第十日 フェリー・敦賀 2/2
苦い表情のまま店を出た二人はコンビニに立ち寄った。カゴを携え冷蔵庫のガラス戸に手をかける。
「あれ、アンタ酒飲むん?」
「うん、姉貴も飲むやろ」
「んー……じゃあちょっとだけ」
酎ハイを適当に二缶選ぶ。姉弟ともに酒の席で少し嗜む程度で、習慣的に飲酒することはない。だが今夜ばかりは何となく飲みたい気分だった。楓がレジで財布を出そうとするのを、渚は制して言った。
「ええわ、ここは出す」
「すまんな……って、これ千円も行かんやろ。奢るなら奢るで豪勢にいけや」
口を尖らせる楓が指差すカゴには、酎ハイとポテチ、さけるチーズしか入っていなかった。
「はい、これとこれも。……あっすいません、ファミチキもお願いします」
売り場に戻って手近な商品を追加したうえに、チキンまで注文する楓。結局千五百円ほど払う羽目になってしまった。
「はい、かんぱーい」
「乾杯ー」
宿へ帰投した二人は、「北海道ツーリング完走慰労会」なるものを慎ましやかに開いた。
「つーか家に帰るまでがツーリングちゃうん?」
「明日それぞれの家帰ってからまた落ち合えいうんか? 面倒この上ないやろ」
雑に開けたポテチが一部袋から飛び出し、楓は「三秒ルール」と言いながら拾い上げて口へ放り込んだ。
「渚はどこが一番良かった?」
「一番? うーん、絶景やったらエサヌカ線かジェットコースターの路か……でもやっぱエサヌカ線やろか」
「あーそうやな。ウチもエサヌカかもしれへん。サロベツ原野は天気悪かったもんな」
確かに、あそこで天気に恵まれなかったのは実に惜しい。
「エサヌカは交通量少ないんもよかったな」
「わかる」
二人はポテチをつまみながら、一本しかない酒をちびちびと口に含む。
「じゃあ飯やったら? やっぱあれ?」
「最初の鮭おやこ丼やろ」
「まあ、そうなるな」
「ウチの中でイクラの概念っつーか、定義が変わったわ」
「あっ、ファミチキ冷めてまう」
渚はまだ温もりの残るチキンを袋から取り出した。
「それウチが注文したのに……」
「金出したん俺やんけ」
楓も袋に手を突っ込み、ビーフジャーキーの封を開けた。ゆっくり飲もうと心がけてはいたものの、酎ハイが空になるまでそう時間はかからなかった。
「はいお代わりー!」
楓も缶を空けたようで、渚が飲んでいた缶とともに手に持ち、ベッドから立ち上がった。そのままユニットバスの方へ向かう。アルコールに耐性のない楓は、すでに足取りに危うさが感じられる。
「はーい二杯目おまっとさーん! かんぱーい」
「卍解ー」
中に補充された液体を一気に嚥下した。
「水やんこれ!」
酎ハイのレモンの香りの中に、かすかなカルキくささが感じられる。
「飲み過ぎたら明日に響くやろ?」
いかにも「いいことしてやった」とでも言いたげな姉の表情が癇に障り、渚はさけるチーズを手に仰向けになった。上から三分の一の部分を一心不乱に裂いていく。
「な、ウチにもやらしてや」
片側が空になった二本入りの袋を無言で投げる。それを受け取った楓もチーズを裂く作業にかかった。
「なあ、これってどこまで裂けるん?」
「信じる限りはどこまでも」
「そもそも裂いたらどうなんの? 何か意味あるん?」
「煩悩が取り払われてストレス解消になるとか」
「……」
「……」
「ああクソ! めっちゃイライラするわ」
もともと不器用なうえに酩酊状態の楓は、一分と経たないうちに投げ出した。何度か裂いたチーズを口へ含み、缶の水を煽っている。
「結構ええ感じになってきたで」
渚は一本一本がミリ単位になるまで細かく裂いたチーズを誇らしげに掲げた。
「うっわ気色悪ぅ! 未知の深海生物みたい」
「……」
渚は無言でそれを口へ運び、氷結の匂いのする水で流し込む。ツマミもだいたい片付いたところで、楓は切り出した。
「なあ、次いつ行く?」
「えっ、次があんの?」
「そらそうやん。今度は宿代とフェリー代アンタ持ちやで」
「ファッ!?」
「次はやっぱ道東がええな! 知床と美幌峠と根室と……あと斜里も外せへんわ。いつにする?」
「千年後でどうだ?」
「すぐだな」
楓はベッドから降り、小型の冷凍庫から冷やしておいた雪見だいふくを出した。
「まだ食うんかい」
「満腹やったらウチひとりで食うで」
「いや俺も食う」
少し自然解凍したのち、ひとつずついただいた。満足げに腹に手を添えて、楓はしみじみと言う。
「まあ費用は割り勘にするとしても……また行こうや、来年あたりでも」
「せやな。なんやかんや楽しかったし、ええ想い出になったし……」
「運命の人にも逢えたしな」
「まだ引っ張るんかそれ」
「けどもしも来年行って再会できたら、それは間違いなく運命の人やで」
「会われへんかったら?」
「走る! この星の果てまで!」
そろそろ日付が変わろうという時刻だ。いつもより床に就くのが遅くなったと思ったが、昨日もこれくらいだったので気にしないことにする。
「電気消すでー」
「んー」
横になったものの渚の目は冴えていて、とても眠れるような状態ではなかった。
家にたどり着いて、本当にツーリングが終わるまで……十数時間。明日の朝から起算すれば十時間もないだろう。長いようで短く、時間を持て余すようで忙しく、楽しいことも苦しいことも、奇跡のようなことまで起こった旅だった。
(「また」か……うん、また行きたい。……いや行く! 来年また行ったるわ!)
地球の果ては無理でも、北海道の東端までなら行けるだろう。誓いを立てた渚の胸の中で、次なる旅への想いが際限なく膨らんでいった。




