047 秘密の合図
その夜、俺とナナは魅惑的な時間を過ごした。
しかし、大人の事情で詳細は内緒だ。
こうして、転移5日目が始まった。
朝ご飯はスミレと食べる約束になっている。
なので、俺とナナは食事抜きでギルドに向かった。
到着すると、併設されている食堂へ一直線。
「来たわね、ナナ」
「おはようございます、吉岡さん」
食堂では、リカ隊とスミレが待っていた。
いや、違うな。
「おはよう、吉岡くん。神罰の件は全員に共有済みだ。ここにはいないが、霧島たちにも伝えた」
相良隊もいた。
宮坂と黒瀬は、当然のような顔でスミレの両隣を確保している。
「やあやあ、諸君! 今日も絶好調そうだな!」
俺は空いている席に座ると、隣の席を叩きながらスミレに言う。
「スミレ、こっちにおいでよ! 吉岡隊として食おうぜ!」
「わかりました」
スミレが立ち上がり、俺の隣に移動しようとする。
「別に同じ隊だからってくっつく必要はないだろ」
すかさず宮坂が止めるものの――。
「宮坂くん、どこで食べるかは私が決めます」
スミレが強めの口調で言い返したため、それ以上は続かなかった。
「では、私はリカ先輩たちと一緒に食べますので、これで!」
「おう、またな! ナナ!」
「はい! 吉岡先輩も無理しないでくださいね!」
「俺は無理しなくても最強だぜ! がっはっは!」
ナナは「ですね」と笑い、リカ隊の集まるテーブル席に移動した。
「吉岡さん、今日から二日間、よろしくお願いします」
「おうよ! よろしくな!」
スミレが隣に座り、微笑みかけてくる。
(隣を指定したのは俺だが、思った以上に距離を詰めてきたな)
案の定、宮坂は「距離が近くないか?」と呟いている。
しかし、距離を詰めたのがスミレである以上、声を荒げられない。
「どうかしましたか? 吉岡さん」
スミレが俺の顔を見てお淑やかに笑う。
「俺が思っていたとおり、君は悪い子だ」
俺はニヤリと笑った。
声を落としたため、宮坂には俺が何か言ったとしかわからなかった。
「悪い子は嫌ですか?」
スミレが口元に笑みを浮かべる。
「いいや、最高だ。俺も悪い子だからね。だが、まずはメシだ」
「吉岡さんはノーマルセットですか? 私はいつもシンプルセットにしているのですが」
「朝はシンプルセットにしている! もっとも、昨日は夜もシンプルセットだったが! 食事への投資を少しケチってしまった! 良くないことが起きそうだ!」
そう言いつつ、俺はシンプルセットを注文した。
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【支払ログ】
食事:シンプルセット
支出:350G
所持金:2,653G → 2,303G
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米、サラダ、味噌汁の三点セットが運ばれてくる。
選択の余地はないが、量と味に文句はなかった。
「ところでスミレ、新しい防具、似合っているじゃないか」
スミレの新調した防具は、白を基調としたものだ。
デザインはシンプルだが、彼女の服装や雰囲気とよく合っている。
「ありがとうございます。白なので汚れが目立ってしまうのですが、クローゼットで綺麗にできるため、思い切ってこの色を選びました」
「なるほど。洗濯クローゼットで綺麗にする前提か」
冒険者専門店の宿屋に設置されている洗濯クローゼットは優秀だ。
どんな汚れもたちまち落とすし、破れた服も元通りに修復する。
洗濯などという言葉が生易しく聞こえる代物だ。
「もっとも、吉岡さんと一緒なら汚れる心配もなさそうですが」
スミレは楽しげに笑うと、美しい姿勢で食事を進める。
その所作にも品があり、名家のご令嬢のようだ。
「さて、食事をしながら確認しておきたいことと、決めておきたいことがある」
「確認しておきたいことは、私のユニークスキルについてですか?」
「大正解! どういう効果なんだい?」
スミレは食事の手を止めて答えた。
「私のユニークスキルは【聖花の結界】というもので、白い花の結界をPTメンバー全員に付与します」
「ほう? 結界とな?」
「はい。自身の周囲を半透明の結界が覆って守るイメージです。この結界は敵の攻撃を防ぎ、悪性の状態異常を無効化します。悪性の状態異常とは毒などのことです。第2階層のアラクネが張る蜘蛛の巣も、効果を無効化できます」
「なるほど。かなり良さそうだな」
「使い勝手はかなりいいわよ。ナナと一緒で、どのPTでも貢献できるタイプ」
