第三章 ミコさま
古びた本殿。
杉の大木が何本も立っている。
左側に鳥居が見える。私と彼女はその参道の真ん中あたりにいるようでした。
そして、周りを見回すと……。
8人。
錫杖を持った男性が私の周りを取り囲んでいる。皆、揃いの紺染めの半被のようなものを着ている。
いや、違う。私じゃない。彼女の周りです。
「もう大丈夫っさけ。よう頑張った。よう頑張ったぞ。」
男性の一人がしわだらけの顔に笑みを浮かべ、私を抱き起して、その輪の外へと出してくれました。
安堵のあまり、私の両目からみるみる涙がぼろぼろとこぼれます。
シャン。
彼女の周りの男衆は錫杖を雪の地面にどんっ、と打ち付けました。
彼女がまた、耳をふさぎ悲鳴を上げています。
すると、今度はその男衆がその錫杖をリズム代わりにして歌を歌いだしたのです。
ハァーエードーエ……
かんとうにナーヨーエ……
女の悲鳴がさらにつんざくようになり、ごろごろと何度も転がります。
民謡でしょうか。見事な歌声なのに、この女にはまるで毒のようでした。
のぼりのナーエ……
このあたりまで歌ったところで、彼女の身体に異変が起き始めました。
「おおぉうぼおおおぉえええぇっ」
ぼこ、ぼこぼこぼこ。
口から目から鼻から。どす黒いいタールのようなものを吐き始めたのです。
そしてシュウシュウと音を立てたそれは徐々に煙と化し……大きな人の形を為し始めた。
着物のようなものが見える。女だ。ぼさぼさの髪をゆらゆらとなびかせ、眼の当たりにはぽかりと白い穴が空いている。
するとそれは、大きな口を開け……、
おおのおぉれええぇえええ。
何人もの声が重なったような、おぞましい声を上げました。
私はすっかり腰を抜かしてしまいました。
そこには白い穴しか見えません。しかしその煙は確かに、怒りの顔をあらわにして私を睨みつけているのです。
傍らで介抱してくださっている初老の男は「大丈夫、大丈夫だ」と、なんともないような顔をして、私の背中をさすってくれています。
すると今度は……。
じゃらり。じゃらり。
いくつもの数珠が重なったような音がしました。
振り返ると老婆が一人、そこに立っていた。
いつの間にやってきたのでしょうか。
白装束を着て、そこに男衆と同じ紺の半被。背中には弓のようなものを紐でしょっている。左手にはまるで川で拾ってきた流木のような形をした杖をつき、右手はその音の元だったと思われる数珠。そして目が真っ白に濁っている。
(目が見えない方だ……)
私は直感しました。
すると男が老婆に、声をかけたのです。
「ミコさま。このような、わざわざお出にならねでも良がったですよ」
するとミコさま、というらしいその老婆は見えてないはずなのにぴっと私を指さしこう応じます。
「その子の声さ聞ごえたんでよぉ。それにアレは、俺が付げんなば。」
どうも老婆は『自分が片をつけなければならない』と言ったように思えました。
取り囲んでいた7人は錫杖を彼女と煙まがいのものに向けたまま、ミコさまの方を見ています。
いつしか、歌がやんでいました。
するとミコさまは数珠を腕にかけ、ひらりとしょっていた弓を手に持ち替えビン、ビンと鳴らし始めたのです。そして何か祝詞?呪文?のようなものを唱え始めました。
すると……
ひっ。
真っ黒な煙がびくりと、まるで何かにおびえているような動きをしだしたのです。
みるみる小さくなっていく。
思わず安堵した……しかしその、次の瞬間でした。
「ぐっ」
取り囲んでいた7人のうちの一人が突然、顔をおさえ後ろに吹き飛ぶようにして尻もちをついたのです。
「!」
私は目を疑いました。
いつの間にか、今度はあの「新しい彼女」のほうがのろりと立ち上がって今度はカッターナイフを振り回していたのです。
尻もちをついた男は頬のあたりを切られてしまっていました。しかしすぐに起き上がり、切られた頬の血もそのままにまた錫杖を握りしめています。
彼女の周りにはあのタールのような煙。
小さくなったのではなかったのです、あの彼女の身体に再び入っただけだったのです。
「ふっ……うふふふふふ」
彼女は完全に正気を失っているように見えました。白眼を剥き、口から涎を垂らし、くねくねとまるでその煙によって操られているような変な動きをしています。ゆっくりとした動作に見えるのですが人とは思えぬ動きで、時折ひらりと舞うようにして、カッターナイフを振り回している。
また一人、手を切られた。
しかし男衆は陣形を乱しません。そして……。
シャラン!!
