第13話 認可の札の下に、義妹が立っていました
審査の日取りが決まったのは、南門から戻って四日目だった。知らせを持ってきたのは、リヴィエール伯爵家の使いの方だった。
〈来月を待たず、今月の臨時の審査に申請を出しました。推薦は叔母マチルドと、私。三日後、組合の会館へ。ジュリアン・ドラクロワ〉
わたしは封書を二度読んだ。組合員二名の推薦。マチルド様は組合員ではない。ジュリアン様も違う。使いの方に伺うと、その方は少し困った顔をなさった。
「規則には『組合員二名』とございますが、但し書きがございまして。王都に領を持つ貴族の推薦は、組合員二名に代えることができる、と」
「そのような規則が」
「三十年ほど誰も使っていなかったそうです。旦那様が古い規約集を、二晩かけてお読みになりました」
二晩。
あの方は「私はまだあなたの仕事を認めていません」と仰った。あれから、叔母上の顔を一度ご覧になっただけだ。
◇
三日後の朝、会館へ行った。王都の中ほどの、石造りの建物だった。玄関の左右に柱があって、柱の上に篩と刷毛の彫り物が入っている。通されたのは二階の広間だった。長机の向こうに、七人の方が並んでおられる。中央にラウレット夫人。
「セラフィナ・ヴェルニエ」
夫人が名を読み上げられた。家名まで読まれた。
「推薦、リヴィエール伯爵ジュリアン・ドラクロワ。同、マチルド・ドラクロワ。——規約第九条の但し書きによる」
左端の男の方が咳払いをなさった。
「その但し書きは、死文ではありませんか」
「削除されておりません」
夫人の返答は短かった。
「削除されていない条は、生きております。以上」
◇
審査は、思っていたのと違った。わたしは、腕を見せることになるのだと思っていた。誰かの顔を一つつくって、それを見ていただくのだと。道具は全部持ってきていた。誰も、道具の袋を開けろとは仰らなかった。問われたのは腕のことではなかった。
「使っている白粉の元は、どこから」
「南門の六番の倉から、湿気で固まったものをいただいております」
「固まったものを、どう戻します」
「乳鉢で回します。押さずに回します。押すと粒が潰れて細かくなりすぎますので。そのあと篩を四度」
「なぜ四度」
「三度では、角の残った粒が抜けます。角の残った粒は肌に食い込みますので」
右から二人目の方が、身を乗り出された。
「鉛は」
「使っておりません」
「使わない理由は」
「三年で肌が石のようになって、五年で歯が抜けて、十年で亡くなると伺いました」
「誰から」
わたしは中央を見た。
「ラウレット夫人から、先日」
広間が、しばらく何も言わなかった。夫人は、こちらを見ておられなかった。手元の紙を見ておられた。
「……もう一つ」
左端の方が、声を出された。
「あなたの店には、いま帳面があると聞いています」
「ございます」
「見せていただけますか」
わたしは膝の上の布包みを、開かなかった。
「お断りいたします」
「なぜ」
「あの帳面には、お客さまのお顔が書いてございます。どなたのお顔のどこが乾くか、どこが高いか、何を気になさっているか。それを他所でご覧に入れることは、いたしません」
「審査でも、ですか」
「審査でも」
左端の方は、中央のほうを見られた。
「ラウレット殿」
「規約に、帳面の提出を求める条はございません」
夫人は顔を上げずに仰った。
「求めた前例はありますが、条はありません。——ほかに、質問は」
誰も何も仰らなかった。
「では、退出を」
◇
階段を下りるとき、後ろから足音が追いついてきた。ラウレット夫人だった。踊り場でわたしを呼び止めて、それから、しばらく何も仰らなかった。
「あなた、帳面を出さなかったわね」
「はい」
「出していれば、話は早かったのですよ」
「存じております」
「それでも出さない」
「出しません」
夫人は、手すりに手を置かれた。手の甲の染みが、窓の光の中に入った。
「……お母さまも、出しませんでした」
「母も、求められましたか」
「二度」
冬の五の日。春の九の日。
断る。断る、二度目。
「では、あの二行は」
「それだけです」
夫人は手すりから手を離された。
「セラフィナ。ひとつだけ申し上げておきます」
「はい」
「あなたのお母さまが断ったものと、わたくしが求めたものは、同じものではありません」
言い方が、はじめて速くなかった。ゆっくりだった。ゆっくり選んで話す人の話し方だった。
「どういう意味でございますか」
「いつか、その帳面の最後を読める日が来たら、分かります」
その方は階段を上がっていかれた。最後、という言い方をなさった。わたしは、破り取られた七枚のことを、この方に一度も申し上げていない。結果は、その日の午後に来た。使いの方が札を持ってこられた。銅の小さな板に、番号と印が刻んである。
〈王都化粧組合 登録 第四百三十一号 セラフィナ〉
家名は入っていなかった。入れる家名を、わたしが申告しなかったからだ。番号を指でなぞった。四百三十一。この王都に、四百三十人の先達がいる。母の番号が何番だったのかは、知らない。ノエルが横から覗き込んだ。
「なんて書いてあるの」
「王都化粧組合、登録、第四百三十一号、セラフィナ」
「どれがセラフィナ」
「この、五つです」
ノエルは、指でなぞった。二度、三度。
「これ、覚えとく」
◇
夕方、扉の外の札を貼り替えた。組合の停止勧告の紙を剥がした。糊が乾いていたので、端から少しずつ。破らずに剥がせた。空いたところに、認可の札を打ちつけた。釘を二本。
打ちながら、通りの人が何人か見ていた。乾物屋の方が、腕を組んで見ておられる。
「へえ」
「はい」
「取ったのかい」
「いただきました」
その方は、それだけ仰って戻っていかれた。褒めることはなさらなかった。この通りの一年は、まだ終わっていない。釘を打ち終えて、道具を片づけて、店の中へ入ろうとしたときだった。通りの向こう側に、人が立っていた。
外套の頭巾を目深にかぶっている。それでも、立ち方で分かった。背の伸ばし方に癖がある。肩の位置を少し高くして、顎を引いて。あれは、この六年でわたしが「そう立つと顔がきれいに見えます」と教えた立ち方だ。
リディエンヌだった。
顔は見えない。頭巾の影になっている。わたしは何も言わなかった。呼びもしなかった。
義妹も動かなかった。
通りを、荷車が一台通った。通り過ぎたあと、そこには誰もいなかった。店に入って、扉を閉めた。ノエルが台の前で、帳面の最初の頁を指でなぞっていた。
「先生。今日、なんか変な顔してる」
「そうですか」
「変っていうか。……いつもより白い」
鏡は、見なかった。
棚の下段に手をついて、少しだけ息を整えた。あの子は何をしに来たのだろう。何も言わずに帰ったということは、言うことを決めていなかったということだ。決めずに、ここまで歩いてきた。ヴェルニエの家から花の広場までは、歩いて一刻はかかる。
一刻歩いて、何も言わずに帰る人間のことを、わたしは一つしか知らない。言いたいことがありすぎて、どれから言えばいいのか分からない人間だ。
組合の規約集は三百頁あって、そのうち百頁ぶんは誰も読んでいません。読まれていない条文は、削除されないまま生き残ります。二晩かけて読む人が現れると、たまにそれが起き出します。
次回、義妹が二度目に来ます。今度は口を利きます。




