最終日 帰還
「渚ーそろそろ起きやー」
普段は雑音にしか聞こえない姉の声も、このときばかりは頭蓋の内壁を引っかかれるような、不快極まりない毒音波に思えてくる。
「んー……あと一万光年……」
「カシオペアまで行く気か」
昨晩遅くまで寝つけなかったせいで、脳も体もまだまだ休息を欲している。
「起きへんと口にしこたまアーモンド詰め込んで『アーモンド臭がする! 口からアーモンド臭がする!』って大騒ぎすんぞ」
「アホか」
反射的にガバッと身を起こした。
「あれ、寝たままやったら口いっぱいのアーモンド食えたってこと?」
「青酸カリかもしれへんで」
どう考えてもアーモンドの方が安上がりだ。
「どうせ遅ぉまでペイチャンネル観とったんやろ。まっことけがわらしい、毛皮らしいでありんす」
「つまりフェイクファーってことか」
楓は足を広げて立ち、体側のストレッチをしながら言った。
「今日は何時までに帰らなあかんとかあるん?」
「いや特には。晩飯までに家着ければええよ」
「せっかく敦賀くんだりにおることやし、ちょろっと観光してから帰ろや」
確かに、このまままっすぐ帰ってしまうのも味気ない。
「氣比神宮で無事故に感謝して、敦賀シンボルロードを散歩して、ほんで昨日食えんかったユーラシア軒に行くってのはどない?」
「え? 昨日ソースカツ丼は邪道ってことにならんかった?」
「そう結論を急がれるな。ウチあれから調べてんけど、ソースカツ丼を売りにしてるとこって結構あるんよ。ここ福井と、長野の駒ヶ根、あと群馬の桐生が三大ソースカツ丼で通ってるんやて。あとソースを拡大解釈した場合、岡山のデミカツ丼、新潟のタレカツ丼、山梨のカツ丼もソースカツ丼に含んでいいと思う。要するにな、昨日のアレでソースカツ丼を分かった気になるのは危険なんよ。全国区ちゃうとはいえ、これだけいろんな地域で支持を集めとるんやから、ソースカツ丼というもんが不味いわけないやろ。知らんけど」
「そこは断言したげて……」
「だからな? 昨日のアレはほら、天災に遭うたと思って」
やはり、この女の食に懸ける執念は生半可なものではない。楓の口上はいとも容易く渚の心を翻させた。
「よっしゃ行こ! 俄然食いたくなってきた」
「まあどっちみち開店は十一時なんやけどな」
荷物をまとめた二人は、しばらくバイクを置かせてもらえるよう頼みチェックアウトを済ませた。
「うわ、まだ雨降っとんな」
「太陽燦々よりマシやろ」
外に出るなり、湿気を多分に含んだ空気が二人を包んだ。傘を差して水たまりを避けつつ歩く。
「さっき言うてたシンボルロード? ってなんなん?」
「ああ、タダやから安心してええで」
「中身を訊いとんやけど」
氣比神宮までは十分もかからなかった。
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○氣比神宮
敦賀市街に位置する越前国の一宮。
真紅の鳥居は「日本三大木造鳥居」のひとつに数えられている。
ご利益は衣食住・海上安全・縁結び・勝負事・延命長寿など多岐にわたる。
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鳥居をくぐって間もなく、得体の知れない亀の像が目に留まった。石造りの亀はその顔がどこか人間のようであり、口から出たパイプより、澄んだ水がチョロチョロと流れている。
「長命水やて。いただいとこ」
楓はショルダーバッグからボトルを取り出し、中の水道水を捨てたところにその湧き水を充填した。
渚もあとに続いて水を汲む。楓はその場から少し離れ、味見をするようにボトルを傾けていた。
「ん、体に良さそうな味がする」
「ほんまに?」
「ごめん嘘」
渚にも何の変哲もない水のように感じられた。その後拝殿へ足を運び、旅の無事を感謝した。神社をあとにし適当に歩きつつ、渚は思い出したように言った。
