↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
消えた村を覚えているのは俺だけだった  作者: チンアナゴ
第一章 失われし故郷

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/8

第四話 見えてはいけない風景

 俺には、橋が二本見えていた。

 一本は石橋。もう一本は、古びた木橋。

 しかも、木橋の上には誰かが立っている。


「……おい、ノア」


 親方の声が聞こえた。


「顔色が悪いぞ」


「……親方」


「何だ?」


「あそこに、誰かいないか?」


 俺は木橋の中央を指差した。

 親方は目を細める。


「誰もおらんぞ」


「……そうか」


 やっぱり。

 俺にしか見えていない。

 フィアも橋を見つめていたが、首を横に振った。


「ごめん、ノア。私にも見えない」


「……うん」


 分かっていた。

 けれど、実際にそう言われると、どうしようもない不安が湧いてくる。

 俺は目をこすった。

 もう一度見る。

 木橋は、まだそこにあった。

 古びた板が並び、支柱には黒い染みが広がっている。ところどころ板が抜け落ちていて、下を流れる川が見えた。

 そして、その中央に立つ人影。

 ……いや。

 よく見ると、何かがおかしい。

 人影の向こう側が、透けて見える。

 白い服のように見えたものも、実際には輪郭がぼやけているだけだった。

 まるで、薄い霧でできた人間のようだ。


「……なあ、親方」


「今度は何だ」


「もし、見えてるものが本物じゃなかったら、どうすればいいと思う?」


「……ずいぶん妙な質問だな」


 親方は腕を組んだ。


「まずは、触って確かめる」


「触って?」


「目は案外当てにならん。遠くのものを大きく見たり、影を穴と勘違いしたりする」


 親方は足元の石を拾い、俺に渡した。


「どうしても確かめたいなら、投げてみろ」


「……なるほど」


 俺は石を握った。

 木橋の上にいる人影を見つめる。

 少し迷ったが、足元の手前に向かって軽く投げた。

 石は弧を描き、橋の上へ飛んでいく。

 そして。

 木橋の板を、すり抜けた。


「……っ!」


 石はそのまま石橋の欄干に当たり、乾いた音を立てて落ちた。


「何だ、普通じゃないか」


 親方が言った。

 けれど、俺には普通じゃなかった。

 確かに木橋が見えている。

 なのに、石は触れなかった。

 ……つまり。

 あれは、本物じゃない?

 いや、何をもって本物と言えばいいのか、もう分からない。


「ノア」


 フィアが俺の袖を引いた。


「……ねえ、あんまり近づかない方がいいよ」


「……ああ」


 ベネット爺さんの手紙を思い出した。


『西の石橋には、近づくな』


 あの爺さんは、これを知っていたのだろうか。

 もしそうなら、どうして?

 俺と同じものが見えていた?

 それとも、何か別の理由があるのか。

 考え始めたときだった。


「おーい!」


 遠くから、子供の声がした。

 振り返る。

 村の方から、一人の少年が走ってくる。

 トーマだ。

 鍛冶屋の息子で、まだ八歳。いつも村中を駆け回っていて、親父さんに怒鳴られている。


「ノア兄ちゃん!」


「トーマ? どうした?」


「うちの犬、見なかった!?」


「犬?」


「クロが逃げちゃったんだ!」


 トーマは息を切らしながら橋へ駆け寄った。

 その後ろから、小さな黒犬が飛び出してくる。


「……あ」


 どうやら犬の方が先に戻ってきたらしい。

 クロは嬉しそうに尻尾を振り、トーマの足元を走り回った。


「こら! 勝手に逃げるなって言っただろ!」


 トーマが犬を追いかける。

 ……まあ、よくある光景だ。

 俺は少しだけ肩の力を抜いた。

 それがいけなかった。


「……おい、待て」


 クロが、橋の方へ走り出した。

 トーマもその後を追う。


「トーマ! そっちは――!」


 叫んだ瞬間。

 木橋の上に立っていた人影が、こちらを向いた。

 いや。

 向いたように見えた。

 白い輪郭が、ゆっくりと揺らぐ。

 同時に、橋の景色が歪んだ。


「……なっ!?」


 石橋の中央。

 そこに、木の板が浮かび上がった。

 今まで薄く透けていたものが、急に輪郭を強めたのだ。

 石の欄干と木の手すりが重なり、どちらが手前にあるのか分からなくなる。

 バキッ!

