第22話 聖女レイナ8歳編 レイナのピクニック大作戦
レイナが8歳のある朝、王国はいつも以上に活気に満ちていた。
庭の花びらが風に舞い、まるで祝福の紙吹雪のようだ。
朝食の間、レイナは金色の巻き毛を揺らしながら、玉座に座るアルドリック王の元へ駆け寄った。
「おじいちゃん王様!」
王は温かい目でレイナを見下ろした。
「おはよう、レイナ。今日も元気そうだな」
「うん! ねえ、お願いがあるんだけど……」
レイナは目をきらきらさせて言った。
「今日、みんなでピクニックに行かない? パパとママと、それから……城のみんなも!」
王は眉を上げた。
「城のみんな、と?」
「そう! 騎士さんたちも、お料理を作ってくれる人たちも、お掃除してくれる人たちも!」
レイナは興奮して手を振りながら説明した。
「だって、みんないつも働いてから、たまにはお外でごはん食べようよ!」
その時、ちょうど広間に入ってきたローレンス騎士団長が思わず足を止めた。
エラとトーマスも、朝の仕事の準備をしていたが、レイナの言葉に顔を見合わせた。
王はしばらく考え込むふりをしたが、目尻の皺が深くなるのを隠せなかった。
「ふむ……では、城の業務が一時的に止まることになるが……」
「大丈夫だよ!」
レイナは即座に答えた。
「レイナが『はなぱっちんおまじない』で、あとでみんなの仕事を手伝ってあげるから!」
その言葉に、広間にいた廷臣たちから思わず笑い声が漏れた。
レイナの「おまじない」は、実際には奇跡的な効果をもたらすことが知られていたが、彼女自身はそれを単なる「お手伝いの魔法」だと思い込んでいた。
王は重々しくうなずいた。
「よかろう。では、今日は半日、城を閉じよう。全員でピクニックに行くのだ」
城全体が歓声に包まれた。
次の2時間、城は大騒ぎになった。
厨房では、普段は王族専用の料理を作る料理長が、大声で指示を飛ばしていた。
「全員分のサンドイッチを! しかも一番美味しいやつを!」
トーマスは、温室からイチゴや新鮮な野菜をかごいっぱいに摘み取っていた。
騎士たちは、普段の鎧を脱ぎ、より軽装で護衛の準備をしていた。
ローレンス騎士団長は困ったように頭をかいた。
「全員の護衛となると……まさか全騎士団を動員するわけには……」
「いや、今日は護衛はいらない」
振り返ると、アルドリック王が立っていた。
「今日は、王も騎士も廷臣もない。ただのピクニックだ」
こうして、正午少し前、王国史上最も異例の行列が城門を出た。
先頭にはレイナが王の手とクリス王子の手を繋ぎ、ウィリアム王子その後にトーマスとエラ、そして城の使用人、騎士、廷臣たちが続いた。
総勢80人以上!
道を行く人々は「王様の行列が……なぜみんな私服で……しかも笑っている?」と驚きの目を丸くしました。
目的地の丘に着くと、レイナはすぐに指揮をとり始めました。
「騎士さんたち、シートを広げて! お料理係のお姉さんたち、ここに食べ物を並べて!」
普段は厳格なローレンス騎士団長でさえ、レイナの指示に「はいはい。レイナ様」と従い、シートを広げるのを手伝った。
料理長は自慢のサンドイッチやケーキを並べ、庭師たちが持ってきた新鮮な果物が彩りを添えた。
最初はぎこちなかった空気も、食べ物が配られ始めるとすぐに和んだ。
若い侍女と騎士が隣同士で座り、照れくさそうに会話を始めた。
年配の廷臣たちは木陰で談笑し、普段は接点のない者同士が思いがけない共通点を見つけて驚いていた。
レイナはあちこちを駆け回り、誰もが楽しんでいることを確認していた。
「ねえ、おじいちゃん王様」
レイナは王の隣に座り、ほっぺたをイチゴでいっぱいにしながら言った。
「みんな、とっても楽しそうだね」
王は周囲を見渡した。
確かに、城では見たことのない笑顔がそこかしこにあった。
廷臣たちがリラックスして笑い、騎士たちが鎧を脱いだ軽装でくつろいでいる。
「レイナよ、お前は今日、城に一体何をもたらしたと思う?」王は静かに尋ねた。
レイナは首をかしげた。
「え? ただのピクニックじゃないの?」
その時、突然風が強くなり、敷いていたシートの端がめくれ上がりそうになった。
近くにいた若い騎士が飛びついて押さえようとしたが、同時に侍女も手を伸ばし、2人の手が偶然触れ合った。2人は顔を赤らめてすぐに手を離したが、周囲からは温かい笑い声が上がった。
