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義妹を「王都一の美姫」にしたのは、わたくしの紅でした 〜出て行けと仰るので、調合帳は一頁も置いてまいりません〜  作者: 紅坂ゆい
第1章 六年ぶんの顔

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第5話 女将さんの右の頬に、合う色を

 一日目は、誰も来なかった。朝のうちに東の窓を拭いて、看板の文字を書き直した。板が古いので、削ってから書いた。〈化粧 セラフィナ〉。それだけ。組合の札が無いので、店の名は出せない。


 昼までに、通りの人が七人ほど前を通った。全員、こちらを見て、見なかったことにして通り過ぎた。二日目も、誰も来なかった。


 朝、井戸へ行った。共同の井戸で、朝と夕は列ができる。前に並んでいた女の方が、こちらを見て、桶ひとつぶん間を空けられた。


「おはようございます」

「……ああ」


 それきりだった。


 昼過ぎに、隣の乾物屋の方が来られた。


「あんた、あそこの店かい」

「はい。セラフィナと申します」

「水は井戸だよ。朝と夕は混む。昼にお行き」

「ありがとうございます」

「……あとね」その方は少し声を落とされた。「うちの通りは、よそから来た人には一年、口を利かないから。悪気はないんだよ。順番なんだ」


 順番、とわたしは繰り返した。ジュリアン様も同じことを仰っていた。夕方に硬貨を数えた。十四枚。宿を引き払って店の床で寝ることにしたので、減り方は遅くなったけれど、それでも減っている。


 床に寝ると、東の窓の位置が低く見える。夜のあいだ、そこだけ空が四角く切り取られていた。三日目の朝、東の窓を開けた。


 この店の朝の光は、ヴェルニエの家の東の部屋より、少しだけ黄色い。向かいの家の壁が土色だからだ。壁の色が肌に映る。ということは、ここで白粉を合わせるときは、いつもより半分だけ白を引かないといけない。


 帳面を開いて、書いた。〈花の広場・東窓。向かいの壁が土色。白は半分引く〉新しい一頁の、一行目だった。


 ◇


 昼を過ぎたころ、扉が開いた。立っておられたのは、四十半ばくらいの女の方だった。背が高くて、肩に力の入った立ち方をなさる。腕まくりをしたままで、前掛けに小麦粉がついている。


「あんた、化粧の人かい」

「はい」

「うちは、その先の宿だ。花の広場亭ってんだけどね」


 その方は入ってこられずに、戸口に立ったままだった。


「いくらだい」

「お顔をひとつで、硬貨一枚いただいております」


 本当は、いくらにすればいいのか分からなかった。この三日で通りの相場を聞いて回って、それらしい数を出した。


「ふうん」


 その方は、そこで少し黙られた。それから、右の頬を、こちらへ向けられた。顎の下から目の下まで、引きつれた痕があった。古いものだ。皮膚が薄く光っていて、その部分だけ、毛穴の向きが変わっている。


「これ、隠せるかい」


 わたしは近づいて、失礼しますと断ってから、光に当てて見た。窓のほうへ半歩、それから逆へ半歩。角度を変えて三度。


「隠せません」


 その方の眉が動いた。


「そうかい」

「隠すと、そこだけ厚くなります。厚くしたところは、笑ったときに割れます。宿を切り盛りしておられるのでしたら、一日に何度もお笑いになるでしょう」

「そりゃ、笑うさ」

「では、隠すのはお勧めいたしません」


 その方は、腕を組まれた。


「じゃあ、なんで店を開けてるんだい」

「合わせることはできますので」

「合わせる」

「はい。お座りいただけますか」


 少し迷われてから、その方は椅子に座られた。


「言っとくけどね、あたしは期待してないよ」

「はい」

「二十年、いろんな人に頼んだ。王都の中ほどの高いとこにも行った。みんな『きれいに隠しますよ』って言うんだ。で、隠す。塗って、塗って、その上からまた塗って。半日で割れる」

