第九日 苫小牧 3/3
二人は重い腹を抱えてほっき貝資料館を訪れた。結論からいうと、なかなかに熱のこもったイロモノスポットだった。
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○ほっき貝資料館
食堂が集まる中に建つ小さな資料館。
エキセントリックな展示が多いものの、真面目な展示もないわけではない。
入場無料なのでお気軽に。
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最初に目に飛び込んできたのは、紙粘土でできたような質感の、黒い鳥と目玉のついた灰色の石が向かい合ったオブジェだ。「カラスとホッキ」というアイヌ民話の一場面を再現したものらしい。
「あ、これ石やなくてホッキ貝か」
ほかにも歪な人形や前衛的な造形物が所狭しと陳列されている。情報量が多すぎて脳の処理が追いつかない。
「ホッキ貝合わせ」コーナーには、ホッキの貝殻が多数並べられていた。楓はそこに立って貝殻を持ち上げたり裏返したりしつつ、「貝合わせか……」と神妙な声色で呟いていた。
資料館をあとにし、ミール展示館へ移動する。
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○ミール展示館
苫小牧市科学センターに属するパビリオン。
ミールのほかにも月面探査機や隕石、宇宙食といった宇宙関連の展示が充実しており、プラネタリウムもある。
これほどの内容を無料で観せてくれるとは、苫小牧も器が大きい。
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気になっていたミールとはもちろん食事のことではなく、旧ソ連が手がけていた宇宙ステーションの名称だった。
ここに展示されているミールは「実物予備機」であり、これが実際に宇宙で運用されていたわけではない。現役の機に何らかのトラブルがあれば第一線へ赴くことになっていたが、幸か不幸かその機会は訪れなかったのだ。
東京の企業がソ連からミールを購入、苫小牧の建設会社がその企業から購入、さらに苫小牧市がその会社から譲り受けたらしい。旧ソ連→東京の企業→地元の会社→苫小牧市と幾度も所有者が変わった末、ミールは今ここに横たわっているわけである。
大役を背負ってソ連で製造されたにもかかわらず、まさかこんな小さな島国の科学館に居を移すことになろうとは、ミール自身も予想だにしなかったはずだ。そして自分もまた、青天の霹靂ともいうべき姉の提案がなければ今ここにはいなかった。
いくつもの偶然が重なり合った結果、こうしてミールと自分は対峙している。
「はっ……!」
ミールを見つめたまましばらく放心しているうちに、結構な時間が流れていた。
それ以降、ミールを筆頭に各展示をじっくり見学し、外へ出たのは午後五時前だった。渚の口から大きなため息がこぼれる。
「あーあ、これで全部終いか……」
「港まで多少距離あるから、もうちっとだけ続くんじゃ」
「えっ? 港ってすぐそこちゃうの?」
マップでは近くにフェリー乗り場が表示されていたような気がする。
「あれは苫小牧西港で、ウチらが乗る船は東港から出るんよ」
「ほーん」
道道を四十分ほど走り苫小牧東港に到着した。
「とうとう着いてしもたな……」
「着いたは着いたけど……」
感慨深げな渚に対し、楓はキョロキョロと辺りを見回している。渚もそれに気づきスマホを開いた。
「えっ、嘘やん」
あろうことか、東港周辺にはコンビニやスーパーの類いが存在しない。最寄りのコンビニまで五キロもある。にわかには信じがたく、渚は声を震わせた。
「こんなことある? あんだけでかいフェリーが出てる港やで?」
「あっ……」
「どうしたん」
「ツーリングマップルに『付近にコンビニ・GSなし』って書いてあるわ」
「あーあ」
「……コンビニまで多少距離あるから、もうちっとだけ続くんじゃ」
「わーい嬉しいなー……」
買い出しを終え港へ戻った二人は、待合の椅子に体を沈め待機していた。
「遥さん、今ごろは稚内あたりにおるんやろか……」
「さあ、どうやろな……」
走ったり食べたりと忙しくしているときはまだしも、こうして手持ち無沙汰になるとついつい頭に浮かんでしまう。日中も彼女のことが何度か脳裏を過ぎり、昨日ほどではなくとも感傷的な気分になってしまった。
「でも逢えてよかったよな」
「それは間違いない」
旭川で買ったノートに、渚はこの旅で起こったこととそのときの心情を書き連ねている。日記といえるほど体裁が整っているわけではなく、備忘録と呼ぶのがふさわしいこのノートには、遥との出来事を記していない。文字に起こすのが照れくさい、万一誰かに見られたときに恥ずかしいというのもあるが、一番の理由は記録する必要がないと思えたからだ。それほど記憶力がよくない渚でも、彼女との想い出は忘れはしない、と自信を持って言える。
「そろそろやろか」
すっかり夜も更けたころ、楓はあくび混じりに言った。渚も周りの乗客も待ちくたびれている。
「時間までもうちょいあるで」
「ちょっと荷物の確認したいし、ウチは早めに行くわ」
渚も姉のあとに続いた。
「あれ、これって……」