リカが少し離れた席から口を挟んだ。
俺たちの会話を聞いていたらしい。
スミレは頷くと、説明を続けた。
「結界の持続時間は3分で、クールタイムは結界の解除から3分です。また、誰か一人の結界でも解除された場合、他の方のものも同時に解除されます」
「その言い方から察するに、勝手に解除されるケースがあるのかな?」
「あります。明確な数値はありませんが、結界で防げる攻撃・状態異常には限界があります。その限界を超えた時点で、効果時間が残っていても解除されます」
「今までに解除されたことは?」
「一度だけあります。転移2日目の大牙ボア戦で、宮坂くんへの攻撃を防いだ際に解除されました」
「なるほど。すると2日目の宮坂が無傷だったのは、スミレのスキルがあったおかげか」
宮坂が「もう同じミスはしない」と呟く。
「スキルの説明は以上です。それで、吉岡さんが決めておきたいこととは何でしょうか?」
「それは……」
俺はそこで声を落とし、他には聞こえないように、スミレの耳元で囁いた。
「秘密の合図だ」
「秘密の合図ですか? 面白そうな響きですね」
スミレが声を落として答える。
その口元には、早くも悪い子の笑みが浮かんでいた。
「何の話をしているんだ……? 聞こえないぞ」
宮坂がテーブルに身を乗り出して話を聞こうとする。
それを黒瀬が「よせ」と止めていた。
しかし、そんな黒瀬も俺とスミレの話に興味津々の様子だ。
「もはや隠してもわかる。君は宮坂や黒瀬の反応を楽しんでいるだろ? 俺が君に絡み、それに宮坂や黒瀬が反応する様を。しかも、タチが悪いことに、君の場合は『私は困っています』という顔をしながら楽しんでいる。車で喩えるなら、ブレーキを踏む振りをしてアクセルを踏んでいるようなものだ。違うかい?」
「……いえ、違いません」
スミレが少しだけ申し訳なさそうに頷く。
それでも口元の笑みは隠しきれていない。
「だから、我々の踏んでいるペダルがアクセルとブレーキのどちらなのか、それがわかる合図を決めておこう」
「なるほど。それは面白そうです。すごく……」
スミレがごくりと唾を飲み込む。
「まずアクセル――もっとイチャイチャしてくれよっていう時の合図だ。その場合、『追い風』と言うことだ」
「追い風ですね。わかりました」
「あと、声に出しにくい場面があるだろ? 例えば報告会とか。そういう時は、相手の袖を二回引くことを合図にしよう」
俺は「例えばこんな感じだ」とスミレの袖を二回引く。
スミレが「いいですね」と笑った。
「おい、今、吉岡がスミレの袖を引いたぞ。それも二回」
「気にするな。それだけのことだろ」
「それだけのことでも気になるだろ! 袖を引かれたのがスミレで、引いたのは吉岡なんだぞ!」
宮坂が怒鳴る。
「宮坂、声を落とせ」
黒瀬ではなく相良が注意した。
俺はニヤニヤしながら宮坂と黒瀬を見つつ、声を落としたままスミレに言った。
「さて、続きだ。君からアクセルの合図があれば、俺は君にくっついてイチャイチャする。物足りなければ追加でアクセルを踏めばいい。そのたびに距離を縮めていく」
「わかりました。では、ブレーキの合図は? 追い風の反対なので『逆風』でしょうか?」
「いや、ブレーキの合図は明確にストップを知らせるものだ。しっかり止められるからこそ、ガンガン踏み込めるというものだ。よって、ブレーキの合図は『ドッカンボンバー』にしよう」
「ドッカンボンバーがブレーキですか」とスミレが笑う。
「わかりやすいだろ? 表向きはふざけているように聞こえるが、マジのブレーキだと我々だけがわかる。あと、口に出せない場合は、相手の手首を二回叩くこととする」
「ドッカンボンバーと相手の手首二回ですね、わかりました」
「そして、アクセル・ブレーキともに、合図が出たら即座に実行することとする。即座に実行できない場合は、ブレーキの合図を出すこと。どうかな?」
「すごく面白いです。それに、すごく細かく考えられていて驚きました」
「そりゃあ、俺は君にだって負けないレベルの悪い子だからな」
「本当にそのようです。秘密の合図、さっそく取り入れたいです」
「いい心がけだ。ちなみに言っておくが、この合図は君から俺に送るだけではなく、俺から君に送ることもある。その場合は、君が俺にくっついてイチャイチャすること」
「えっ」
「当然だろう? 君だけの特権じゃない。俺と君、二人の特権だ。では、試してみよう」
俺はニヤニヤしながらスミレの袖を二回引いた。
その瞬間、スミレの頬が真っ赤に染まった。




