第2話 魔王はお腹が減っていた
フカフカの赤い絨毯の上で、頭を押さえて涙目になっている幼女。
……いや、自称・魔王様。
俺は手にしていたナイフを完全に下ろし、呆然と目の前の光景を見つめていた。
(……え? 待て待て待て、何なんだこの状況は?)
ここは人類未到達、最難関のS級ダンジョン『奈落の底』の最深部だ。
道中には一撃で人を噛み殺す巨大な魔獣や、死の呪いを振りまく悪霊がウジャウジャいた。
そんな絶望の迷宮の1番奥、重厚な扉を開けた先に待っていたのが――自分の服の裾を踏んで盛大にすっ転び、半泣きになっている銀髪の幼女だなんて、誰が予想できただろうか。
「……あのー」
「ひゃいっ!?」
俺が声をかけると、魔王──ルチアはビクッと肩を揺らし、慌てて起き上がろうとした。
しかし、またしても長いスカートを踏みそうになり、よろけてぺたんと尻餅をつく。
「うぅ……ち、ちがうぞ! 今のは油断しただけだ! 油断だ!」
赤くなったおでこを両手で押さえながら、ルチアは精一杯に顔を跳ね上げ、威厳を出そうと下から睨みつけてくる。
「ゴホン! 改めまして……よくぞ参った、愚かなる人間め! 我が名は恐ろしきダンジョンマスター、魔王ルチア! 我が領域を侵せし不遜な侵入者よ、死の恐怖に震えるがよい……ふは、ふはははは!」
必死に邪悪っぽい高笑いを作ろうとしているが、声が甲高くて可愛らしい上に、おでこがほんのり赤く腫れているせいで、まったく怖くない。むしろ尊い。
(めちゃくちゃ可愛いんだけど……???)
俺の心の中で、何かが大きな音を立てて砕け散った。
昔から自分でも呆れるくらい、小さくて健気で可愛い生き物に目がないタチだった。それがまさか、人類の敵であるはずの魔王様でドストライクを撃ち抜かれるとは。
(なんだこの破壊力は。無理だろ、こんなの討伐できるわけがない……!!)
さっきまでの「死を覚悟した壮絶な決意」はどこへやら、俺の心は完全にノックアウトされていた。
「……おい、人間! 聞いておるのか!? なぜ微動だにせず、我が顔を凝視しておる! わ、我が放つ圧倒的な恐怖の覇気に気圧されて身動きが取れぬのか!?」
ルチアは俺が沈黙しているのを「恐怖で固まっている」と勘違いしたらしい。少し誇らしげにえっへん、と鼻を鳴らした。
しかし、その直後だった。
ぐうぅぅぅぅぅぅっ……。
静まり返った豪華な玉座の間に、極めて情けない、しかし盛大な『お腹の音』が響き渡った。
「っ……!?!?」
ルチアの顔が、一瞬で真っ赤に染まる。
小さな両手で慌ててお腹を押さえるが、音を隠せるはずもない。
「ち、違う! 今のは我が腹から発せられた音ではない! 魔導障壁の軋む音だ! そう、決して我がお腹を空かせているわけではないのだぞっ!?」
「……昨日から、何か食べました?」
「うぐっ……!!」
直球で尋ねると、ルチアは言葉を詰まらせ、視線を泳がせた。
「……だ、だって……先代の魔王様が急にいなくなって、我は昨日魔王になったばかりで……ご飯の頼み方が分からぬのだ……。幹部たちも『魔王様は魔力だけで生きておられる!』と勘違いして、誰も食べ物を持ってきてくれぬし……」
声がだんだん小さくなり、ついには泣きそうになりながら俯いてしまった。
「我だって……甘くておいしいものが食べたい……お腹ペコペコなのだ……うぅ……」
(尊すぎるだろ……)
俺の親バカ(仮)の魂が爆発した。
国家の都合?
ブラックギルドの契約?
使い捨ての生贄?
そんなもの、どうでもいい。
こんなに小さくて健気なお子様がお腹を空かせて泣きそうになっているのに、国のために戦うだの討伐するだの言ってる奴は人間じゃない。俺は、今日限りで探索者を辞める。この子の飯炊き係になる!
