開かれた。
「ジョージ王子が……?」
「そう。父上や兄上が万一の時はジョージが継承する。彼が未成年なら、僕が補佐する」
クリスの説明は明快だった。
レイナは思案し、新たな疑問を口にする。
「クリス様の『王子公爵』という爵位は、どのようにできたのですか?」
クリスは苦笑いを浮かべ、窓辺に歩み寄る。
「父上と兄上が作ったんだ。大臣や重臣たちとの話し合いで決まった。今の宮廷は王族の役割が増え、一人でも欠ければ回らなくなりつつある」
「領地は?」
「形式的には北部の小さな領地があるが、実際の統治は現地の執事が行っている。僕はここで兄上や父上を支えることに集中している」
クリスは振り返り、レイナに向き直った。
「『王子公爵』は仮の称号だ。父上が『考えるのが面倒になった』らしく、もう5年以上、正式な名称に変わらない。母上も『いつまで仮のままでいるつもり?』と呆れているよ」
レイナも微笑んだが、すぐに真剣な表情で聞いた。
「クリス様はこの立場について、どうお考えですか?王位継承順位三位でありながら公爵であり、重要な役割を担っている……」
クリスは黙考し、ゆっくり答えた。
「僕はこの立場に満足している。兄上が立派な王になることを信じ、そのサポートに徹したい。ジョージも必要なら支えたい」
彼はレイナの目を真っ直ぐに見つめ、言葉を続けた。「そして、これからは君も一緒に、この国を支える一員になる。妃として学ぶ君の意思、僕はとても嬉しく思っている」
レイナの頬がほんのり赤くなり、彼女は深く頷いた。「私は……クリス様の妃として、笑顔と希望を届ける聖女として王国を支え、この国と王室に尽くしたいのです。そのために、しっかり学ばせてください」
マーガレットがそっと退出し、2人だけの時間が流れた。
クリスはレイナの手をそっと握り、その温もりを確かめるようにした。
「君が城に来た日から、僕は君のことを見てきた。小さな聖女が、いつか僕の隣に立つ日が来ると信じていた」
レイナの目に涙が光った。彼女はうなずき、小さな声で言った。
「クリス……私は、あなたと共に歩むこの道を、心から誇りに思います」
窓から差し込む午後の光が、2人を優しく包み込んだ。アルドリア王国の未来を支える2人の決意を祝福するかのようだった。