 嫌な音が響いた。


「うわっ!?」


 トーマの足元で、石橋の一部が崩れた。

 少年の身体が傾く。

 クロが吠える。


「トーマ!」


 俺は考えるより先に走り出していた。

 カン。


「ノア、待て!」


 親方の声が背中に飛んでくる。

 だが、止まれなかった。

 トーマは橋の中央で膝をつき、必死に欄干へしがみついている。

 足元には、大きな穴が開いていた。

 ……穴?

 おかしい。

 さっきまで、そこには石の床があった。

 今も、木橋の板が見えている。

 けれど、その下には川が流れている。

 何が本当の足場なのか、分からない。


「ノア!」


 カン。

 フィアが叫ぶ。


「縄!」


 振り返ると、彼女が測量縄を投げてきた。

 俺は慌てて受け取る。


「親方! そっち持っててくれ!」


「馬鹿野郎! 戻れ!」


「トーマが落ちる!」


 親方は一瞬だけ顔を歪めた。

 それから縄の端を近くの石柱へ巻きつけ、自分の腰にも回す。


「——分かった! だが無茶するな!」


「分かってる!」


 嘘だった。

 無茶をしなければ、助けられない。

 カン。

 俺は縄を腰に結び、橋へ踏み出した。

 一歩。

 二歩。

 石は硬い。

 ちゃんと足場がある。

 だが、三歩目を踏み出そうとしたとき、目の前の景色が揺らいだ。

 石橋と木橋。

 二つの輪郭が重なっている。

 カン。

 俺は足を止めた。

 危うく、木橋の板に足を置くところだった。

 あれには触れられない。

 さっき投げた石が、すり抜けたのを見ている。

 だから、踏めば落ちる。


「……落ち着け」


 自分に言い聞かせる。

 見えているものを、全部信じるな。

 親方の言葉だ。

 俺は足元の石を拾い、目の前へ軽く投げた。

 石は木橋の板をすり抜け、下の石床に当たった。

 そこは安全だ。

 次の場所へ投げる。

 今度は、石がそのまま川へ落ちていった。


「……なるほど」


 見えている木の板は、足場にならない。

 でも、その向こうに本物の石が残っている場所なら進める。

 俺は一歩ずつ、確かめながら進んだ。


「ノア兄ちゃん!」


 トーマの声が震えている。


「動くな! 今行く!」


「怖いよ!」


「大丈夫だ!」


 ……大丈夫なわけがない。

 俺だって怖い。

 足元は崩れかけているし、何もないはずの場所に橋が見える。

 しかも、さっきから耳の奥で変な音が鳴っている。

 カン。

 カン。

 まるで、遠くで鐘が鳴っているような。

 それでも。

 目の前の子供を見捨てる理由にはならない。


「……よし」


 俺はトーマのすぐ手前までたどり着いた。

 少年は欄干にしがみつき、涙を流している。


「トーマ、こっち見ろ」


「……う、うん」


「俺の手、掴めるか?」


「……届かない」


 あと少し。

 ほんの少しだけ、距離が足りない。

 俺は膝をつき、身体を前へ伸ばした。

 足元の石が、小さく軋む。


「……っ!」


 嫌な音がした。

 このままじゃ、俺まで落ちる。

 だが、引き返せばトーマを助けられない。


「ノア!」


 フィアの声が聞こえた。


「その子に縄を渡して!」


「——わかった!」


 俺は腰に結んだ縄をほどき、端をトーマへ投げた。


「これ、掴め!」


「う、うん!」


「絶対に離すなよ!」


 トーマは震える手で縄を握った。

 俺はもう一度、後ろを振り返る。


「親方! 引いてくれ!」


「分かった!」


 縄が張る。

 トーマの身体が、少しずつこちらへ引き寄せられた。

 その瞬間。

 ゴゴッ!

