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義妹を「王都一の美姫」にしたのは、わたくしの紅でした 〜出て行けと仰るので、調合帳は一頁も置いてまいりません〜  作者: 紅坂ゆい
第4章 紅は、貸すものではありません

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第31話 弁明は、いたしません

 典礼の調べは、五日後に始まった。


 朝、いつもどおりに店を開けた。客を二人お通しした。それから着替えた。装いは迷わなかった。仕事着だ。調べの席に出るのに正装をすれば、正装で守りたい何かがあると見える。仕事着の化粧師が仕事着で座る。それがいちばん嘘のない座り方だ。


 ノエルが戸口まで出てきた。何か言いたそうで、何も言わなかった。代わりに、道具箱をこちらへ突き出した。


「持って行かないよ。今日は化粧の日ではありません」

「知ってる。お守りだよ」


 道具箱がお守り。笑ってしまったが、受け取った。膝に乗せると、たしかに落ち着いた。この子は処方を出すのがうまい。


 通されたのは、検分の部屋より奥の、細長い間だった。窓が小さい。机が長い。机の向こうに官が三人。手前に椅子がひとつ。椅子の脇に、ベルナールが立っていた。今日のあの方は、こちら側ではなく、あちら側の人として立っている。


 それでいい。調べる側に知り人がいることを、心強いと思ってはいけない。思えば、顔に出る。顔に出れば、あちらの仕事が濁る。


 真ん中の官が、文を読み上げた。


 ヴェルニエ男爵夫人よりの申し立て。二十年前、化粧師エレーヌが王宮に出入りした記録が存在しないこと。同人が王家の秘に関わった疑いのあること。同人の遺した帳面を、その娘が保持していること。よって、当該の娘を大礼の任に就ける可否、あらためて検められたきこと。


 読み終えて、官はわたしを見た。


「申し立てに対し、弁明があれば伺う」

「弁明は、いたしません」


 三人の官が、同時にこちらを見た。見られることには、慣れている。化粧師は一日じゅう、人の顔を見て、人に顔を見られる仕事だ。


「弁明とは、事実を知る者がするものでございます。二十年前、わたくしはまだ生まれておりませんでした。母がどこで何をしていたか、知りようがございません。知らないことを、知っている顔で申し上げるわけにはまいりません」

「では、何も語らぬと」

「知っていることだけ、申し上げます」


 わたしは、三つだけ話した。


 母の帳面は百四十頁で、母の書いた分は六十八頁であること。二十年前の春だけ、三月ぶん日付が飛んでいること。そして母は、書き忘れる人ではなかったこと。


「帳面を、検めに出す気は」

「ございません」

「疑いを晴らす近道だが」

「近道の代わりに、お客さまの顔を差し出すことになります。帳面には、お客さま方の肌のこと、隠しておいでのことが書いてございます。母の分も、わたくしの分も。二十年前の疑いを晴らすために、いまを生きているお客さまを裏切るのでは、順番が逆でございます」


 官たちは顔を見合わせた。端の官が何か言いかけたとき、ベルナールが初めて口を開いた。


「申し立ての筋から、ひとつ確認を。——記録が存在しない、とありますが、典礼の綴りの当該の年は、まだ検めておりません。存在しないのではなく、探しておらぬだけでございます。探すのは、われわれの仕事でございますな」


 真ん中の官がうなずいて、その日の調べは終わった。


 ◇


 帰り際の廊下で、ベルナールとすれ違った。すれ違いざま、あの方は前を向いたまま、小さく言った。


「良いお答えでした。……調べの席で得をするのは、喋らぬ者と、順番を守る者でございます」


 ◇


 帰りの馬車の中で、膝の道具箱を眺めた。


 角の革が擦り切れている。下の木が見えている。木の色が濃い。長い年月、手の脂を吸った色だ。母の手の脂と、わたしの手の脂。二代ぶんの色である。お守りとしては、これ以上のものはない。


