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義妹を「王都一の美姫」にしたのは、わたくしの紅でした 〜出て行けと仰るので、調合帳は一頁も置いてまいりません〜  作者: 紅坂ゆい
第3章 返せと言われましても

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17/23

第17話 その白粉、匂いがおかしゅうございます

 白木の箱は、思ったより重かった。台の上に置いて、留め金を外そうとしたところで、ノエルが横から手を出した。


「待って」


 箱に鼻を近づける。左目が、いつものように細くなる。一度、二度。三度目は長かった。


「これ、開けないほうがいい」

「なぜですか」

「匂いが、おかしい」


 わたしは手を止めた。


「どうおかしいのですか」

「甘い」

「白粉は、甘い匂いがすることもございますが」

「そうじゃなくて。……甘いのに、鼻の奥が痛い」


 ノエルは箱から離れて、鼻をこすった。


「南門の三番の倉に、これと同じ匂いのがあった。あれ、なんの荷だったっけな」


 ◇


 わたしは箱を開けた。


 開けなければ、確かめようがない。中は、白粉の瓶が六つ。どれも上等な硝子で、蓋には組合の印が捺してある。市中で買えば、ひと瓶で硬貨五枚はする品だ。


 それから、紙が一枚。


〈先日は失礼をいたしました。登録を祝して。ラウレット〉


 わたしは瓶をひとつ取って、蓋を開けた。匂いを嗅いだ。分からない。わたしの鼻では、上等な白粉の匂いしかしない。指に取って、手の甲に置いた。伸びがいい。粒が細かい。二度伸ばしただけで、手の甲の血の色が消えた。


 ——消えた。


 わたしは手を止めた。


 白粉は、血の色を消すものではない。血の色の上に、光を返す層を置くものだ。だから、いい白粉ほど、下の色が薄く透ける。二度で消えるものは、透けていない。


 覆っている。


「ノエル」

「なに」

「井戸の水を、桶に一杯持ってきていただけますか」

「手、洗うの」

「洗います」


 ◇


 ノエルが桶を持ってきた。井戸の水は朝より濁っていた。昨日の雨で、底の砂が上がっている。一度目。指の腹をこすった。落ちない。二度目。手の甲を布でこすった。まだ残っている。白い。


 三度目でようやく落ちた。落ちたあと、手の甲の皮膚が少しつっぱっていた。わたしはもう一度、桶の水に手を入れた。四度目は、洗うためではなかった。落ちたことを確かめたかっただけだ。


「先生」

「はい」

「顔、真っ白だよ」

「白粉はつけておりません」

「そういう意味じゃなくて」


 わたしは母の帳面を開いた。母は、白粉の元について三か所書いている。そのうちの一つ。


〈鉛は使わない。伸びるが、三度洗っても落ちない。落ちないものを毎日置く仕事ではない〉


 三度洗っても落ちない。わたしは、洗った手を見た。その日の夕方、南門へ行った。六番の倉の商人に、瓶をひとつ見せた。その方は蓋を開けて、指で取って、舌の先に少しだけ乗せた。それから、すぐに吐き出して、水で口をゆすがれた。


「鉛だ」

「まちがいございませんか」

「甘い。鉛は甘いんだ。だから昔は砂糖の代わりに使った国があった」


 その方は瓶を台に置かれた。


「あんた、これをどこから」

「王都の化粧組合から、詫びの品として」

「……そりゃ、ひどいな」


 その方は腕を組まれた。


「組合ってのは、鉛を止めるためにあるんじゃなかったのか」

「そう伺いました」

「じゃあ、これは何だ」


 わたしは答えなかった。


 答えは一つしかない。


 わたしがこれを客に使えば、三年で誰かの肌が石のようになる。五年で歯が抜ける。十年で亡くなる。


 そのとき、この瓶に捺してある組合の印は、組合が出したという意味にならない。組合の印を持った瓶を、札を持ったばかりの女が使った、という話になる。止めるのが組合の仕事だと、あの方はご自分で仰った。二十六年で七人止めたとも仰った。


