第三日 小樽・札幌 2/3
市街地に入り適当なバイク用駐車場を見つけ、徒歩で移動する。
「さすがに街中は暑いな」
楓は額の汗を拭いながら言った。
「ずっと思っとってんけど、あのクロスカブってサイドスタンドで停めたときやたら傾いてへん? だいじょうぶなん?」
「そうなんよ、普段はそんなことないんやけど。大荷物積んどるからやろか?」
「かもな。まあ面倒でもセンタースタンド使うしかないわな」
何度か角を曲がったが、どの通りも人で賑わっていた。さすがは北日本一の大都市である。
「あ、あそこやわ」
目当てであるところの有名店「Soup Curry Suama」が見つかったものの、そこにはすでに行列ができていた。
「……今日って平日やんな?」
十一時を回ったばかり――開店直後である。
「どうしよか……」
立ち止まり遠巻きに行列を眺めつつ、姉の意見をうかがう。
「別んとこにせえへん? ここのスープカレーがどうしても食いたいってわけちゃうんやろ?」
「まあな」
二人そろってグーグルマップを開く。
「この辺りの店、軒並み評価四以上やん……」
「ここでよくない?」
楓がスマホの画面を示す。
「まあええか」
少し歩いて入った「RAMA」は、木をふんだんに使ったインテリアの洒落た店だった。天井から下がる多数のフィラメント電球が、白い壁紙を淡く照らしている。その雰囲気に多少気圧されながら、二人掛けの小さなテーブル席に着いた。
メニューを開くなり、楓は「高いな」とぼやき顔を上げる。
「……まあこんなもんやろ」
渚はメニューに目を落としたまま、自分に言い聞かせるように言った。スタンダードな品でも1,500円ほどするようで、一般的なカレーより高いのは否めない。だが写真を見るに、大きな具材がゴロゴロ入っているようだ。
渚は迷った末「北海道ジンギスカンと野菜のカリー」を、楓は「チキン野菜カリー」を注文した。奢りだからといってやたらに高いものを頼まれたらどうしようかと思ったが、楓は意外にも標準的な価格のものを選んでくれた。
「なあ、ここの次はどのラーメン屋にする?」
「連食!? 讃岐うどんちゃうんやぞ」
しばらく待って運ばれてきたカレーを見て、「おお……」と声が漏れてしまった。レンコン・ブロッコリー・にんじん・ピーマン・アスパラといった野菜が大きくカットされた状態で器の中に整列している。オクラ・ヤングコーンに至っては丸ごと入っているようだ。それらの奥におわす舞茸も嬉しい。
何はともあれ写真を撮った。楓はすでにスプーンを手にしていたが、渚のシャッター音を耳にして一度それを置き、スマホを構える。渚はその隙にスプーンを持ち、カレーを口に運んだ。
ほのかな苦味の中に微かな甘さが垣間見え、それらを包括した旨味が口全体に広がったところで、相応の辛さがやってくる。数多くの具材やスパイスが溶け合って、幾層にもわたる味の奥行きを持たせているようだ。
「やっぱ旨いな。あと体に良さそうな味がする」
「んっ」
食べ始めた楓は手も口も止めることなく、こくこくと頷いた。
ほとんど言葉を交わさないまま食べ終え、立ち上がってレジに向かう。なるほど、値段に見合うだけの味とボリュームだった。財布を取り出したとき、横から伸びてきた手が千円札と五百円玉をカルトンに置く。
「姉貴?」
「まあ……最初言うてた店は行かれへんかったからな」
「すまん」
店を出ると、来たときにはなかった列ができていた。
「ここも人気あるんやな」
「まあ実際旨かったし」
渚は奥深い味わいを思い返しながら言った。
「カレーとスープカレーは似て非なるもの、て感じなんかな」
