番外編② アルドリア王国の午後のお茶会
アルドリア王国の宮廷庭園では色とりどりの花が咲き競い、柔らかな陽光が白い大理石のテラスを優しく照らしていた。
結婚してから3ヶ月が経ったレイナは、侍女長を務める母エラとともに、アメリア王妃が主催するお茶会に招かれていた。
「最近はどうですか、レイナ?新婚生活は順調ですか?」
アメリア王妃が優しい笑顔で尋ねると、レイナはほんのり頬を染めて答えた。
「はい、クリスはとても優しくて……でも、時々、突然『花を見に行こう』と言って、真夜中に庭園を散策することがあるんです」
目尻に笑いじわを寄せながら、レイナは続けた。
「先日など、満月の夜に『月明かりで咲く薔薇を見たい』と言い出しまして。侍女たちに内緒で抜け出そうとしたので、慌てて止めました」
アメリア王妃は楽しそうに笑った。
「あら、クリスらしいわね。小さい頃から、思い立ったらすぐ行動に移すところがあったもの。でも、妃であるあなたがしっかりしていてよかったわ」
エラが紅茶のカップを置き、口を挟んだ。
「トーマスも最近、『娘が王子公爵妃になったから、もっと勉強しなければ』と言って、夜中まで法律書や宮廷史を読んでいますよ。私は『もう次席補佐官なのに、それ以上何を学ぶの?』と聞くのですが……」
エラはため息をつきながらも、どこか誇らしげな表情を浮かべた。
「『レイナが立派な妃として成長している。父として、それに恥じないよう精進しなければ』と言うんです。主人がそんなに勉強熱心だと思いませんでした」
3人の女性たちの笑い声が、庭園に響いた。
そこで、王妃は思い出したように、ウィリアム王太子の縁談騒動の話を始めた。
「そういえば、クリスの時も大変でしたが、ウィリアムの縁談騒動はそれ以上だったんですよ」
レイナとエラが興味深そうに身を乗り出すと、王妃は少し遠い目をして語り出した。
「クリスは当初縁談の話が来るたびに、『必要ありません』の一言で断り続けました。説明もなく、ただひたすら拒否するので、エドワルドも私も手を焼きましたわ。レイナ……あなたのことを想っていることに気がつき見守ることにしました」
「でもウィリアムは……違ったんです」
アメリア王妃の表情が少し複雑になった。
「ウィリアムは、縁談の相手と会うことはしました。ですが、まるで審査官のように、事前に質問リストを作成して臨むのです。『この女性は母のように王室を支えることができるでしょうか?』『この方は、次期王妃としての責任を理解していますか?』『外交儀礼についてどの程度の知識をお持ちですか?』」
レイナが驚いたように目を見開いた。
「それは……かなり厳しい評価ですね」
「そうでしょう?」
アメリア王妃は深く頷いた。
「私は彼を呼び寄せて言いました。『ウィリアム、最初から完璧な妃はいません。私も最初は何もわからなかった。あなたと相手が、少しづつ一緒に、相応しい国王と王妃になっていけばいいのです』」
王妃は当時を思い出しながら、優しい笑みを浮かべた。
「その時、ウィリアムははっとした表情を浮かべたのを覚えています。『母上……そうでしたか。完璧であることを求めすぎていたかもしれません』と」
エラが感心したようにうなずいた。
「それで、縁談は上手く進んだのですか?」
「その後、多くの縁談が集中していたため、大規模な舞踏会を開催しました。縁談相手を含む複数の令嬢を招待し、ウィリアムが直接接する機会を作りました」
レイナが微笑んで言った。
「開催した舞踏会で、縁談相手の中から決めたのですね?」
アメリア王妃は再び深いため息。
「それが……選んだ相手は、縁談リストには入っていなかった令嬢だったんです」
アメリア王妃の言葉に、エラが驚いて息を呑んだ。
「リストに入っていない?」
「そうです。ダイアナという、伯爵家の令嬢でした。彼女は縁談リストには入っていなかったのですが、友人の令嬢に誘われて舞踏会に参加したのです」
レイナが嬉しそうに言った。
「それで結婚が決まったのですか?それは素敵な話です」
「素敵ですが、大変でした」
アメリア王妃は滑稽な表情で手を広げた。
「候補外から選んだことにより、各方面からクレームがきました。『なぜリストに入っていない令嬢が?』『他の家はどうなる?』『王室の縁談はもっと慎重に』……エドワルド王と私は、説明に追われましたよ。でもウィリアムは『母上がおっしゃった通り、完璧な王妃など最初からいない。ならば、共に成長できる方を選びたい』と言って一歩も引きませんでした」
エラが笑いをこぼす。
「でも、今ではダイアナ妃はとても素敵な王太子妃ですよね?ウィリアム王太子も幸せそうです」
「そうですね」
アメリア王妃は満足そうに頷いた。
「ダイアナは、ウィリアムの『真面目すぎる』部分を柔らかく包み、子供たちにも優しい母親です。あの舞踏会での一目惚れが、結果的に最良の選択だったかもしれません」
ちょうどその時、庭園の入口から、優雅な姿が現れた。
ダイアナ王太子妃が、淡いピンクのドレスを着て、微笑みながら近づいてきた。