錫杖を振り上げ、今度はミコさまの祝詞に合わせて男衆も合唱を始めたのです。
エーンヤアァー、
するとどうでしょう。
「いやあああぁああああああ!!!!」
突然彼女はつんざくような悲鳴を上げ、耳をふさぎます。
よっぽどこの歌が嫌いなのでしょうか。しかし白眼を剥いていた目は元に戻っている、正気に戻っているようです。
すると彼女は突然、天に祈るように手を組みこう言いました。
「アネ様、アネ様。どうか私に力をお貸しください。どうか私の大事な人を盗ったあの女に死を。」
その次の瞬間。
どん、という音と共に彼女の周りを取り巻いていた煙が……居なくなりました。
「ちっ」
男衆の一人が舌打ちをした、次の瞬間でした。
めき、めきめきめき。
枝が折れたような音がして、「きゃあっ」
私は悲鳴をあげていました。
私を介抱してくれていた男性が私を庇ったのです。肩に包丁が突き立っている。
「あぁ、あああごめんなさい、わたしどうしたら」
怪我の介抱などしたことがありません。私は完全に混乱してしまっていました。しかしそこへ、
「おいタジロウ、油断しすぎだべした」
男衆の一人が彼女に目を向けたまま笑っています。
「お前こそだべぇ」
タジロウというその男性はのんびりした口調でむくりと起き上がり何事もないような顔で包丁を抜きます。
私はまたびっくりしました。
彼らの着ていた半被。かなり分厚い綿が仕込まれていたようなのです。さらにタジロウさんはかなり硬い帯のような物で襷もかけていた、どうやら包丁の切先はその襷のあたりに行ったようで、ギリギリ肩には届かなかったようでした。
私は思わずほっと息をつきます。
しかしそれも束の間でした。男衆に取り囲まれた彼女を見て私はまた「ひっ」と息を飲んだのです。
長い腕が、生えている。それも4本。
あれは、その音だったのです。
「ああ……素敵だわ……」
彼女はうっとりした表情で……まるで千手観音のように腕を広げて見せました。
その一本一本に、凶器。鎌、ナイフ、包丁もまだある。大きな金づちも見える。そして。
パジャマの袖の下から現れたものを見て私は全身に鳥肌が立ちました。
蛇。大量の蛇がボトボトと出てきたのです。さらにその後現れたのは虫。ゴ●ブリだ。
彼女は慈母のような表情でくるりと一回転しました。
「来るぞ!!」
ざばっ、という音とともにあの長い腕と大量の蛇や虫どもが男衆たちに襲い掛かってくる。しかし男衆も分かっていたかのようでした、その円陣を少し大きくしてすんでのところでひらり、ひらりとかわしている。時折ガキン、キンッと音がしています、錫杖と長い腕の凶器がぶち当たっている。
しかしすべてはかわし切れません。蛇の一部がシャアアッと音を立てまっすぐこちらに向かってきました。
「ひっ」
また思わず息を飲んでしまっているとミコさまが再び、祝詞のようなものを唱え始めました。タジロウさんも復唱している。
少し聴いていると、何かを繰り返しているように聞こえます。いつしか私も二人の口元を見ながら復唱しはじめました。タジロウさんが二度三度とうなずきにこりと笑っている。
するとどうでしょう。
二人の身体がすこし、ぼやあと光っているように思えたのです。よく見ると私自身もです。
青大将を大きくしたような蛇たちは近寄ってこれないようでした。しかし隙あらば……とばかりに三人の周りを取り囲んでいる。向こうではまだキン、キンッと音がしていて争いはやんでいないようです。
すると今度はミコさまが詠唱を止めないまま、私に何か枝葉のようなものを持たせ、いつの間に持っていたのか瓢箪のふたを開けて中の液体を私にパッ、パッとかけたのです。
枝葉は榊のようでした。液体は……御神酒でしょうか。おそらく、酒だと思われました。
すると今度はタジロウさんが傍らから私の肩に手をかけ、「悪いげんども。ここからはお前さんも頑張ってもらわにゃなんねぇべした」
「はい」
もうここまで来たらなんでもするしかない。私はうなずきます。
