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義妹を「王都一の美姫」にしたのは、わたくしの紅でした 〜出て行けと仰るので、調合帳は一頁も置いてまいりません〜  作者: 紅坂ゆい
第4章 紅は、貸すものではありません

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第30話 家財ではなく、醜聞でございました

 その話は、王宮の沙汰より先に、マチルド様の口から届いた。


 昼前に馬車が停まって、あの方は挨拶より先に店の戸を閉めた。閉めてから、掛け札を裏返して「支度中」にした。人さまの店の札である。


「マチルド様」

「座りなさいな。立ったまま聞く話じゃないの」


 わたしは座らなかった。代わりに手を動かした。仕込み中の紅がある。練っては休ませの、練りの番だった。貝殻を掌に乗せる。指の腹で外へ伸ばす。手を動かしているほうが、話は正しく聞ける。


「昨日の夜会でね、妙な話が回ってたのよ。エレーヌ——あなたのお母さまの話」

「はい」

「二十年前、王宮に上がっていた。ところが記録がどこにもない。なぜか。王家の秘に関わって、口を封じられたか——それとも、封じられる前に、秘を持ち出したか」


 練りの回数は変えなかった。十六、十七。


「持ち出した先が、あの帳面だそうよ。娘が後生大事に抱えてる帳面には、王家の秘が書いてある。そんな女の娘を、こともあろうに十年祭の検分に呼ぶなんて——というのが、話の筋。ご丁寧に、家の裁判のことまで添えてあるの。継母と争って帳面を取った強欲な娘、ですって」


 二十、二十一、二十二。今日はここまで。貝殻を置いた。


「出どころは、聞くだけ野暮ね」

「マルグリット様、でございますね」

「あの人ひとりの知恵じゃないでしょうけどね。話の作りが上等すぎるもの。家財だ何だと言って負けた人が、今度は家財と言わずに来てる。頭のいい人が後ろで書いてるわよ、これは」


 マチルド様は扇を閉じた。閉じた扇で自分の掌を打つ。考えるときの癖だ。この方が本気で考えるところを、わたしは初めて見た。冗談の速い人ほど、本気の顔は静かになる。


 家財ではなく、醜聞で。


 なるほど、と思った。裁定所は日付を見る。日付で負けた。けれど夜会は日付を見ない。夜会が見るのは、話の面白さだけだ。そして「王家の秘を持ち出した女の娘」は、面白い。面白い話は、正しい話より足が速い。


「それでね、ここからが本題」


 マチルド様は声を落とした。


「その話とセットで、もうひとつ回ってるの。『その点、カトリーヌさんは家柄も後ろ盾も確かで安心ね』——って。推挙状に署名が集まってるそうよ。何人かは、わたくしの知ってるお名前だったわ」

「……よく、できておりますこと」

「そうよ。落とす話と上げる話は、必ず二つで一組。片方だけなら悪口だけど、二つ揃うと、世論って顔をするの」


 ◇


 午後の客を三人お通しした。


 一人目は宿の泊まり客の商家の奥さま。旅の埃で肌が乾いていた。香油を薄く。白粉は勧めなかった。二人目は八百屋の娘さん。祝いの席があるという。頬に紅を淡く。若い頬に紅は少しでいい。


 三人目は女将だった。用も無いのに座って、世間話をして帰った。女将が用も無く座る日は、たいてい通りに何かある日だ。守られているのだと思う。ありがたくて、少し情けない。


 三人とも、いつもどおりだった。噂はまだ、この通りまで降りてきていない。夜会の話が市場に降りるには、あと二日かかる。降りてきたとき、この店がどう見えるか。それは降りてきてから考えることにした。今日の客の頬は、今日しかないからだ。


 店じまいの掃除をしながら、ノエルが口を開いた。


「聞こえてたよ、昼の話」

「盗み聞きは、感心しません」

「あの声で内緒話は無理だって。……ねえ先生。悔しくないの」

「悔しい、の前に、感心しております。よくできた話だと」

「なにそれ。呑気すぎる」

「よくできた話は、作った人がいるということです。作った人がいるなら、作った理由がある。理由があるなら、そこから辿れます」


 ノエルは箒を止めて、少し考えて、それから言った。


「……売ってないのに知ってる匂いと、同じだ」

「はい?」

「出どころが分かんないものには、必ず出どころがあるってこと」


 この子は時々、こちらが三日かけて考えることを、掃除の途中で言う。


 夕方、ベルナールが来た。


 今日は王宮の馬車ではなかった。徒歩で、外套の襟を立てて。座るなり、あの方は手袋の指を組んだ。


「お耳に、入っておいでですね」

「昼に、早耳の方から」

「では、手短に申し上げます。典礼に、文が正式に上がりました。差出人は、ヴェルニエ男爵夫人。内容は、お聞き及びのとおりでございます」


 正式に、上がった。夜会の噂と、典礼への文書。外と内、両方から同時に。


「典礼は、どうなさいます」

「調べることになります」


 ベルナールは、まっすぐこちらを見た。


「文が上がった以上、調べないという道はございません。調べて、何も無ければ、それが盾になります。何か有れば——」

「有れば」

「有るものが出ます。それだけでございます」


 正直な方だ。慰めを言わない。この方の言葉は、いつも過不足がない。過不足のない言葉は、冷たく聞こえて、あとで効いてくる。


「ひとつ、伺います。調べるとは、何をお調べになるのですか」

「二十年前の、すべてでございます。お母上がいつ、どこへ上がり、誰と会い、何をなさったか。王宮側の綴り、門番の記録、当時の官の記憶。それから——」


 手袋の指が、一度ほどかれて、組み直された。


「あなたさまのお手元にある物も、求められるかもしれません。帳面、道具、お母上の遺された品。任意ではございますが」

「帳面は、お見せできません」

「……でしょうな」


 ベルナールは、少しも驚かなかった。むしろ、その答えを確かめに来たような顔をしていた。


「では、そのおつもりで。調べには、わたくしも加わります。典礼の中で二十年前を知る者が、もうわたくしくらいしか残っておりませんので」


 立ち上がって、戸口で、あの方は付け加えた。


「ひとつだけ、申し上げておきます。調べというものは、仕掛けた側の思いどおりには進まぬものでございます。二十年前を掘るということは——仕掛けた方々が思っているより、深い穴でございますから」


 ◇


 夜、灯りをひとつだけ残した。


 紅の仕込みの続きをした。今日の分の練りは済んでいる。休ませる番だ。布を掛ける。重石は置かない。紅は眠らせて育てる。母の言い方だ。眠らせているあいだは、こちらも手が出せない。手が出せない時間に、人は考えごとをする。だから職人の考えごとは、たいてい夜にできている。


 帳面を膝に乗せて、飛んだ三月の頁を、もう一度開いた。


 母さま。あなたの三月が、いま、醜聞という名前で呼ばれています。わたしはそれに、言い返す言葉をまだ持っていません。あなたが何も書き残してくださらなかったので。


 書き残さなかったことにも、きっと理由がある。六年、あなたの帳面で仕事をしてきたから、それだけは分かる。あなたは書かない人ではなかった。書かないと決めたことだけ、書かなかった。


 その決めた理由ごと、掘り返される日が来る。

 悪い話には、たいてい良い話が添えてあります。悪い話だけだと、人は疑うからです。セットになった途端、人は信じるのです。

 次回、調べが始まります。弁明はいたしません。弁明の代わりに置けるものを、この店は一つだけ持っています。

 ブックマークと評価をいただけますと、店の掛け札を新調できます。勝手に裏返される札ですけれど。

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