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義妹を「王都一の美姫」にしたのは、わたくしの紅でした 〜出て行けと仰るので、調合帳は一頁も置いてまいりません〜  作者: 紅坂ゆい
第4章 紅は、貸すものではありません

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第21話 家財目録の日付は、母の亡くなる前日でした

 書状は、訴えの通知だった。ヴェルニエ男爵家が、王都の商事裁定所に申し立てをした。家財目録に載っている物品一点の返還を求める、という内容だった。物品の名は〈化粧調合帳 一冊〉。


 裁定の日は、十日後。


 ジュリアン様は書状を読んで、すぐに人を手配すると仰った。


「代理人を立てましょう。商事の裁定に慣れた者を知っています」

「お断りいたします」

「なぜです」

「代理人を立てますと、費用がかかります」

「私が出します」

「そうしていただくと、この帳面がリヴィエール伯爵家に借りのあるものになります」


 その方は口を閉じられた。


「それに」


 わたしは書状をたたんだ。


「わたくしは、何も主張することがございません」

「返還を拒むのでしょう」

「拒みます。ですが、拒む理由を並べ立てるつもりはございません」


 ジュリアン様はしばらく黙っておられた。


「……勝つ気があるのですか」

「勝ち負けの話ではございませんので」


 ◇


 裁定所は、王宮の南にある石造りの建物だった。当日の朝、店を閉めた。ノエルが一緒に行くと言ったので、連れて行った。ローズさんも来られた。乾物屋の方まで来ておられた。一年は口を利かないと仰っていた方だ。


「見に来ただけだよ」


 その方はそう仰った。


 裁定人は五十くらいの男の方だった。机の上に書類を積んで、順に目を通しておられる。ヴェルニエ家からは、継母と父が来ていた。継母はいつもの外套を着ておられた。目尻は動いていなかった。


「申し立ての要旨を」


 裁定人が仰った。


 継母が立たれた。


「わたくしどもの家財目録に記載のございます化粧調合帳一冊を、当家の長女セラフィナが持ち出しました。返還を求めます」

「目録の写しは」

「こちらに」


 継母が書類を出された。裁定人が受け取って、めくられた。


「セラフィナ殿。反論は」


 わたしは立った。


「ございません」


 部屋の後ろで、ローズさんが小さく声を出されたのが聞こえた。


「ございません、と申しますと」

「その目録に、わたくしの持っております帳面が載っていることは、そのとおりでございます。争いません」

「では、返還に応じられますか」

「応じません」

「理由は」

「母のものだからです」


 裁定人は書類から顔を上げられた。


「それは、目録より弱い主張です」

「存じております」

「ほかに、申し立てられることは」

「ございません」


 わたしは座った。


 継母がこちらを見ておられた。この方は、たぶん、わたしが何かを持ってくると思っておられた。母の遺言だとか、証人だとか、書付だとか。持ってこられたものを一つずつ潰す用意をしてこられた。


 用意したものを使う機会が来ないというのは、たぶん、想像しておられなかった。裁定人は目録の写しを読んでおられた。その方の指が、一行目のあたりで止まった。


「ヴェルニエ男爵」


 父が立たれた。


「はい」

「この目録の作成日は」

「……そこに、記載のとおりでございます」

「読み上げていただけますか」


 父は書類を見た。


 しばらく、口を開かれなかった。


「オーギュスト・ヴェルニエ男爵」

「……六年前の、秋の十四の日でございます」


 裁定人は机の上の別の書類を引き寄せられた。


「戸籍の写しによりますと、前夫人エレーヌ・ヴェルニエ殿の死亡は、六年前の秋の十五の日」


 部屋が、音を立てなかった。


「一日前ですね」


「奥方」


 裁定人は継母のほうを向かれた。


「はい」

「家財目録というものは、家の財を数え上げる書類です。故人の遺品を家財に繰り入れる場合、通例は死亡の後に作成します」

「……」

「この目録は、前夫人がご存命のうちに作成され、当主が署名しておられる」

「病でしたので」

「病でしたので、なんでしょう」


 継母は答えられなかった。


「もう一点、伺います。この〈化粧調合帳〉は、前夫人が営んでおられた化粧師としての仕事の道具ですね」

「はい」

「ヴェルニエ家は、当時、化粧師の看板をお出しになっていましたか」

「……出しておりました」

「では、これは家業の帳簿にあたります。家業の帳簿を家財として目録に入れ、なおかつ当人の存命中に当主が署名した。——これは、どういう手続きでしょうか」


 裁定人は父のほうを見られた。


「男爵。ご説明を」


 父は立ったままだった。わたしはその顔を見ていた。この方は、六年前のあの秋に、何を考えて署名なさったのだろう。母は三日寝込んで、四日目の朝に亡くなった。署名は、三日目だ。三日目に、この家では、母の道具を数え上げる紙が回っていた。


