↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
消えた村を覚えているのは俺だけだった  作者: チンアナゴ
第一章 失われし故郷

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/10

第五話 どうやら俺の故郷は機嫌が悪いようです

 村の道が変わった。

 ……らしい。

 いや、俺からすれば間違いなく変わっているのだけれど、どうやら他の人たちはそう思っていないようだ。


「だから、道が北に曲がってるんだって!」


「……ノア」


「昨日までは西に続いてただろ!?」


「落ち着け」


「落ち着いてる!」


「落ち着いてる奴は、朝から村長の机を叩いたりせん」


 ……ごもっとも。

 翌朝、俺は村長の家で昨日の出来事を説明していた。

 隣には親方とフィア。

 向かいには、白髪の村長が座っている。

 村長は俺の話を聞き終えると、深いため息をついた。


「……つまり、お前は村の道が変わったと言いたいのか」


「そうです」


「石橋が崩れたのは聞いておる。だが、道が勝手に動くなど……」


「俺も信じたくないですよ!」


 俺だってできることなら、もっと普通のことで悩みたい。

 今日の昼飯を何にするかとか。

 仕事を早く終わらせる方法とか。

 フィアに昼飯をおごる約束を、どうやって忘れてもらうかとか。

 しかしこのおかしな故郷がそれを許さない。


「村長」


 親方が口を開いた。


「橋が崩れたこと自体は事実です」


「うむ。それは分かっておる」


「ですが、妙なことがありましてな」


 親方は昨日の測量記録を机に広げた。


「橋の長さと、両岸の距離が合わないのです」


「……どういうことだ?」


「簡単に言えば、地図と実際の地形が一致しません」


 村長は眉をひそめた。


「測り間違いではないのか?」


「私も最初はそう思いました」


 親方は静かに答えた。


「ですが、昨日の崩落もあります。少なくとも、あの橋は安全ではありません」


 村長はしばらく考え込み、やがて頷く。


「……分かった。橋は通行禁止にしよう」


「ありがとうございます」


 俺は頭を下げた。

 ひとまず、これで誰かが橋から落ちる危険は減る。

 まあ、問題は山ほど残っているけれど。


「ただし、ノア」


「はい?」


「村中で妙な噂を広めるのはやめてくれ」


「……妙な噂?」


「家が消えた、鐘が消えた、道が変わった。そんな話ばかり聞かされれば、村人たちが不安になる」


「でも、本当に――」


「分かっておる」


 村長は俺を制した。


「お前が何かを見たことまで疑っているわけではない。だが、確かなことが分かるまでは、むやみに騒ぎを大きくするべきではない」


 その言葉には、一理あった。

 俺だって、自分が見ているものを説明できない。

 そんな状態で村中に話して回れば、混乱を招くだけかもしれない。


「……分かりました」


 俺は渋々頷いた。

 村長は少し安心したように笑った。


「そうか。では、今日は仕事に戻りなさい」


「……はい」


 俺たちは村長の家を後にした。

 外に出た途端、フィアが大きく息を吐いた。


「……疲れた」


「俺も」


「朝から大変だったね」


「ああ」


 俺は空を見上げた。

 よく晴れている。雲一つない青空。

 こんな日に、村の道が勝手に変わっているなんて、誰が想像するだろう。


「……それにしても」


 フィアが呟いた。


「ノアの村、最近ちょっと機嫌悪いね」


「俺の村って、お前も住んでるだろ」


「そうだけど」


「というか、村に機嫌なんてあるのか?」


「あるんじゃない?」


 フィアは真面目な顔で頷いた。


「家が消えたり、橋が壊れたり、道が変わったり。なんか、怒ってるみたい」


「……なるほど」


 そう考えると、少しだけ納得できる気がする。


「だったら、何が気に入らないんだろうな」


「さあ?」


「村長の説教が長いから?」


「それはありそう」


 二人で笑った。

 ……笑っている場合じゃないんだけどな。


     ◇


 昼過ぎ。

 俺は親方と一緒に、村の北側を調べていた。

 西の石橋は通行禁止。

 ならば、他の道や建物に異常がないか確かめる必要がある。

 もちろん、村長に正式に頼まれたわけではない。親方が自主的に調べようと言い出したのだ。


「……親方」


「何だ」


「もしかして、俺の話、ちょっとは信じてくれてる?」