 あの言葉は嘘ではなかったと思う。あそこだけは、本当のことを話しておられた。本当のことを話す人が、いちばん確実に人を沈める方法を知っている。それを止められる立場の人が、それを送ってきた。


 瓶を六つ、順に蓋を開けて、匂いを嗅いだ。全部同じだった。ひと瓶だけ混ぜたのではない。六つとも同じものだ。


 嫌がらせなら、ひと瓶で足りる。六つ送るのは、使わせるためだ。


 ◇


「あんた、どうする」


 商人の方が仰った。


「訴えるかい」

「いいえ」

「なんで」

「訴えるには、この瓶が組合から来たことを示す必要がございます。示せるのは、あの紙一枚です。紙には『登録を祝して』としか書いてございません」

「中身のことは書いてないな」

「はい。ですので、瓶を送った覚えはない、と仰れば、それで終わります」


 その方は、しばらく黙っていた。それから、ノエルのほうを見られた。


「坊主。お前、匂いで分かったんだって?」

「うん」

「三番の倉にも同じのがあると言ったな」

「あった」

「三番は、南から来た顔料の倉だ。うちの荷じゃない。別の商人のだ」


 その方は顎を掻かれた。


「あそこの荷は、王都のいろんなところへ行く。俺は誰に行くかまでは知らんが……まあ、聞くことはできる」


 わたしは頭を下げた。


「お手数をおかけします」

「手数じゃない。俺も同じ倉を使ってる」


 帰り道は、日が落ちていた。南門から花の広場までは、荷車の通る道を歩いて半刻ほどかかる。ノエルは黙って歩いていた。


「ノエル」

「なに」

「今日は、ありがとうございました」

「別に」

「あなたが止めなければ、わたくしは開けて、そのまま使っておりました」

「使ってたら、どうなってたの」

「三年で、どなたかの肌が石のようになります」


 ノエルは足を止めた。


「……先生」

「はい」

「俺、あの店で二年、箱運んでた」

「はい」

「あの箱、何入ってたんだろう」


 わたしは答えられなかった。その日に運んだ箱の中身を、この子は匂いで全部覚えている。覚えていて、名前を知らない。名前を知らないものは、思い出しても意味にならない。


「いつか、分かります」

「なんで」

「字が読めるようになりますので」


 ◇


 三日後、噂が戻ってきた。三番の倉の顔料は、月に二度、王都の中ほどへ運ばれる。運び先は挽き屋が二軒。そのうち一軒は、組合の預かりで、そこから先の帳簿は組合が持っている。誰かが、そこから鉛を挽かせて、上等な瓶に詰めていた。


 商人の方が言ったのは、それだけだ。名前は言わなかった。言えるだけの証しが無いからだ。ただ、南門の商人が「三番の荷の行き先」を聞いて回ったという話は、その日のうちに王都の中ほどまで届いた。届いた先で、何が起きたのかは知らない。


 わたしは何もしていない。ノエルが匂いを言い当てて、商人の方が同じ倉を使っているから聞いた。それだけだ。半月後、組合の会館で役員が二人替わったという話を、ローズさんから聞いた。白粉の瓶六つは、店の奥にしまった。


 捨てなかった。捨てると、無くなる。いつか誰かが「そんなものは送っていない」と言ったときに、瓶が六つ手元にあるのと無いのとでは、話が違う。母の帳面に、一行だけ書いた。


〈組合より白粉六瓶。鉛。使わず、保管〉


 三行目の理由は、書かなかった。書けることが、まだ無かったからだ。その夜、ノエルが台の前に座って、帳面を指でなぞっていた。今日書いた一行のところを。


「先生」

「はい」

「この字、なんて読むの」


 指しているのは、〈鉛〉の一字だった。

 鉛は甘い味がします。だから昔は、砂糖の代わりに使った国がありました。白く伸びて、甘くて、安い。悪いものというのは、たいてい最初は良いもののふりをしていません。ほんとうに良いものに見えます。

 次回、六年前から一度も口に出さなかったことを、はじめて言葉にします。

 ここまでお読みくださって、ありがとうございます。ブックマークをいただけますと、井戸の水があと一杯増えます。

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