「ああ、カップ焼きそばは『焼きそば』て付いてるけど本来の焼きそばとは別の食いもんやろ、みたいな」
「……そのたとえはどうかと思う」
昼時の繁華街をぶらぶら歩いていると、道を挟んだ向こうに木々の茂る広場が見えてきた。
大通公園だ。渚は旅行ガイドで見た数字を思い出す。
「幅……というか全長が1,500メートルあるんやって」
「東洋のセントラルパークか」
渚が目線を上げると、子どもが水遊びをする噴水の向こうに武骨な電波塔が見えた。
「じゃああれは東洋のエッフェル塔――」
「は? 何言うてんの。さっぽろテレビ塔に決まっとるやろ」
「……っ」
無言で楓の尻に膝蹴りを入れ、渚は尋ねた。
「時計塔はこっから見えへんの? 近いんやろ」
「そやな……見えへんはずないんやけど」
辺りをぐるりと見回した楓は、顎に手を当ててあからさまに不審そうな顔をする。
「おかしいな……ビッグベン、クレムリンタワーと並ぶ世界三大時計塔やのに」
「ほーん」
あえてツッコまずにいると、突然尾骨に衝撃を感じた。
「痛っ!」
「さっき蹴られたお返し」
脚がもつれてよろけてしまった。
「あのな……蹴るんやったら肉のとこに当てなあかんやろ。骨やなくて」
実際そこまで痛くなかったのだが、悔しくなって大袈裟に尻をさすってみた。
「ごめんごめん、次から気ぃつけるから」
「蹴るのはやめへんのかい」
楓は近くの屋台まで足を進め、両手にとうもろこしを携えて戻ってきた。
「まあこれでも食べて元気出しよ」
反省しているのかどうか疑わしかったが、姉の手に握られたもろこしは大変美味しそうに見える。
「ご苦労」
両手を差し出す渚に楓は叫ぶ。
「一個はウチの分や!」
近くのベンチに腰を下ろすなり、隙間なく並んだ艶めく黄色に歯を立てた。バラけた粒のひとつひとつが口の中で踊り、瑞々しい甘味が弾ける。
「美味っ……!」
スープカレーの余韻が吹き飛ぶほどの衝撃だった。ただ焼いただけのもろこしがこれほど美味いとは。渚は尾骨の痛みも忘れてかぶりついた。
「うわっ……」
三分の二ほどを胃に収めたところで、隣でもろこしをかじっていた楓が声を上げた。その視線をたどると、テレビ塔の建物部分の屋上に、人が立っているのが見えた。地上二十ないし三十メートルくらいだろうか。体幹に装備を身に着け、屋上の縁から下をのぞいている。
「え、あれってもしかして……」
「あっ……!」
その人が飛んだ。
地面で弾け身を挺した前衛芸術になるかと思いきや当然そのようなことはなく、ハーネスに結ばれたベルトで屋上から垂れ下がる。
「バンジーか」
「ワンチャン立体機動に移行するかと思ったのにな」
もろこしを綺麗に食べ尽くした二人は札幌時計台へ赴いた。
「うーん……」
この時計台が別の意味で有名なのは、渚も何となく知っている。
「ほら、ここが日本三大がっかり観光地のひとつなんよ!」
がっかりとは真逆の表情を浮かべ、楓は声を弾ませる。
「どういうこと? 思ってたとおりがっかりしたってことちゃうの?」
「それ以上や。アンタには理解できんのか、この見事なまでのがっかりっぷりを!」
「うーん……」
まさにがっかりしているからこそ、こうして腕組みをしつつ唸っているのだが。
「説明すんで。がっかり観光地やと前評判を聞いて現地に駆けつけるやん? もうそれが期待を上回るがっかり度合いやとするやん? がっかりすぎてテンション上がるやん?」
「期待を上回るがっかり……?」
これ以上姉の話を聞かされていると、頭がおかしくなりそうだった。
そして次の目的地へ行きたいと思っても行けないので――そのうち渚は考えるのをやめた。
(あれ……?)