「そういや北海道って神社少なくなかった?」
「そもそも開拓使が入るまで、神社というもんがほとんどなかったんやろ? アイヌの人らはアニミズム的な独自の信仰を持ってて、神道何それ状態やったらしいし」
そのとき、二人が往く大通りのあちらこちらに、どこかで見たような銅像が立っているのに気づいた。
「これって9●9?」
「松本●士やな」
「なんで伏字になっとんの」
「訴訟対策やろ」
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○敦賀シンボルロード
敦賀駅の北側へ延びる大通り。
「銀河●道9●9」や「宇●戦艦ヤ●ト」の銅像が数多く立ち並ぶ。
北陸新幹線の延伸にともない整備が進められている。
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9●9もヤ●トも詳しくない渚だが、様々な銅像を目にしていると、自ずと気分も高揚する。
「おお、このメ●テルええな! 姉貴、一緒に撮ってや」
互いにツーショットを撮り合い、敦賀駅までやって来た。
「ここか、ちょっと前に新幹線が通ったとかいうんは」
「さすがに新しくて綺麗やな」
構内のベンチを借りて小休止を取る。再び表に出たときには、雨はほとんど止んでいた。
「こっから大阪まで開通すんのはいつになるん?」
「さあ? でもウチらツーリンガーには新幹線がどうなろうが関係ないやん」
「だからツーリンガーっておかしいやろって……」
往路とは逆側の歩道を通って、今来た道を戻った。ホテルのフロントに顔を出したが、時間外であるせいか人の姿は見えない。そのまま出発することにした。
「今度こそ最後の飯やな」
ユーラシア軒まではすぐだった。開店直後にもかかわらず、すでに七割がたの座席が埋まっている。
これは期待してもいいということだろうか。
「なあ、敦賀のユーラシア軒と福井市のユーラシア軒て別物なんやて」
注文を終えた楓はスマホをいじりつつ言う。
「そうなん?」
「ああ、元祖は福井なんやけど、そこで修行した人が暖簾分けで敦賀に店を出したとか」
「玉将と大阪玉将みたいなもんか」
やがてミックス丼が二人の前に並んだが、丼の蓋が閉まりきっていなかった。
「「いただきます」」
ミックス丼は豚カツ・ミンチカツ・チキンカツで構成されているのだが、そのどれもがやたらと大きい。
「これ蓋する意味あんまなくない?」
「いや、こんなふうにカツをいったん置くのに使えるらしいわ」
楓は裏返した蓋をテーブルに置き、その上にチキンカツを移動させた。
「なるほど、ごはんにアクセスしやすくなるな」
渚も姉にならい、箸では扱いにくいほど大きなチキンカツを蓋へ移す。それから丼に戻り、豚カツにかじりついた。
「んんっ……」
見た目より柔らかいカツから肉汁が溢れ出し、渚の口内を満たした。咀嚼することで脂身の甘さも広がる。続いてごはんを口に含んだとき、渚は衝撃を受けた。
本来カツとごはんは相性抜群というわけではなく、一般的なカツ丼では卵とダシが間に立ち、二者を絶妙に調和させている。ソースにその橋渡し役が務まるのだろうか、と渚は疑問に思っていた。事実、昨夜食べたソースカツ丼には、単にソースに浸したカツをごはんに載せたという印象しか受けなかった。
だがこのカツ丼は別物だ。カツに染み込んだソースが一般的なソースとは違うのか、カツとごはんの間を巧みに取り持っている。
三種のカツを心ゆくまで堪能し、米粒ひとつ残さずに完食した。
「最後にこれ食べれてよかったわ」
「ほんまにな」
旨いものを味わえる喜びももちろんだが、ソースカツ丼への誤解が解けたというのも大きな収穫だった。二人とも上機嫌のまま店をあとにした。