「仕事の話なら、な」


「……そっか」


「ただし、妙なものが見えるという話は別だ」


「分かってるよ」


 親方は測量棒を地面に立てた。


「だが、昨日の橋はおかしかった」


「……うん」


「何かが起きているなら、早いうちに調べた方がいい」


 俺は親方の横顔を見た。

 この人は、あまり感情を表に出さない。

 口は悪いし、すぐ怒る。

 でも、仕事に関しては誰よりも真面目だ。

 だからこそ、昨日のことを見過ごせないのだろう。


「……親方」


「何だ」


「ありがとう」


「礼を言う暇があるなら縄を張れ」


「……はい」


 俺たちは北側の道を測り始めた。

 最初のうちは、特に異常はなかった。

 道幅も、建物の位置も、地図と一致している。

 だが、村の北端にある古い粉ひき小屋へ近づいたときだった。


「……あれ?」


 俺は足を止めた。


「どうした?」


「……ここ、こんなに広かったっけ」


 小屋の前に広がる空き地。

 そこには、荷車を回すための小さな広場がある。

 以前測ったときは、横幅が十五歩ほどだった。

 ところが今は、どう見てもそれ以上ある。


「親方、ここの幅って……」


「十七歩だな」


「……え?」


 親方は地図を確認した。


「記録も十七歩になっている」


「……いや、前は十五歩だったはず」


「またか」


 親方は額を押さえた。


「お前、昨日といい何回その台詞を言うつもりだ」


「俺だって言いたくないよ!」


 親方は大きく息を吐いた。


「……とにかく、測ってみろ」


 俺は縄を張った。

 一歩ずつ数える。


「……十七歩」


 やっぱりだ。

 昨日までとは違う。

 しかも、地図には最初から十七歩と書かれている。


「……親方」


「分かってる」


 親方は低い声で答えた。


「さすがに、これだけ続くと気味が悪いな」


 その言葉を聞いて、俺は少し安心した。

 どうやら、親方も異常を感じ始めているらしい。

 ……と思った、そのときだった。

 ギィィ……。

 どこかで、木が軋むような音がした。


「……ん?」


 俺は顔を上げた。

 粉ひき小屋の方からだ。

 古い建物なので、風が吹けばよく軋む。

 最初はそう思った。

 けれど。

 ギィィィ……。

 音が、次第に大きくなっていく。


「……親方」


「何だ?」


「あの小屋、何か変じゃないか?」


 俺は建物を指差した。

 粉ひき小屋は、石造りの土台に木の壁を組み合わせた古い建物だ。大きな水車が隣を流れる小川に設置されている。

 だが、今は水車が止まっていた。

 それだけじゃない。

 小屋の右側。

 そこにあるはずの窓が、見えたり消えたりしている。


「……え?」


 俺は目をこすった。

 窓がある。

 次の瞬間、なくなる。

 そして、また現れる。

 まるで、誰かが建物の形を何度も描き直しているようだった。


「……親方!」


「何だ、今度は!」


「あの窓、見てくれ!」


 親方が小屋へ目を向けた。


「……窓?」


「右側の!」


「……何だ、普通じゃないか」


 俺は息を呑んだ。

 親方には見えていない。

 だが、俺の目にははっきり見えていた。

 小屋の壁が、揺らいでいる。

 いや。

 壁そのものが、薄くなっている。

 向こう側の景色が、透けて見える。

 そのときだった。


「きゃあっ!」


 小屋の中から悲鳴が上がった。


「……っ!?」


 俺は反射的に走り出した。


「ノア! 待て!」


 親方の声が背中に飛んでくる。

 でも今度ばかり——今度も止まっていられなかった。

 中には、粉ひき小屋の主人と、その家族がいるはずだ。

 もし、あの家と同じことが起きているなら。


「……くそっ!」


 俺は小屋の扉を開けた。

 中は薄暗い。粉の匂いが鼻をつく。

 奥には大きな石臼があり、その隣で小屋の主人が倒れていた。


「大丈夫ですか!?」


「……ノア!?」


 主人は驚いた顔で俺を見た。


「何でここに……」


「悲鳴が聞こえたんです!」


「あ、ああ……」


 主人は震える指で奥を指差した。


「……娘が」


「娘?」


「奥の部屋にいるはずなんだ!」


 俺は息を呑んだ。


「……何があったんですか?」


「分からん……急に床が揺れて、壁が……」


 主人は言葉を詰まらせた。

 その顔には、明らかな恐怖が浮かんでいる。

 この人にも、何かが見えているのか?