「今から言うのをそのまま、ずーーーーっと唱えなばなんね。ここで何が見えても、やめたらなんねべよ」
この後、私はその意味の分からない単語?の羅列をずっと唱えることになりました。
その間に繰り広げられた光景は……もう恐怖という言葉が生ぬるいと思うほどでした。
全員、斬り殺される。あの老婆のミコさまも。そして私自身もあの彼女にめった刺しにされる。
しかしそれは幻影でした。涙を流しながら瞬きをすると、元の光景に戻っている。
またある時は、耳を引きちぎられ、目に針を刺され……凄まじい痛みに苦しみ続ける。
そんなことが何度も、何度も繰り返されるのです。
私は歯を食いしばり絶望のあまり滂沱の涙を流し、それでも詠唱を止めませんでした。
最後に現れたのは大学の同級生数人でした。
こそこそと話をしている。
「ね、聞いたー?望月さん、別れたんだってー」「そりゃ別れるよねー、あんな性格も顔もブスだし……」「てか知ってた?あの子、不倫の子なんだってー!母親が愛人やってて、子供こさえてさぁ、」「え?それウケルー!」「因果応報ってやつ?やー、たーのし。もう明日からあの子のこと無視しよ?」「いいねそれ、ナイスー!」「クズの子はしょせんクズッテコトデスヨ」「アハハハハh」
不倫の子。
誰にも言ってなかったのに。
私はこれのせいで18までいじめられ、逃げるように山形大学に入学、引っ越したのです。それなのに。
また悔し涙がこぼれます。
すると不意に肩にあたたかいものが乗りました。
ミコさまの手でした。
「よぐやったの。もう大丈夫だ。」
私は目を閉じていたのです。びっくりして目を開けると、あの長い腕が一本、もげて目の前に落ちていた。
いや、一本ではない。周りに落ちている。全部。
彼女は……ぜいぜいと息をして、とうとうその場に膝をつきました。
完全に、元の姿になっている。
しかし、物凄い顔色の悪さです。そしてどことなく、むくんでいるように見えました。
するとミコさまは真っ白な瞳をかっと見開き、彼女にこう話しかけました。
「お前、逆恨みも大概にしろ?」
彼女の身体がびくっと震えます。
「何……何よ」
彼女はがくがくと震え始めました。「あんたに何が分かる!!!このクソババア!!!」
男衆の顔色がさっと変わります。
「なんだと」「クソはお前の方だべした」「助けてやった恩、仇で返すべか」
そんな小さな声が聞こえてきます。
しかし私は急に、彼女のことが可哀想に思えてきました。
何故あんなごみのような男を思って私を殺そうとまで思いつめたのか。
ミコさまも、可哀そうなものを見る目で彼女の方を見ています。そして『これはもう駄目だ……』というように首を横に振り、弓を構え、ビンッとひときわ大きな音で彼女に向け鳴らしました。
その瞬間、私は目撃しました。
何か青白い光のような、それは矢のように見えました……それが放たれ、彼女の胸当たりに突き当たったのです。
どすっ。
重い、音がしました。
彼女は胸元を抑えています。
そして……次に起こった目の前の光景に私はわが目を疑いました。
彼女の顔や腕がメリメリと音を立てて裂け、中から血……では無くまっ黄色いものがドロドロとこぼれてきたのです。
膿。膿です。
中からウジ虫も湧いている。
魚が腐ったような、酷い悪臭がしてきました。
「ああ、ああぁああ、痛い、痛い痛い痛い!助けて!!誰か!!誰か!!!」
彼女は体中を搔きむしり叫んでいます。掻いたところからまた傷になってまた膿と虫が『ぼと……ぼと……』と出てくる。
あまりにおぞましい光景でした。
やがて……。
その場から一切の音が、消えました。
杉の大木から、雪の粉がはらはらと落ちています。
骨と皮ばかりになった彼女の身体が、どちゃりと音を立てて倒れました。
ウジ虫と膿の溜まった中に。そして、それらもスウ……と透明になり……。
もう何も無い。
彼女も、影も……。まるで初めから何もなかったかのように、そこから消え失せていました。