時計台に背を向け、敷地内を探索しようとしたところだった。木製のベンチとそこにゆったり腰掛ける紳士の像が、渚の目に入った。
「姉貴、クラーク博士おるで」
「えっ? あっ……」
振り返った楓の細い目が見開かれた。
「どうしたん?」
「クラーク像行くん忘れたわ」
「これやなくて?」
聞くところによると、羊ヶ丘展望台という札幌郊外のスポットを通過してしまったらしい。ここからでは片道三十分ほどかかるため、戻るのもかなり面倒だ。そこのクラーク博士は、札幌の全景をバックにして、右手で示した地平線を見据えているとか。
「ああ……確かにクラーク博士ってそういうイメージやな」
ちなみに何をした人なのかは知らない。
「やってしもた……」
楓は片目を閉じて唇を噛んだ。どうも冗談抜きで落ち込んでいるようだ。
「じゃあガックリ肩を落とす垂れ目女とジェントルマンのツーショットを」
「誰が垂れ目や」
口ではそう言いながらも、クラークさんの隣に座りそのとおりのポーズを取ってくれる。無意味に連写してカメラに収めた。
カブに戻り、街の中心部を北へ突っ切る。交通量が多くそれなりに時間がかかったが、札幌という都市の大きさをつぶさに感じられた。だが国道231号は排熱とアスファルトの照り返しで熱気に包まれており、照りつける太陽は姉弟の体力を徐々に削っていった。
暑さに負けた二人は札幌市と石狩市の境でスーパーに寄り、外壁にもたれながら買ったジュースを飲んでいる。
「今日はキャンプ場に泊まるんやろ? もうほかに寄るとこないん?」
「そうやな。あとは買い出しと……ラーメンぐらいやな」
「まだ食うんかい」
この女は昔からやたらと食う量が多かった。
「渚は若いのにウチより少食なんか? そんなやったらいつまで経ってもウチのタッパ追い越せへんぞ」
「もうとっくに成長期過ぎとるわ。つーかもう姉貴より身長あるし」
「ほんまにー? 今何センチなんよ」
ニヤニヤしながら顔をのぞき込んでくる。
「……170センチやけど、多分」
「ほーん? ウチも170、自称」
「……」
「……」
二人の視線が激しくぶつかり、相手の発言の真偽を探り合う。姉弟の身長差がほとんどないのは事実だが、靴を履いている今は互いに正確な数値がわからない。
「……かの豊臣秀吉は150センチもなかったらしいで」
「そもそもその時代の平均身長って、今とは比べもんにならんほど低かったんやろ? それを引き合いに出されてもなあ」
「じゃあ植村直己は? 162やで」
「えっ!? マジで!? それで五大陸最高峰登ったんか」
楓の食い付きは想定以上だった。
「いや、そんなどうでもええ話はあとにして、ラーメンよ」
「どこの店行くん?」
渚にとって身長というものは由々しき問題だったが、これ以上深堀りされる方が厄介なので姉に同調しておいた。
「すでに結構食ったけど、腹の具合はどんな?」
「うーん、まあまあやな」
空腹とまではいかないものの、そろそろラーメン一杯くらいは入るほどのキャパが確保できそうだ。
「もうちょい行ったとこに良さげなラーメン屋があるんよ。そこ寄ってこ」
かくして石狩市街地のラーメン屋に到着した。
「あれ? これって……」
時刻は三時過ぎ。ドアの内側に「CLOSED」のパネルが掛かっている。
「昼の部が終わりってこと?」
「ちゃうんよ、さっき見たら通し営業に……ほら!」
楓のスマホには確かに「11:00~20:00」と表示されている。
「まあ、そういうこともあるんちゃう? 特に個人経営の店は」
「……ちくしょう」
「さあ、どうしよか……」
石狩という街は札幌に比べかなり小規模なうえ、最も栄えているところはすでに過ぎてしまった。楓は国道を往来する車を眺めながら言った。
「とりあえず進まへん? この先に開いてるラーメン屋あるかもしれへんし」
「せやな」
方針が定まったところでヘルメットをかぶり直す。エンジンをかけたところで渚は気づいた。
「あ、ガス減っとるわ」
ほど近いセルフのスタンドに入る。
「アンタはセルフ派? フル派?」
「どっちかっつったらセルフの方が多い気ぃするわ」
「ウチは極力セルフ。仮にフルより10円高くてもセルフ」
異論は認めない、とでも言いたげな口調で断言する。
「その頑固さはどっから来るんよ……」
「ふふん」
きっと店員さんと話すのが嫌だからだろうが、そこは詮索しなかった。
「さ、こっからはひたすら走るで」
楓の言葉どおり、二人は一路北へ向かった。市街地を離れると信号も少ないうえ、渋滞にも出くわさない。時たま現れる小さな町では少しスピードを落としてみるものの、この半端な時間に営業していそうなラーメン屋は見つからなかった。
「おっ」
「うおお……」
目に入る人工物も少なくなったころ、二人の行く手が開け蒼い海が姿を現した。穏やかな海面は陽光を受けて絶え間なくきらめいている。道の両側が平原となっているためそれほど距離は近くないものの、海風に運ばれた潮の匂いがヘルメットの中にも舞い込んできた。
「海は見えたけど……ラーメンはなさそうやな」
「いや、まだ望みはあるで」
前を行く楓が指差す看板は、数キロ先に道の駅があることを示していた。
多少の期待を胸に道の駅「石狩あいろーど厚田」に到着した。だが三か所ある飲食店は二軒が営業終了、一軒は臨時休業だった。
「まあ、そうなるな」
苦笑しながらその場を立ち去った。