一台のバイクに注意を引かれた。ここへ着いたときには見かけなかった、カワサキのツアラーだ。
(どっかで見た気が……)
そのとき、聞き覚えのある声が背後から届いた。
「おお、お二人さん。また会えるとはな」
「あ、どうも! あのときはお世話になりました」
「おかげで助かりました」
「旅は楽しめた?」
「「はいっ」」
「ふふっ……」
姉弟が同時に返事をすると、兄さんは控えめに笑った。
「二人ともめっちゃええ顔してるで。それにちょっと逞しくなっとるな」
「そうですか?」
「日に焼けてるってのもあるかもしれんけど……あと表情とか雰囲気が柔らかくなってる気がする。特に妹さん」
「あの……実は私の方が姉なんです」
「えっ、マジで? 若く見えるね」
「いや、そんな……」
まんざらでもなさそうな姉を尻目に、渚はすぐさま話題を移した。
「お兄さんはどこを周られたんですか?」
「道東をぐるっと走ってきたんよ。旭川に寄ってから網走、屈斜路湖、知床、中標津、根室、釧路、帯広、襟裳岬みたいなルートで」
「なるほど、メジャーなところはほぼ走破した感じですねぇ」
渚の知らない地名もあったが、東の方を一周してきたことは何となくわかった。
「二人はどこ行ったん?」
「えっと、まず札幌に出て――」
人でごった返す浴場から引き上げてきたときには、すでに船は港を離れていた。
往路のフェリーで混雑を嫌い風呂に行かないまま床に就いたところ、不快感と体の痒みで夜中に後悔した。その反省を活かし入浴することにしたのだが、皆考えることは同じらしく、渚はろくに湯に浸かることもなく逃げるように浴場をあとにした。
「うーぃ、えらい混んどったな」
しばらくして楓も風呂から戻ってきた。
「歯ぁ磨きに行こ」
男女共用の洗面所で横並びになった二人は、歯ブラシを動かしつつこもった声で会話する。
「今回は酔い止め忘れてへんよな?」
「あっ――」
「えっ!?」
「うっそーん。さすがにちゃんと持ってきとるで」
綺麗に磨かれた鏡越しに、楓は憎たらしい笑みを浮かべる。
「重り付けて海に放り込むぞ」
「夜はデッキ立入禁止やん」
歯磨きを終えラウンジへと場所を移した。壁に沿って飲料・食料・その他雑貨の自販機が並んでいる横を抜け、隅のソファへと腰を下ろす。
「なあ、姉貴は今何をしとんの?」
ずっと頭の隅に残っていた疑問をぶつけてみた。
「えっ? まあいわゆる……ファビュラスなるままに、ヘブンリー、プレシャスにむかひて、マーベラスに移りゆく――」
「仕事の話なんやけど」
楓はボケを封殺されて顔をしかめたが、間もなく観念したように切り出した。
「元々おった会社をゴールデンウィーク前に辞めたんは言うたっけ?」
「それは聞いたな」
「そっからとりあえずバイトしとってんけど……それも盆の前に辞めてもて。せやから今はニートやな。どこに出しても恥ずかしい、今をときめくトキメキのニートですわ」
そう言ってカラカラと笑ってみせたが、渋い顔の弟を見て口をつぐんだ。
「でも生活費とかこの旅費とかどうしてるん?」
「生活費はまあ……多少貯金があるからそれで。あと去年から株やっててな。持ってた株がたまたま調子良く上がって、今回の旅費を工面できたんよ」
「まさにカブ主やん。ホンダも買うたん?」
「買うたけどそこまでは上がらんかった」
姉がそのような世界へ足を踏み入れていたとは、つゆほども知らなかった。
「つまり阿漕な商売しとるわけちゃうんやな」
「安心せえ、パパ活とかしとらんから」
「いや、その心配はまったくしてへん」
広いラウンジにはほかの乗客はおらず、自販機の低いモーター音が継続して聞こえている。
「そんで、これからはトレーダーとしてやっていくん?」
「いや。あくまで副業っつうか、家計の足しになればええな、っていうレベルやな。これで食っていくんは無理やわ」
「ほーん。じゃあ今後どうすんの?」
「もー、おかんと同じようなこと言うんやめてや。ほら、今は充電中やから……。そういう渚はどうなんよ?」
攻守交代とばかりに楓は身を乗り出した。
「まあとりあえずは単位を落とさんようにしながら……ゆくゆくは就活やな。いうてもどんな業界がええとか、職種がどうとか、そもそも公務員は受けるんかとか、ひとつも決まってへんけど……」
「まあまだ先やもんな。そんなもんやろ」
何らかのダメ出しをされるかと思っていたが、楓は構うことなく話を進める。
「でもな。働くんやったら大手にしとき。大手がええわ」
「そうなん? 中小企業はあかんの?」
「もちろんその会社でしか自分のやりたいことができへん、っていうんなら別やで。でも給料も福利厚生も労働環境も、やっぱ大手の方が整ってる……というか、ハズレが少ないんかな。特にこだわりがないんなら大っきいとこ行った方がええわ」
「ほーん」
学生時代の楓も大手を志望しながら、結局中小企業にしか内定をもらえなかったと聞いている。こんな姉ではあるが、経験者の語る言葉には少なからず説得力があった。
「さて戻ろか……まあがんばりや」
「姉貴もな」
人気のない廊下で、前を行く楓が振り返った。
「さっきカワサキのお兄さんも言ってたけど、やっぱウチってだいぶ若く見られるよな。これからは美魔女路線で行くわ」
「寝言言ってんじゃねえよ」
「ぬへへ」