「ごめんなさい、遅くなりました! 子どもたちがなかなか寝付かなくて……」
ダイアナ王太子妃が、少し息を切らせながら入室してきた。
「ダイアナ!」
アメリア王妃が笑顔で手を振った。
「ちょうどあなたの話をしていたところよ」
ダイアナは少し困惑した表情を浮かべながら席に着いた。
「まさか……またあの『候補外の令嬢』エピソードですか?」
3人の女性たちは顔を見合わせて、一斉に笑い出した。
「ごめんなさい、ダイアナ」
アメリア王妃は涙を拭いながら言った。
「でも、あの話はいつ聞いてもほっこりするのよ」
ダイアナは紅茶のカップを手に取り、遠い目をして語り始めた。
「私だって、まさか王太子殿下に一目惚れされるなんて思ってもみませんでしたから。私はそもそも、『候補』として招待されたわけではありませんでした。舞踏会の招待状は届いていましたが、行く予定はなかったのですが、友人の令嬢に『ただ楽しみに行こうよ』と誘われて参加したのです。まさか王太子殿下と踊ることになるとは思ってもいませんでした」
エラが興味津々に身を乗り出した。
「一目惚れだったのですか?ウィリアム王太子様から?」
「ウィリアムは後でこう言いました」
ダイアナの頬がほんのり赤らんだ。
「『君が笑っているのを見た瞬間、宮廷のすべてのろうそくの炎が一斉に揺らいだように感じた』と。でも実際には……」
彼女は少し間を置き、微笑んだ。
「最初の一言は、もっと現実的でした。私が『殿下、このダンス、少し堅苦しいステップではありませんか?』と言うと、ウィリアムは真面目な顔で『宮廷のダンスは伝統に則った形式が重要です』と答えたのです。そこで私は『でも、伝統も時には息抜きが必要では?』と言い、ほんの少しステップを変えてみせました」
レイナがくすりと笑った。
「それで王太子殿下は?」
「最初は驚いた顔をしていましたが……すぐに笑顔になり、私のリードに合わせてくれたのです」
ダイアナの目が優しく細まった。
「その一曲の間に、彼は三度も笑いました。側近たちは後で、『殿下が一晩でそんなに笑うのを見たのは初めてだ』と驚いていました」
2曲目を踊っている時、ウィリアムが『君はどこから来たのですか?どうして今まで会ったことがなかったのか』と尋ねたので、『私は候補リストには入っていない、ただ友人誘われてきました』と答えたら、彼は『それが不思議だ。君こそがリストの一番上にいるべきだった』と言ってくれたんです。
アメリア王妃が感慨深げに頷いた。
「ウィリアムは幼い頃から真面目すぎる子でした。王太子としての責任を早くから意識し、楽しむことを忘れがちだった。ダイアナが彼に与えたのは、愛だけではなく、人生の軽やかさだったのです。あの舞踏会の後、ウィリアムが『母上、あの女性とまた話がしたい』と言ってきた時、私は初めて彼の目の中に、王太子としての責任以外の輝きを見た気がしました」
ダイアナは照れくさそうにうつむき、そっと紅茶のカップを回した。
「私もウィリアムから多くのことを学びました。責任の重さ、伝統の意味、国のために生きること……私たちはお互いを高め合っているのだと思います」
その時、遠くから子どもたちの楽しそうな声が聞こえてきた。
ジョージ王子とアン王女が、乳母と庭師に連れられて庭園の花を見て回っているようだ。
アメリア王妃が優しく微笑んだ。
「どの兄弟も、それぞれの個性を持っているわ。ウィリアムの真面目さ、クリスの自由さ……どちらもこの国にとって必要なものよ。そして今、2人とも素敵な伴侶に恵まれた」
王妃はレイナとダイアナを交互に見つめ、慈愛に満ちた表情で続けた。
「あなたたち2人がこの城に来てくれたことで、王室は以前よりも明るく、温かくなった。エドワルドも、最近はよく笑っているわ」
エラが感激したように目頭を押さえた。
「レイナが幼い頃からお世話になり、今こうして王妃様や妃様方とお茶をいただける……夢のようです」
「お母様」
レイナがそっとエラの手を握った。
「これからも、たくさんお話を聞かせてください。私はまだ学ぶことがたくさんありますから」
ダイアナがうなずき、優しく言った。
「私もそうです。アメリア様からはもちろん、レイナ様からも……聖女としての経験は、私にはないものですから」
アメリア王妃が満足そうに4人を見渡した。
「これからも、こうして時々おお茶会を開きましょう。私たち女性だけで、ゆっくり話せる時間は貴重ですから」
テラスでは、紅茶の香りと笑い声、そして深い絆で結ばれた女性たちの温かい会話が、午後の時間をゆっくりと彩っていく。
遠くでは、ジョージ王子の楽しそうな声が響き、新しい世代の成長を感じさせた。
アルドリア王国の未来は、こうした穏やかで温かい時間の積み重ねによって、確かに築かれていくのだろう。
レイナはそっとカップを傾け、紅茶の温もりとともに、この幸せな瞬間を心に刻んだ。
彼女の新しい人生は、こうした小さな幸せの積み重ねから始まっているのだと、静かに実感するのであった。