「魔王様」
「な、なんだ……? やはり、我が情けないと笑うのか……?」
「いいえ。俺にお任せください」
俺は背負っていたパンパンのサバイバルリュックを下ろし、手際よく地面に広げた。
「な、なんだそれは? 暗殺用の毒薬か!?」
「ただのアウトドア用ポータブルコンロと、フライパンと食材です。俺、昔から一人でメシ作ってきたんで、家事と料理だけは得意なんですよ」
俺はリュックから携帯用の小型ガスコンロとミニフライパンを取り出した。
最前線で生き延びるために常備していた食材――特売で買った卵パック、パックのご飯、冷めても腐りにくい真空パックの鶏肉ブロック、それとケチャップとバター。
「少し待っていてくださいね。すぐに温かいご飯を作りますから」
「ご、ご飯……? 人間が、我に料理を作るだと……? 毒など入れておらんだろうな!?」
「そんなことしませんよ。……ほら、座っててください」
俺はボロボロの探索者ジャケットを脱ぎ、リュックの底に入れていた無地の白エプロンを装着した。
カチッ。
ポータブルコンロに火が灯る。
フライパンを熱し、バターをひとかたまり落とすと、ジュワァァッという心地よい音と共に、甘くコクのある香ばしい香りが玉座の間に広がり始めた。
「ほわぁ……!? な、なんだこの良い香りは……!?」
さっきまで警戒していたルチアの鼻が、ぴくぴくと動く。
吸い寄せられるように、ルチアはちょこちょこと膝立ちで俺の手元へ近づいてきた。
「危ないですから、少し離れていてくださいね」
「う、うむ……。しかし、それは何という料理なのだ?」
「『オムライス』です。安くて、温かくて、子供が大好きな絶品料理ですよ」
細かく刻んだ鶏肉とご飯をバターに絡めて、ケチャップを投入して手際よく炒める。甘酸っぱい香りが立ち上り、ルチアの口から垂れそうになる唾液をゴクリと飲み込む音が聞こえた。
炒めたチキンライスをお皿に丸く盛り付け、一度フライパンを綺麗に拭く。
そして、溶き卵を二個分、一気に熱したフライパンへ投入!
ジュワッ!!
「きゃあ!?」
「大丈夫ですよ、驚かないでくださいね」
菜箸で素早く卵をかき混ぜ、半熟のふわとろ状態に仕上げる。それを崩さないようにスッとチキンライスの上に滑らせ、ナイフで真ん中に一本の切れ目を入れると──
ぱかっ。
とろっとろの黄色い卵が、熟した花のようにチキンライスを包み込んだ。
「あ、あわわわわ……!? 黄色いフワフワが弾けたぞ!?」
ルチアは目を丸くして、口を大きく開けて感動している。
仕上げに、ケチャップでオムライスの表面に可愛らしく『ルチア様』と名前を書いて完成だ。
「はい、お待たせしました。『ふわとろオムライス』です」
俺はお皿とスプーンを、目線を合わせてルチアの前にそっと差し出した。
「た、食べてよいのか……? 本当に、我が食べてよいのか……!?」
「もちろんです。温かいうちにどうぞ」
ルチアは生唾を飲み込み、震える手で小さなスプーンを握りしめた。
そして、半熟卵とケチャップご飯をスプーンですくい──大きな口を開けて、はむっ!と口に放り込んだ。
「……!!」
ルチアの動きが、ピタリと止まる。
「どうですか……? お口に合いましたか?」
俺が少し不安になって覗き込むと──ルチアの大きな赤い瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出してきた。
「ひぐっ……うわぁぁぁぁぁんっ!!」
「えっ!? 熱すぎましたか!? すみません!」
「ち、違うのだぁ……! 美味しすぎるのだぁぁぁ……! こんなに温かくて、甘くて、おいしいもの……我、生まれて初めて食べたのだぁぁぁっ!!」
ルチアは泣きながら、夢中でスプーンを動かしてオムライスを頬張り始めた。
口のまわりにケチャップをたくさんつけながら、「おいちい、おいちい」とボロボロ涙をこぼして食べ進める。
その姿があまりにも可愛くて、健気で──俺は思わず、ルチアの銀髪の頭を優しく撫でていた。
「よしよし、ゆっくり食べてくださいね。誰も取り合いませんから」
「ふぇ……? あ、あふぅ……」
頭を撫でられたルチアは、ぽかーんと固まった。
鼻をぐすっと鳴らし、食べかけのスプーンを置くと──ぎゅっと、俺のエプロンの裾に小さく抱きついてきた。
そして、涙で濡れた瞳で俺を見上げ、心からの甘えた声で呟いた。
「……おいちい……。お前……今日から我のパパとなれ……!」
「──喜んで!!」
俺の心に、迷いは一ミリもなかった。
しかし。
この時、俺も、ルチアも、まったく気づいていなかったのだ。
俺の胸元に装着されていた、ブラックギルドの『隠しカメラ』のスイッチが入れっぱなしになっており――この一連のやり取りが、世界最大の動画配信サイトのトップページでリアルタイム生配信されていたということに。