「割れますね」

「そうやってあっさり言われたの、初めてだよ」


 その方は、鼻から息を出して笑われた。


「なんで来たか、教えてやろうか。あんた、三日ここに座ってただろ。誰も来ないのに、朝いちばんに窓を拭いてたね。うちの二階から見えるんだ」

「お見苦しいものを」

「そうじゃない。拭き方が丁寧だったんだよ」


 ◇


 まず、香油を米粒ほど。手のひらで温めてから、両方の頬に置く。痕のところは、いつもより薄く。この皮膚は油をうまく吸わない。吸わないところに油を置くと、そこだけ光る。


「ちょっと、痕のほうは何もしないのかい」

「いたします。ただ、順番が最後です」


 白粉。篩を二度。向かいの壁が土色なので、白は半分引く。左の頬から置いて、輪郭に沿わせずに骨に沿わせる。


 この方の骨は、顎がしっかりしている。眉の上の骨も高い。芯の強い骨のかたちだ。こういうお顔は、輪郭を細く見せようとすると全部が崩れる。細くせずに、そのまま出したほうがいい。


 眉を取る。この方の眉はもともと濃いので、足さずに形だけ整える。眉尻を、ほんの少しだけ上へ。


「あんた、若いね。いくつだい」

「十九でございます」

「十九で店。親は」

「母は亡くなりました。母も化粧師でしたので、道具は母のものです」

「ふうん。父親は」

「おります」


 それで、その方は察してくださったらしい。それ以上は聞かれなかった。目の際に、細く墨。この方は目が大きいので、上の際だけ。下まで入れると、顔が重くなる。


「痛くないかい、そこ」

「痛ければ仰ってください。すぐ止めますので」

「いや、痛くないよ。びっくりしただけ。誰かに顔を触られるの、二十年ぶりだ」


 手を、一度止めた。


 それから、また動かした。


 それから、紅。


 貝殻から指に取って、下唇の真ん中に置いて、外へ二度。この方の唇は厚い。厚い唇に薄い色を置くと、顔の中で唇だけが遅れて見える。だから、少し濃いめに。


 最後に、右の頬。


 細い刷毛に、紅をほんのわずかだけ含ませた。


「動かないでくださいまし」


 痕の上ではなく、痕の少し外側。頬骨の上に、紅をひとすじ、外へ向けて流す。薄く。もう一度、薄く。


 三度目で止めた。


「終わりました」


 わたしは鏡を持ち上げて、その方の前に置いた。


 ◇


 その方は、鏡を見た。


 右の頬の痕は、そこにある。消えていない。消していない。ただ、頬骨の上に色が流れているので、人の目はまずそこへ行く。目が色を追って外へ抜けたあと、痕に戻ってくるまでに一拍かかる。その一拍のあいだに、この方の顔全体が先に見えている。


 顔全体が先に見えると、痕は「顔の一部」になる。隠したものではなく、そこに有るものになる。わたしが六年かけて分かったのは、それだけのことだ。その方は、鏡を長く見ておられた。右を向いて、左を向いて、それからもう一度、右を。


 指を伸ばして、痕に触れようとして、途中で止められた。


「……いくらだったっけ」

「硬貨一枚でございます」


 その方は前掛けの下から硬貨を出して、台の上に置かれた。それから立ち上がって、扉のほうへ歩かれた。


 何も仰らなかった。


 扉が閉まった。


 わたしは、しばらく鏡を片づけずにいた。気に入らなかったのだろうか。それとも、言葉にするようなことでもなかったのか。六年、義妹の顔だけをつくってきたので、他人の顔をつくったあとに何が起きるのかを、わたしは知らない。


 台の上の硬貨を取って、袋に入れた。十五枚に戻った。帳面を開いて、書いた。


〈花の広場亭の女将さま・晴。右頬に古い火傷。隠さず、頬骨の上へ紅を外流し。三度で止める。理由——隠すと笑ったときに割れるため〉


 三行目まで書いて、顔を上げた。東の窓の外が、少し暗くなっている。もう夕方だった。三日目が、あと少しで終わる。

 傷や痕を「隠す」化粧と「合わせる」化粧は、道具も手順もほとんど同じで、違うのは置く場所だけです。隠す側は痕の上に置きます。合わせる側は、痕の外側に置きます。同じ紅で、まるきり逆のことをします。

 次回、その夕方に、もうひとり来ます。十四歳で、口が悪くて、匂いだけで中身を言い当てる子どもです。

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