第8話 魔王の手作りカレー
「よーしっ! 今日のルチアは、一味違うのだ!」
翌朝。ダンジョン最深部のキッチンに、威勢の良い小さな声が響き渡った。
ウサギ耳のパーカーの袖をまくり、頭にはアオイお手製の小さな三角巾──白いタオルを無理やり結んだものをちょこんとのせたルチアが、まな板の前にどっしりと立っている。
「ルチア、おはよう。朝からなんだか気合が入ってるね」
「ふふん! パパ、おはよう! いつも美味しいご飯を作ってくれるのは、パパだけではないか! だから今日は、我がパパのために『お手伝い』をする日なのだ!」
ルチアは、胸を張って誇らしげに宣言した。
どうやら、昨夜食べたあたたかい食事やみんなの笑顔を見て、「自分も何かパパの役に立ちたい」と思い立ったらしい。その健気な姿に、キッチンの脇でカメラを構えていた白雪さんが早くもハンカチを目に当てて号泣している。
『ルチアちゃん天使すぎる……!』
『三角巾可愛すぎる』
『パパ、これは教育大成功ですね』
『朝から全人類が癒やされてる』
「ルチアが手伝ってくれるの? それは心強いな。じゃあ、今日のメニューはルチアと一緒に『特製ゴロゴロ手作りカレー』にしようか」
「かれー……!? あの、お口の中でスパイスがピリッとして、お肉がホロホロのあれか!?」
「そう。じゃあまず、このジャガイモとニンジンをきれいに洗ってみよう」
「任せるのだ!」
ルチアは気合十分で、水道の蛇口をひねった。
勢いよく飛び出た水にジャガイモをくぐらせ、小さな両手でゴシゴシと泥を落としていく。
時々、跳ね返った水滴が自分のほっぺたや鼻の頭について「ひゃっ」と小さく声を上げるが、それがまたたまらなく愛らしい。
「よし、綺麗に洗えたぞ、パパ!」
「上手に洗えたね。じゃあ次は、この子ども用の安全ナイフで、野菜を食べやすい大きさに切っていこうか」
俺はルチアの後ろからそっと覆いかぶさるように立ち、小さな両手を俺の大きな手で優しく包み込んだ。
刃先が丸くなった木製の安全ナイフとはいえ、包丁の握り方を教えるのは真剣勝負だ。
「こうやって、猫の手にして……トントン、って優しく下ろすんだよ」
「こうか……? ぬぬ、ちょっと緊張するのだ……」
ルチアが真剣に目を見開き、息を止めるようにしてナイフを動かす。
トントン、トントン……と、不揃いではあるものの、一生懸命にジャガイモに刃を入れて慎重に切り分けていく。
「ふぅ……切れた……!」
「すごいぞ、ルチア。完璧だ」
「えへへ……パパに褒められたのだ!」
頭をぽんぽんと撫でてやると、ルチアは嬉しそうに目を細めた。
◇
それから、一時間後。
大きな鍋の中で、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、そして厚切りの牛肉が、たっぷりの水とスパイスと共にぐつぐつと煮込まれていた。
カレールーを割り入れ、隠し味にすりおろしリンゴとチョコレートをひとかけら。
スパイスの複雑な香りと、野菜の甘みが混ざり合った、食欲を暴力的に刺激する香ばしい匂いが、玉座の間いっぱいに広がっていく。
「う~~~ん、いい匂いなのだ……! 我が切ったジャガイモも、ちゃんと美味しく煮込まれてるか……?」
「ああ、ルチアが切ってくれたから、きっと世界一美味しいカレーになるよ」
大きめのお皿に炊きたてのツヤツヤなご飯をよそい、その上からルチアが一生懸命によそったゴロゴロ具だくさんのカレールーをたっぷりと回しかける。
仕上げに、パセリをぱらりと散らせば完成だ。
「お待たせしました。『ルチア特製・ゴロゴロ愛情カレー』だよ」
「わぁぁぁぁぁい! いただきますなのだー!」
ルチアは待ちきれないといった様子でスプーンを手に取り、大きめのジャガイモとルーをすくって、ふーふーと息を吹きかけてから大きなお口でパクッと頬張った。
その瞬間──ルチアの目が、ぱあっと満開の花のように見開かれた。
「……っ!? おいちい……っ!!」
スパイシーな香りのあとに、タマネギとリンゴの濃厚な甘みが追いかけてきて、口の中でホロホロとほどける牛肉の旨味がすべてを包み込む。
「ちょっぴりスパイシーだけど、野菜が甘くて……何より、自分が切ったからいつもより何倍も美味しいのだ……!」
「よかった。白雪さんもどうぞ」
「いただきます……! ──んんっ! これは……!」
白雪さんも、あまりの美味しさにメガネを曇らせて感動している。
「コクが深くて、スパイスのピリッとした辛さが最高です……! それに、ジャガイモが絶妙な大きさに切られていて、食感がしっかり残ってる……これ、本当にルチア様が切ったんですか?」
「ふふん! 我が包丁さばきで華麗に切ったのだぞ!」
胸を張って、得意げになるルチア。
その口の端っこに、ちゃっかりご飯粒がついているのを見て、俺は思わず笑ってしまった。
「──ぐぉぉぉぉっ……! 美味いっ! 美味すぎるぞぉぉぉぉっ!!」
突如、地響きのような大歓声をあげたのは、二メートル超の巨体を子供用チェア(特注)に無理やり折りたたんで座っているガロンだった。
ガロンの目の前には、ラーメンどんぶり並みの器に入った山盛りカレーが置かれている。
「ルチア様が丹精込めて切ったジャガイモが、スパイスの効いたルーと絡み合い、まるで大地と肉の息吹が口の中で踊っているようだ……! シェフ! 最高だ! おかわりを頼む!」
「ガロン、まだ一口食べたばかりだろ。まだ鍋にたっぷりあるから、落ち着いて食べて」
ガロンは尻尾の代わりのオオカミの毛並みをパタパタと揺らしながら、秒速で山盛りカレーを平らげにかかっている。
「ルチア、口の端についてるぞ」
「む? ここか?」
ルチアが指でちょこんと拭こうとするのを、俺はハンカチで優しく拭ってやる。
ルチアは照れくさそうに「もぅ、子供扱いするななのだ……」と呟きつつも、幸せそうにスプーンを動かし続けた。
配信のコメント欄は、もはやお祭り騒ぎを通り越して「一つの大きな温かい家族」のような一体感に包まれていた。
『今日はカレー作ります』
『こんな平和なS級ダンジョンが存在していいのか……』
『ガロン将軍も大盛り3杯おかわりしてて草』
『パパとルチアちゃんの絆に乾杯!』
ギルドに捨てられて、絶望のどん底から始まったこの場所。
しかし今、この温かいカレーの湯気とともに、俺たちの毎日は世界で一番贅沢で幸せな時間になっていた。
「さあ、お腹いっぱい食べた後は、みんなで体を動かそうか。午後から、この殺風景な玉座の間を『もっと居心地のいい我が家』に大改造しよう」
「おっ、大改造なのだ!? 家具を新しくしたりするのか!?」
「うむ! 我が怪力を活かして、どんな重労働でも引き受けましょうぞ!」
小さな魔王のワクワクした声と、ガロンの頼もしい返事が、これから始まる新しい生活への期待を乗せて、明るく響き渡った。