「さーて、ぼちぼち帰ろか」
駐車場へ戻り、楓は伸びをしながら言った。
「どの道通るん?」
「どうせなら琵琶湖沿いに走ろかと思うんやけど」
「異議なし」
再びシンボルロードへ出て敦賀駅を過ぎ、滋賀県まで一気に南下する。峠を越えしばらく走ると、開けた目の前に琵琶湖が広がった。
湖沿いの道は目には涼しげだが、やはり暑いものは暑い。北海道でも後半は厳しい暑さだったが、本州とは空気が違うのだろうか、これほど肌にまとわりつくような熱気はなかったように思う。
さらに、大津に近づくにつれて車の流れが悪くなってきた。
「ここらでまた山入るで」
「えっ?」
楓は西へと進路を変え、またしばらく山道を走った。
琵琶湖を背に京都府へ入った姉弟は、「里の駅大原」へ立ち寄った。照りつける太陽から逃れるように建物へ入る。
「あー極楽極楽」
楓はTシャツの胸のあたりを引っ張っては戻し、服の中に冷気を送り込んでいる。地元の農産物が並んでいるのを眺めながら、渚も汗が乾いていく感覚を味わっていた。売り場を何周かしただけで何も買わずに外へ出たが、楓は出入口横の自販機でポカリを二本買い、一本を差し出した。
「はい、お疲れ」
「奢ってくれんの?」
プルタブを引き上げる音が重なった。昨夜のように缶を軽く合わせる。
「ここで別れよか」
「えっ? ここで?」
もっと先で解散するものだと思っていた。神戸・大阪のそれぞれの自宅まで、まだ相当な距離がある。
「アンタはこの国道をずっと走って、京都と奈良を通って帰るとええわ。ウチはもうちょい西へ行ってから南下する」
「お、おう……」
都市部の混雑を考えると妥当な判断なのだろうが、急なことで面食らった渚は、しばし瞬きを繰り返した。
「何や? ウチと離れんの淋しいんか?」
「アホか」
「……そうそう、忘れるとこやったわ」
楓はショルダーバッグを探り、小さな紙の包みを取り出す。
「はい、誕プレ。ちょっと遅なったけど」
「ありがと……」
テープを剥がし出てきたのは、五センチ立方の小さな木彫り熊だった。
「これをウチやと思って大事にしいや」
「鎖でも巻いてトイレのタンクに沈めとくわ」
渚もシートバッグを開けて手を突っ込む。
「俺からもプレゼントあるんよ、ちょっと早いけど」
楓の誕生日は九月だった。
「えっ、アンタも買うとったんか」
取り出したそれは、台紙の端が少し折れていた。
「メロン熊のボールペンか……えらい毒々しい色しとるな」
「姉貴にピッタリやと思て」
「ありがと、暴漢に襲われたときこれで目ぇ突いたるわ」
二人のポカリはほぼ同時に空になった。
「一人になったからって気ぃ抜きなや。長旅をしている者が最も事故に遭いやすいんは帰宅直前やからな」
空き缶を弟に預けた楓は、グローブを着けつつ諭すように言う。
「ゆっくり行くわ。姉貴も体調崩さんようにな」
「おう。ほなまた」
軽く手を挙げ、ハンターカブは静かに走り出す。
この旅でずっと追い続けてきた姉の背中が、少しずつ遠ざかっていく。
渚は空の缶を手にしたまま駆け出し、大声で姉を呼び止めた。
「待って姉貴! まだ言わなあかんことあんねん!」
「えっ……?」
急停止した楓は、振り返って目を見開いた。
「おかんから伝言。『気ぃつけや』って」
「遅いわ!!」
To Be Continued? →
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ラノベを書くのは初めてで、ずっと手探り状態のままキーボードを打っていたような気がします。
自分が面白いと思うネタをこれでもかというほど詰め込んでみた次第ですが、それが皆さんの目にどう映ったのか、大変気になります。
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