「……親方!」


 俺は外に向かって叫んだ。


「中に人がいる! 助けてくれ!」


「分かった!」


 親方の声が返ってくる。

 俺は奥の部屋へ向かった。

 そこには、小さな寝台と木箱が置かれていた。


「……何だ、これ」


 部屋の中央。

 そこに、見覚えのない壁が立っていた。

 古い石壁。

 表面には苔が生え、ところどころひび割れている。

 そんなものが、部屋の真ん中にあるはずがない。

 しかも。

 その壁は、半分だけ透けていた。

 向こう側には、別の景色が見える。

 暗い森。

 古びた石畳。

 そして、崩れた建物の影。


「……また、これかよ」


 西の石橋で見たものと同じだ。

 今あるはずのない景色が、目の前に重なっている。

 そのとき。


「……お兄ちゃん?」


 小さな声が聞こえた。


「……っ!」


 俺は顔を上げた。

 石壁の向こう。

 そこに、七歳くらいの少女が立っていた。

 粉ひき小屋の娘、シアだ。


「シア!」


「ノアお兄ちゃん……?」


「大丈夫か!?」


 少女は泣きそうな顔で頷いた。


「……お父さんが、いなくなっちゃった」


「……大丈夫。すぐに連れていく!」


 俺は壁へ近づいた。

 だが、手を伸ばした瞬間、嫌な予感がした。

 さっきの橋と同じだ。

 見えているものが、全部本物とは限らない。

 俺は足元の木片を拾い、壁へ投げた。

 木片は壁をすり抜けた。


「……よし」


 なら、通れる。

 俺は慎重に一歩踏み出した。

 その瞬間。

 ゴゴゴッ!

 地面が大きく揺れた。


「うわっ!?」


 壁の輪郭が濃くなる。

 さっきまで透けていた石が、急に実体を持ったかのように見えた。


「……っ!」


 俺は慌てて後ろへ飛び退いた。

 次の瞬間、目の前に石壁が現れた。

 ゴンッ!

 鈍い音が響く。

 危うく、顔面から突っ込むところだった。


「……危なっ!」


 俺は床に尻餅をついた。

 心臓が激しく鳴っている。

 何だよ、これ。

 すり抜けられたはずの壁が、急に本物になった?

 だったら。

 向こうにいるシアは、どうなる?


「シア!」


 俺は立ち上がり、壁へ近づいた。


「聞こえるか!?」


 返事はない。

 さっきまで見えていた少女の姿も、消えていた。

 石壁だけが、そこにある。


「……おい」


 俺は壁に手を当てた。

 冷たい。

 硬い。

 間違いなく、本物の石だ。


「……嘘だろ」


 さっきまで、あそこにいたのに。

 少女は、どこへ消えた?

 俺は壁を叩いた。


「シア! 聞こえたら返事してくれ!」


 返事はない。

 何度叩いても、何も聞こえない。

 ただ、冷たい石の感触だけが手に残る。


「ノア!」


 親方が駆け込んできた。


「何をしてる!」


「シアが! この壁の向こうに!」


「壁?」


 親方は俺の指差す先を見た。

 そして、眉をひそめた。


「……何を言ってる?」


「……え?」


「そこに壁なんかないぞ」


 俺は振り返った。

 そこには、確かに石壁がある。

 親方には見えていない?


「……親方?」


 俺はゆっくりと手を伸ばした。

 指先が石に触れる。

 硬い。

 冷たい。

 ……間違いない。

 なのに。

 親方はその横を、何事もないように歩いていった。

 石壁の中へ。


「……っ!?」


 俺は息を呑んだ。

 親方の身体が、石壁に重なっている。

 まるで、壁など最初から存在しないかのように。


「……どうした、ノア?」


 親方が振り返る。

 その姿は、石壁の向こう側にあった。

 俺は言葉を失った。

 目の前にあるはずの壁。

 触れられるはずの壁。

 けれど、親方には存在していない。

 そして。

 石壁の向こう側から、かすかな声が聞こえた。


「……ノア、お兄ちゃん……」


 シアの声だった。

 俺は拳を握りしめた。

 ……どうする?

 どうすればいい?

 分からない。

 何も分からない。

 ただ、一つだけはっきりしている。

 このままじゃ、あの子が消える。

 ベネット爺さんのように。

 家ごと。

 存在したことすら、忘れられてしまう。


「……ふざけるなよ」


 俺は歯を食いしばった。


「そんなこと、させるか……!」


 その瞬間。

 遠くから、鐘の音が聞こえた。

 カラン。

 カラン。

 カラン。

 消えたはずの鐘。

 その音が、村中に響き渡っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。