 橋全体が、大きく揺れた。


「……っ!?」


 俺の足元で、石が砕ける。

 身体が傾く。

 思わず手を伸ばした。

 そこには、木橋の手すりが見えていた。

 だが。

 指先は何も掴めなかった。


「うわっ!」


 俺はそのまま、橋の穴へ落ちかけた。

 咄嗟に残った石の縁へしがみつく。

 冷たい川の音が、すぐ下から聞こえた。


「ノア!」


 フィアが悲鳴を上げる。

 歯を食いしばった。

 腕が痛い。

 指先が滑る。

 まずい。

 本当に、まずい。

 そのとき。


「馬鹿弟子が!」


 親方の怒鳴り声とともに、太い腕が伸びてきた。

 襟首を掴まれる。

 次の瞬間、俺の身体は乱暴に引き上げられていた。


「ぐえっ!?」


 地面に転がる。

 肺の空気が一気に押し出された。

 咳き込みながら顔を上げると、親方が鬼のような顔で俺を見下ろしていた。


「……お前なあ!」


「げほっ……助かった……」


「助かったじゃない! 俺の寿命が十年縮んだぞ!」


「親方、まだ長生きできそうだし……」


「口が減らん!」


 怒鳴られた。

 でも、怒鳴られるだけで済んだ。

 隣では、フィアがトーマを抱きしめている。

 少年は大泣きしていた。

 クロはその周りを走り回り、嬉しそうに吠えている。


「……よかった」


 俺は地面に座り込んだ。

 助かった。

 本当に。

 そう思った瞬間、全身から力が抜けた。


     ◇


 橋の崩落騒ぎは、すぐに村へ伝わった。

 トーマの父親が駆けつけ、息子を抱きしめて泣いた。

 その後、俺にも礼を言ってくれた。

 もっとも、その直後に親方から説教されたので、あまり感動に浸る時間はなかったけれど。


「……だから、危ないと思ったらまず呼べ」


「呼んだって」


「呼ぶ前に走ってただろうが!」


「……はい」


 反論できない。

 親方は深いため息をついた。


「まったく……」


 それから、少しだけ声を落とす。


「……よく助けたな」


「……え?」


「だが、次はもっと上手くやれ」


 そう言って、俺の頭を軽く小突いた。

 ……この人なりの褒め言葉なのだろうか。

 フィアは隣で、何やら難しい顔をしていた。


「どうした?」


「……ねえ、ノア」


「ん?」


「あの橋、変だったよね」


 俺は彼女を見た。


「……見えたのか?」


「ううん。ノアが言ってた、もう一本の橋は見えなかった」


 フィアは首を横に振る。


「でも、石の床が急になくなったのは見た」


「……本当に?」


「うん」


 彼女は真剣な表情で頷いた。


「崩れたっていうより、最初からそこに何もなかったみたいに見えた」


 俺は言葉を失った。

 俺だけじゃない。

 フィアにも、何かがおかしいと分かったのだ。


「……親方も見た?」


「ああ」


 親方は短く答えた。


「石が崩れる瞬間は見た。だが、妙だったな」


「妙?」


「普通、あれだけの石が崩れれば、下に瓦礫が落ちる」


 親方は橋の下を見た。


「……だが、ほとんど何も落ちていない」


 俺も川を覗き込んだ。

 確かに。

 橋の中央には、大きな穴が開いている。

 なのに、川底には砕けた石がほとんど見当たらない。

 まるで。

 最初から、その部分の石がなかったかのように。


「……なあ」


 俺は小さく呟いた。


「これ、本当にただの事故なのか?」


 誰も答えなかった。

 そのときだった。


「……おい、ノア」


 親方が橋の向こうを指差した。


「さっき、あっちの道はあんな形だったか?」


 俺は顔を上げた。

 橋の西側。

 そこには、隣町へ続く街道があるはずだった。

 緩やかに曲がりながら、森の中へ伸びていく道。

 何度も通ったことがある。


「……何だ、あれ」


 道が、曲がっていた。

 いや、曲がっていること自体はおかしくない。

 問題は、その方向だ。

 昨日まで西へ続いていた道が、今は北へ向かっていた。

 森の位置も違う。

 道沿いにあったはずの大きな岩もない。

 そして。

 俺の目には、もう一本の道が見えていた。

 北へ続く新しい道の隣。

 薄く透けた、古い街道。

 その先には、見覚えのない石造りの門が立っていた。

 古びた門。

 崩れた壁。

 その向こうには、何か大きな建物の影がある。


「……ノア?」


 フィアが俺を呼ぶ。

 俺は答えられなかった。

 だって。

 俺の知っている村の外に、知らない景色が広がっていたのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。