第十日 フェリー・敦賀 1/2
津軽海峡を抜け日本海へ出てから、船は長い周期でゆっくりと揺れ始めた。だが揺れ自体は往路より少し小さく、これならだいじょうぶそうだと、目覚めた二人は胸をなで下ろす。
簡単に身支度を整え、軽く食事を摂ることにした。
「さすがに半日以上食ってへんと腹減るな」
渚は食料の入った袋を提げ、姉と連れ立ってデッキへ出た。昨日はカレーラーメンとホッキ料理で満腹になり、それ以降固形物を取っていなかったのだ。
「姉貴はどうする?」
「ちょっとだけ食うわ」
楓は袋の中を探りおにぎりを手に取った。東港からの買い出しの際、最寄りのローソンではなくさらに離れたセイコーマートまで足を伸ばしていた。
「やっぱ北海道ツーリングはセコマに始まりセコマに終わるんやな」
「然り」
楓はビニールを剥いだおにぎりを真ん中で割り、片方を口に運ぶ。
「ん」
ウィンナーマヨパンをかじる渚の顔に、もう片方を突きつけてきた。
渚はふと思い立って、パンの上に半分になったおにぎりを重ね、同時に頬張ってみた。
「どんな味?」
「パンとおにぎりを一緒に食ったような味」
パン二個とおにぎり一個を二人で完食した。数多味わってきた北海道飯も、これにて食べ納めということになる。
「酔いはだいじょうぶなん?」
「遠くを眺めてる分にはな。スマホ見てたらあっちゅー間に胃がマスカレードやけど」
楓はバッグから音楽プレーヤーを取り出した。
「ああ……そしたら船でできることって音楽聴くぐらいしかないわな」
「音楽もええけどラジオの方が長く聴けるで」
「えっ、スマホの電波入らんのにラジオは入るん?」
「いや、前に録音しとったやつをプレーヤーへ入れてあるんよ」
そのとき船内放送が流れた。
『本船は間もなく、苫小牧行きの「どくだみ」とすれ違います。ご覧になる方は、進行方向左手にご注目ください』
「こんなんあったんやな。行きは気づかんかったわ」
「姉貴はマーライオンみたいになっててそれどころちゃうかったもんな」
「いや、結局吐かんかったからな?」
前方へ視線を移すと、確かに大型船の姿が見えた。アナウンスを聞いたほかの乗客も、続々とデッキに集まってくる。二人も立ち上がって移動した。
数百メートルの距離を置いてすれ違う船へと目を凝らす。向こうのデッキにも乗客が溢れており、互いに手を振り合った。二隻の船が横並びになったのはわずかな時間で、両者の間隔はみるみるうちに広がっていく。
「やっぱそこそこの速度出てるんやな」
「確かに、沖に出てまうとスピード感摑みづらいわ」
デッキに出てきた乗客もどやどやと引き上げていく。その中にカワサキの兄さんの姿を認めた。
「あ、どうもこんにちは」
「ごきげんよう。いやあ、このフェリーのすれ違いはもう何回も見てるんやけど、やっぱり来てまうな」
「船の中退屈ですもんねえ」
「まあこのフェリーはすごい設備整ってる方やけどね。昔鹿児島から乗ったフェリーなんてヤバかったよ。航行時間は短いけど、もうさながら奴――」
しばし談笑したのち、渚はデッキに姉を残しシアタールームへ赴いた。だが役者の台詞も行動もほとんど耳目に入ってこない。渚の脳裏では、旅の様々な思い出が去来していた。これほど濃密な一週間が、これまでの人生であっただろうか。往路のフェリーで同じように映画を眺めていたのがつい八日前だとは、とても信じられなかった。
際限なく回想しているうちにいつの間にか意識が飛んでおり、気がつくとエンドロールが流れていた。渚は重くなった足をぎこちなく動かし、部屋へと戻る前に売店へ立ち寄った。
敦賀港への到着は午後八時半の予定だ。それまで小腹が空いたときに食べられるものがないかと思っていたのだが、真っ先に目に留まったのは北海道の土産物だった。
「うわっ、忘れてた……」
民宿での母との通話が瞬時に甦る。大金を借りたにもかかわらず土産もないとなると、実家での渚の立場が危うくなるのは確実だ。
(そうや、姉貴なら……)
渚は姉の元へと急ぐ。楓はデッキのベンチに腰掛け、虚ろな目で水平線を見つめていた。
「土産? じいちゃんばあちゃんのとこに送る分なら買うたけど」
「そうか……」
「えっ、実家の分買うてへんの? あれまあ」
「おかんに山奥の木に縛り付けられて放置されるわ」
「じゃあウチが頭からワインとハチミツかけたるから」
「助けろや!」
「まあここで気づいてよかったやん。ちょっと割高かもしれへんけど買えるんやし」
渚は売店へと引き返した。どうせならばもっと多くの種類の中からじっくり選びたかったが、贅沢をいえる立場ではない。棚に並ぶ菓子をざっと眺め、じゃがポックルという品を手に取った。
「おっ」
そのとき、売り場の一角に雑貨が並んでいるのに気づいた。渚はその前に立ってしばらく考え込む。よく吟味したのち、その中のひとつを手に取った。
待ちに待った下船のアナウンスによると、敦賀は今雨が降っているとのことだった。
「はあ……夜の雨はかなわんな、ほんまに」
車両甲板へ降りてカッパを着込み、跨ったまま合図を待つ。ようやく外へ出られた途端、湿った熱気が体にまとわりついた。霧状の雨が風に舞っている。
夏の暑さとはこういうものだったか、と北海道の空気に慣れてしまった体が違和感を訴える。全身から汗が噴き出し、カッパを着たのは失敗だったと思った。だがわざわざ停まって着たばかりのものを脱ぐのも非常に億劫だ。
「ある程度降ってた方がよかったんちゃうか、これ」
「かもな」
二人はスピードを控えて走った。トンネルを抜け赤レンガ倉庫を横目に市街地へ入る。
予約していたビジネスホテルまではすぐだった。運良く屋根のあるところへ停めさせてもらえ、二人は手早くチェックインを済ませた。
「おお、最終夜にして一番豪華な部屋やん!」
オートロックを解除しドアを開けるなり、渚は声を弾ませる。
「トイレも風呂も付いとるし」
ごくごく普通のビジネスホテルなのだろうが、今の二人にはリッツ・カールトンに感じられる。一通り部屋を眺め回し、それぞれツインのベッドへ倒れ込んだ。
「柔らかっ」
「ネットカフェにしよかどうか迷ってんけどな。ここの半分強で泊まれるし」
「えっ……」
「でも帰宅当日にまた体調崩したら洒落にならんやろ? それでまあやむをえずってことで」
「姉貴……」
「おう」
二人は大の字で仰向けになったまま、顔だけを動かし視線を繋ぐ。
「腹減ったわ」
「せやな」
大きく息をついてから、楓はスマホを取り出す。
「ユーラシア軒とっくに閉まっとるわ。飯どうしよ?」
「それってここらのチェーンやっけ? どっかで聞いたことあるわ」
「そう、ソースカツ丼の人気店なんやけど……何故か夜七時までやねん」
「早っ」
徒歩でホテルの周りをうろつき、適当な店でソースカツ丼を注文した。
「うーん……」
「なるほど……」
しばらく真顔で食べ進めていたが、渚は向かい合う姉に顔を寄せ、声を潜めて言った。
「なあ、世界三大発明って確か……火薬と」
「羅針盤と」
「「カツを卵でとじること」」




