第14話 処方を返せと、義妹は言いました
五日後の昼に、リディエンヌが来た。今度は頭巾をかぶっていなかった。馬車で乗りつけて、御者を待たせたまま扉を開けた。店には客が二人いた。順番を待っている方と、椅子に座っている方と。
「セラフィナお姉さま」
声が大きかった。二人の客が振り返った。
「いらっしゃいませ。順番にお呼びしておりますので、そちらでお待ちいただけますか」
「客じゃないわ」
「では、外でお待ちくださいまし。いまお一人、途中でございますので」
リディエンヌは口を開いて、閉じた。それから、外へ出て行った。扉は乱暴に閉められなかった。閉め方だけは、六年前と同じだった。
◇
二人ぶんを終えるのに、一刻かかった。
急がなかった。
急ぐと手順が飛ぶ。飛んだ手順は、その場では誰にも分からない。分かるのは三刻あとだ。三刻あとに崩れた顔を見て、その方は「今日はうまくいかなかった」と思う。誰のせいかは考えない。だから急がない。外に誰が立っていても同じだ。
そのあいだ、リディエンヌは店の外の壁に寄りかかって立っていた。乾物屋の方が水を出そうとして、断られていた。二人目の方が、鏡を見ながら小さな声で仰った。
「あの子、さっきから見てるね」
「はい」
「知り合い?」
「妹でございます」
「……仲、悪いの」
「悪くはございません」
それは本当だった。悪くはない。悪くなるほどの何かが、この六年のあいだに一度も起きていない。最後の客を見送ってから、扉を開けた。
「お待たせいたしました。どうぞ」
リディエンヌは入ってきて、店の中を見回した。棚。椅子。東の窓。台の上の帳面。
「……ここ、狭い」
「はい」
「お姉さま、こんなところにいるの」
「おります」
わたしは椅子を出した。リディエンヌは座らなかった。
◇
その顔を、正面から見た。白粉が厚い。頬骨の下に、影が描いてある。眉は左右揃えて描いてあって、そのぶん顔が右へ傾いて見える。目の際の墨が目頭まで入っているので、目が内側へ寄って見える。
紅は、上唇にも山を作って置いてある。この子の上唇は薄い。薄い唇に山を作ると、口が重くなる。誰かが、この子に「盛る」化粧をしている。悪い腕ではない。丁寧だ。ただ、この子の骨のかたちを知らない人の手だった。そして、紅の湿りが足りない。
——今日の紅は、と言いかけて、やめた。
「お母さまが、仰っていたわ」
リディエンヌが口を開いた。
「お姉さまが、うちの帳面を持って出たって」
「はい。持ってまいりました」
「あれは、家のものでしょう」
「母のものです」
「でも、お母さまは、目録に——」
そこで、この子は言葉に詰まった。目録の中身を、たぶん見ていない。見ていない書類の名前だけを持ち出す言い方だった。
「リディエンヌ様」
「様、やめて」
「では、リディエンヌ」
わたしは台の上の帳面に手を置いた。
「この帳面に書いてあるのは、処方です。誰の顔をどうつくったかの記録です。あなた様のお顔のぶんが、六年ぶん入っております」
「じゃあ、わたしのものじゃない」
「いいえ」
「なんでよ。わたしの顔でしょう」
声が高くなった。外の御者が、こちらを見た。
「お顔はあなた様のものです。処方はわたくしのものです」
「同じでしょう」
「違います」
わたしは帳面を開いて、途中の一頁を見せた。
〈リディエンヌ様・秋の七の日。曇。紅は水を二滴。左の顎に粉ひとすじ。眉は右を一分低く。理由——正面から見たときに左右が同じ位置で止まって見えるため〉
「これは、あなた様のお顔について、わたくしが考えたことです。考えたことは、考えた人のものです」
「……そんなの」
「お顔は、お返ししようがございません。もともとお持ちのものですので」
リディエンヌは、帳面を見ていた。自分の名前が書いてある頁を。三行目の、なぜそうしたかを。
「読めるの、これ」
「わたくしは読めます」
「わたしは読めない」
そう言って、この子は帳面から目を離した。
「字は読めるわ。でも、書いてあることの意味が分からない」
◇
「返してほしいって、お母さまが」
「マルグリット様が仰ったのですか」
「うん」
「あなたが、そう思われたのではなく」
「……」
リディエンヌは答えなかった。
「リディエンヌ。ひとつだけ伺ってもよろしいですか」
「なに」
「いま、どなたがお顔をなさっていますか」
「王都の中ほどの人。お母さまが呼んだの」
「うまい方ですね」
「え」
この子は、少し驚いた顔をした。
「うまい方です。手が丁寧ですし、白粉の粒も細かいものをお使いです」
本当にそう思ったから、そう言った。
「じゃあ、なんで」
リディエンヌは、そこで一度言葉を切った。
「なんで、前と違うの」
「違いますか」
「違う。みんな、前のほうがよかったって言う」
わたしは答えを探した。答えは一つしかない。あの方はあなたの骨のかたちを知らないので、盛る以外にやりようがない。盛ったものは、離れて見れば分かるし、光の向きが変われば崩れる。
それを言うと、この子の顔をいま作っている方を貶めることになる。それだけならまだいい。この子の顔について、いま何がどう間違っているかを、この子に説明することになる。
この子は、自分の顔がどうやってこの顔になっているのかを、六年ずっと知らずにいた。知らずにいられるようにしたのは、わたしだ。いまさら教えるのは、六年の仕事を自分で剥がすのと同じことだった。
「……お姉さま」
「はい」
「なんで黙るの」
「申し上げることが、ございませんので」
「……お姉さま、怒らないの」
「なぜ怒りましょう」
「だって」
この子は、そこで言葉を探した。
「だって、わたし、いま、お姉さまじゃない人にやってもらってるのに」
わたしは帳面を閉じた。
「六年、お世話になりました。それだけです」
リディエンヌは、しばらく立っていた。それから、扉のほうへ歩いて、途中で止まって、棚のほうを向いた。棚の下段に、貝殻が四つ並んでいる。ふたつは母のもので、縁が薄く欠けている。この子は、そのうちの一つを見ていた。
左から二番目の、いちばん小さい貝殻。六年のあいだ、この子の紅を練るときだけに使っていたものだ。
「それが、どうかいたしましたか」
この子は首を振った。
「なんでもない」
それから、思い出したように付け足した。
「……お姉さま。お母さまが、もう一つ言ってた」
「なんでございましょう」
「帳面を返さないなら、人を立てるって」
「人、と申しますと」
「知らない。書類の人だと思う」
この子は、自分の言っていることの意味を分かっていない顔をしていた。伝言を頼まれて、そのまま運んできただけだ。
「お伝えいただき、ありがとうございます」
「……それだけ?」
「それだけです」
「怖くないの」
「怖くはございません。困りはしますけれど」
そして、出ていった。
馬車の音が遠ざかってから、わたしは棚を見た。貝殻は四つとも、いつもの場所にあった。珍しかったのだろう。この通りの店で、貝殻を四つも並べているところは、たぶん他に無い。
化粧の腕は、丁寧さと、その人の骨を知っていることと、二つで決まります。片方だけの人は、たいてい片方だけで足りると思っています。足りないと分かるのは、雨が降った日です。
次回、王都の花祭です。朝から曇っています。