「見てよ、おじいちゃん王様!」
レイナは指をさして笑った。
「あの2人、仲良しそう!」
王は深くうなずいた。
「そうだな……どうやら、お前は単なるピクニック以上のものをもたらしたようだ」
午後も半ばを過ぎた頃、レイナは再び動き出した。
「ねえ、みんな! ゲームしようよ!」
彼女の提案で、全員参加の「王様じゃんけん」が始まった。
ルールは単純。
レイナが「王様」で、彼女にじゃんけんで勝ったら役職が上がり、負けたら下がるというもの。
ただし、今日に限り、最終的に「王様」になった人は、本当の王に一日だけの特典をお願いできるという。
そして最終的に「王様」に残ったのは、なんと、城で最も無口な老庭師だった。
老人は照れくさそうに前に出ると、アルドリック王に向かって言った。
「陛下……わたくしの願いは……毎週水曜日の午後、温室でお茶会を開く許可をいただきたいのです。
庭師仲間と……」
王は驚いたが、すぐに温かくうなずいた。
「よかろう。許可する」
その瞬間、庭師たちから歓声が上がった。
レイナは飛び跳ねて喜び、「やったー!」と叫んだ。
その後もレイナは、疲れて休んでいる人々の周りをそっと歩き回った。
彼女が通るたびに、草花が少しずつ生き生きとし、木陰が心地よく広がっていくのが感じられた。
誰も気づかない小さな奇跡。彼女の存在そのものが周囲に穏やかな祝福をもたらしていた。
日が西に傾き始めると、一行はゆっくりと城へ戻り始めた。
帰り道も笑い声が絶えず、普段は交わさない会話がそこかしこで聞こえた。
城門の前で、アルドリック王は全員に向かって言った。
「今日は特別な一日であった。これを機に、城の空気も少し変わるかもしれんな」
廷臣たちは深く礼をしたが、その表情にはいつもより柔らかさがあった。
夜、レイナが寝る前に、エラが娘の部屋を訪れた。
「今日はどうだった?」
エラはベッドの端に座り、レイナの髪をそっとなでた。
「とっても楽しかった!」
レイナは目を輝かせて言った。
「みんな笑ってたね。騎士さんも、お料理の人も、みんな!」
トーマスも入ってきて、娘の額にキスをした。
「レイナは本当にすごい子だ。今日、お前は城のみんなを一つにしたんだよ」
レイナは眠そうにまばたきをした。
「またやろうね……またどこかに行きたいな……」
彼女が眠りにつくと、エラとトーマスはそっと部屋を出た。
廊下で、2人はアルドリック王に出会った。
王は窓の外を見つめ、満天の星を眺めていた。
「陛下」
トーマスが声をかけると、王は振り返って微笑んだ。
「今日は良い日だった。レイナは……彼女の優しさで、この城に新しい風を吹き込んでくれた」
ローレンス騎士団長が近づいてきて報告した。
「陛下、今日のピクニック中、事件も事故もありませんでした。むしろ……部下たちの士気が、不思議と高まっているようです」
王は深くうなずいた。
「時には、鎧を脱ぎ、立場を忘れることも必要だということだな」
その夜、城の多くの者が、今日のことを思い出しながら眠りについた。
13歳のクリス王子は、その日のピクニックでレイナと手を繋ぎながら歩いたことを、いつまでも大切な記憶として胸に刻んだ。
彼はレイナの無邪気な提案が、城の堅い階級の壁をほんの少し溶かしたことを、幼いながらも感じ取っていた。
そして、自分もレイナのように、城をより温かい場所にするために何かしたいと思った。
20歳のウィリアム王子は、ピクニックの帰り道、ふと気づいた。
いつもは緊張した空気が漂う城で、今日は誰もが自然に笑っていた。
彼はレイナの純粋な心が、大人たちの頑な心をほぐす力を持っていることに感嘆した。
そして、自分が将来王になった時、レイナのような柔らかな心で国を治めることができるだろうか、と深く考えた。
そして翌日から、城の空気は確かに少し変わっていた。
階級の違う者同士が軽く挨拶を交わし、厨房と騎士団の間でレシピの交換が始まり、庭師たちは水曜の午後のお茶会を楽しみに働いた。
レイナは相変わらず、朝になると「はなぱっちんおまじない」を求める廷臣たちの列に囲まれていたが、今ではその列の中に、笑顔で話しかけ合う様々な身分の人々の姿が見られた。
8歳の聖女が提案したたった一日のピクニックは、王国の城に小さながら確かな変化をもたらしたのだった。そしてレイナは、今日も城の誰かを笑顔にしようと走り回っていた。