 父は何も仰らなかった。


 ◇


 裁定は、その日のうちに出た。


 申し立ては退けられた。目録の記載そのものが、作成の経緯に疑いがあるとされた。帳面の所有については、あらためて相続の手続きで確定させるようにと言い渡された。わたしは何も主張しなかった。裁定人が、自分で日付を読んだだけだ。


 裁定所を出るとき、継母とすれ違った。この方は、立ち止まられた。


「セラフィナ」

「はい」

「あなた、知っていたのですか」

「何をでございましょう」

「日付です」


 わたしは首を振った。


「存じませんでした」


 本当に知らなかった。目録を見たことが一度も無かったからだ。継母は、こちらをしばらく見ておられた。


 目尻が、動いた。


 六年で、はじめて見た。


「……そう」


 それだけ仰って、行かれた。裁定所の外は、よく晴れていた。ローズさんが「あんた、何もしゃべってないじゃないか」と仰って、乾物屋の方が「そこがいいんだよ」と仰った。ノエルは階段の下で待っていた。


 ジュリアン様は、柱のところに立っておられた。


「終わりました」

「見ていました」


 その方は、階段を上がってこられた。


「一つだけ、言ってもよろしいですか」

「はい」

「あなたは、勝ちに来ていなかった」

「はい」

「勝ちに来ていない人間の言うことを、あの裁定人は信じたのだと思います」


 わたしは頭を下げた。


 ◇


 その日の夕方、リヴィエール伯爵家で小さな集まりがあった。叔母上のマチルド様の誕生の日だという。前から呼ばれていて、行くと答えてあった。わたしは支度のために早く着いた。マチルド様の顔をつくって、それから帰るつもりだった。


 仕上がったところで、ジュリアン様が部屋へ入ってこられた。


「セラフィナ殿」

「はい」

「私の顔も、お願いできますか」


 わたしは、手を止めた。マチルド様が鏡の中で眉を上げられた。


「あなた、何を言い出すの」

「叔母上は黙っていてください」


 その方を椅子に座らせて、髪を耳の後ろへ流した。右のこめかみから耳の上まで。皮膚が引きつれて、その部分だけ光り方が違う。周りより白くて、少しつやがある。わたしは、香油を米粒ほど手のひらで温めた。


「隠しません」

「……はい」

「痕の上には、何も置きません。置くと、そこだけ厚くなって、笑ったときに割れます」


 痕の外側。こめかみの、少し前。頬骨の稜線に沿って、白粉を薄く一本。二度。それから、その帯の外側だけをぼかす。内側はぼかさない。


 こうすると、人の目はまず頬骨の帯へ行く。帯を追って外へ抜けて、それから痕へ戻ってくるまでに一拍かかる。その一拍のあいだに、この方の顔全体が先に見えている。顔全体が先に見えると、痕は「顔の一部」になる。


「終わりました」


 その方は、鏡を見た。


 それから、髪に手をやろうとして——


 手を、下ろされた。


 髪は、耳の後ろに流したままだった。


 ◇


 集まりには、二十人ほどが来ていた。ジュリアン様は、そのまま広間へ出て行かれた。わたしは廊下の柱の陰にいた。化粧師は、宴の場には出ない。誰かが、その方の右のこめかみを見た。見て、目を逸らして、それからもう一度見た。


 二度目に見たとき、その人は目を逸らさなかった。三刻のあいだ、その方は一度も髪に触れなかった。


 ◇


 店へ戻ったのは、夜だった。ノエルはもう二階で寝ていた。台の上に、今日ぶんの手習いの紙が置いてある。〈セラフィナ〉が十二。今日は九つ目まで形になっていた。わたしは灯りをひとつ入れて、帳面を開いた。今日の頁に、二行書いた。


〈リヴィエール伯爵ジュリアン様・晴。右こめかみの痕。覆わず、頬骨の稜線へ白粉を一本、外側だけぼかす。理由——痕の上に置くと、笑ったときに割れるため〉


 三行目まで書いて、筆を置いた。三日ぶりに、静かな夜だった。そのとき、戸が叩かれた。二度。それから、少し間があって、もう一度。この時刻に人が来ることは、めったにない。わたしは灯りを持って、戸を開けた。


 立っていたのは、リディエンヌだった。

 目録の日付は、六年前から書いてありました。誰も読まなかっただけです。読む理由が無かったからで、読む理由を作ったのは、返せと言った側でした。

 次回、部の終わりです。店の戸が叩かれます。

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