 窓の外を、夕方の王都が流れていく。橋を渡る。川は暗い。市場はまだ明るい。魚屋が声を張っている。花売りが店じまいをしている。誰もわたしを見ない。誰も母の噂をしていない。噂は上のほうにだけ浮いている。この町の夕方は、いつもどおりだった。いつもどおりの町に帰れる場所があるというのは、それだけで強いことだ。


 店に戻ると、ジュリアン様とマチルド様が揃っていた。ノエルが二人にお茶を出して、自分の分もちゃっかり並べて座っていた。


「おかえりなさい。それで、どうだったの」

「弁明はしない、と申し上げてまいりました」

「まあ」


 マチルド様が扇を開いた。


「それ、いちばん強いのよ。潔白な人間の型なの。喋れば喋るほど、人は疑うんだから」

「型で申し上げたのではございません。本当に知らないだけでございます」

「そこがいいのよ」


 ジュリアン様は、黙ってわたしの顔を見ていた。疲れが出ていたのだと思う。この方は、人の顔の疲れを見つけるのが妙に早い。


「食事は」

「まだでございます」

「では、それが先です。話はそれからでいい」


 ノエルが台所へ走った。走りながら「先生は放っとくと食べない」と余計なことを言った。余計だが、事実ではある。


 食事の前に、ジュリアン様が短く仰った。


「今日、あなたは黙ったのでしょう」

「知らないことは、申しませんでした」

「それでいい。次からは、わたしも席に入れてもらいます。婚約者は傍聴が許される。調べというものは、見ている者の数で、進み方が変わりますから」

「……お忙しいのでは」

「あなたが黙るなら、わたしが隣で立っています。黙る人間の隣は、空けておくものではない」


 言い方は相変わらず素っ気なかった。素っ気ないのに、胸のどこかが温まる言い方だった。この方の言葉は、いつも装飾がないぶん、芯まで届く。


 食事のあいだ、マチルド様が夜会の風向きを教えてくださった。醜聞は回っている。ただ、思ったより刺さっていない。理由は簡単で、話の出どころがマルグリット様だと、みんな知っているからだ。裁判に負けた人が娘の悪口を言っている——そう聞こえる分だけ、話が割り引かれている。


「でもね、油断はだめよ。割り引かれても、残るの。醜聞ってそういうものなの」


 それから話は、調べの中身になった。二十年前の王宮に、何があったか。マチルド様は当時、社交の盛りだった。


「大きな行事といえば、あれよ。王太子殿下のご婚礼。いまの陛下のね。北の公領から姫さまがいらしたの」

「北から」

「そう。遠かったわねえ。輿入れの行列が王都に入るまで二十日かかったとか。言葉は通じるけど、型が違うのよ。挨拶の型も、装いの型も、何もかも。お可哀想に、社交の席では散々に言われてね」


 ジュリアン様が「叔母上」と窘めるのを、あの方は扇で払った。


「事実よ。わたくしは言わなかったけど。——でもふしぎなのよね。あの姫さま、輿入れの朝だけは、別人のようだったの。婚礼のお顔がそれは見事でね。あとにも先にも、あの朝だけ」


 あとにも先にも、あの朝だけ。


「あら、いけない。花の話をしに来たんだったわ。式の花よ、式の。春の式なら花はいくらでもあるけど、広場の花と喧嘩しない花にしなくちゃ」


 話は式の花に流れていった。芍薬がどう、鈴蘭がどうと、マチルド様の花の講義は四半刻続いた。わたしは相槌を打ちながら、半分は明日の仕込みの算段をしていた。姫さまの話は、遠い昔の、遠い方の話だ。そのときのわたしは、そう聞き流していた。

 喋れば喋るほど疑われるのは、調べの席だけではありません。化粧も同じです。塗れば塗るほど、人は下を見ようとします。

 次回、母の道具箱をあらためます。底のほうから、見覚えのないものが出てまいります。

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