第九日 苫小牧 1/3
長いようで短かった北海道ツーリングも、いよいよ最終日を迎えた。帰宅は明後日になるが、今日の夜中に出るフェリーで北海道を離れなければならない。
「最後までブイブイかますで」
「ここまでかましてたんか?」
いつもより早めに出発した二人は冷涼な山あいのワインディングを走り、夕張へ抜けた。
「前に財政破綻したんって夕張やっけ?」
「そうそう。何百億って借金こさえたとか、人口激減してゴーストタウンになったとか聞いたわ」
九時前に「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」に着いたが、営業時間は九時半からのようだ。
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○幸福の黄色いハンカチ
1977年に公開された映画で、山田洋次が監督、高倉健・倍賞千恵子・武田鉄矢・桃井かおりが主演を務める。
網走・阿寒・帯広・夕張といった北海道の各所を巡るロードムービー。
「想い出ひろば」ではラストシーンが撮影された夕張のロケ地が、そのまま保存されている。
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「んー、あと三十分待って五百五十円か……映画は好きやけど、どうしてもここが観たいってわけでもないしな」
「まあ俺もそうやけど……どないする?」
ほかには誰もいない広い駐車場で、二人は額を突き合わせる。
「この周り走ったら、どっかからハンカチを付けた柱だけでも見えへんやろか?」
「……」
実に姉らしくケチくさいアイデアだが、今は悪くないと思えた。
「とりあえずぐるっと行ってみよ」
なるべく敷地の外周に沿うように走ってみたが、結局ハンカチも倍賞千恵子も見られなかった。
想い出ひろばをあとにした二人は由仁へと差しかかる。
「俺ら苫小牧行くんやろ? ちょっと遠回りしてへん?」
「いや、寄りたいとこがあってな」
「どこ?」
「何かこう、口惜しいというか、やるせないというか……この世の無情を感じさせてくれるとこよ」
「何じゃそら」
姉がどこを目指しているのか、まったく見当もつかなかった。だが走りながらしばらく思案した結果、ひとつの可能性に到達する。
「わかったわ。若くしてこの世を去った芸術家の作品を集めた美術館やろ」
具体的に誰とまでは特定できないが、当たらずとも遠からずという具合ではなかろうか。
「まあ見てのお楽しみや」
走ること数分、楓は道道沿いのとある看板を指差した。
『ヤリキレナイ川』
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○ヤリキレナイ川
夕張川支流の一級河川。
だが全長およそ五キロしかない。
もともとは「ヤンケ・ナイ(魚の住まない川)」、「イヤル・キナイ(片割れの川)」と呼ばれていた。
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水は半分涸れており、川というより用水路だ。手入れのされていない川原は草が生い茂っており、それによってところどころ川面が隠れている。
「……」
「……」
「……なあ姉貴」
「……」
目を固くつぶり唇を歪めた楓は、腕組みをしたまま首を前に倒している。まさにヤリキレナイ様子だ。
無言で写真を撮った渚は、楓を放置してキーが付いたままのハンターカブに跨った。
「何や、また交換するんか?」
「ええやろ? 今日で最後なんやし」
クロスカブで発進した楓の後方につく。考えてみれば、姉弟そろって美術にはとんと興味がなかった。博物館や科学館ならともかく、最終日に遠回りしてまで美術館を訪れるわけがないのだ。
南下し苫小牧へ入った二人は、道の駅「ウトナイ湖」へ立ち寄った。ここは白鳥が見られることで有名な湖だが、さすがに夏に姿を現すことはない。
「えっ!? シマエナガって実在すんの?」
展示パネルを目にした楓が唐突に声を上げる。
「そらそうやろ。むしろ何で架空のもんやと思っとったん」
「いや、シマエ市のゆるキャラかと思てた」
「まあそう見えんこともないか……」
湖の展望台に立った二人は、目を細めながら彼方を見つめる。だが鳥とはかなりの距離があり、どれが何という鳥なのかまったく分からない。
「そろそろ十一時やし、もう行こか」
「……待って姉貴、向こうに双眼鏡置いてあんで」
「え? どうせ百円で一分ぐらいしか見れへんやつやろ」
「ちゃうちゃう、タダの」
なんとそこには、盗難防止用のケーブルに繋がれた普通の双眼鏡が置かれていた。
「おお、これで見放題やん」
双眼鏡を交互にのぞきつつ、しばしバードウォッチングを楽しんだ。
ウトナイ湖から少し北上し、「味の界王」に着いた。柄にもなく野鳥観察などしていたのは、カレーラーメンなるものを出すこの店が開くのを待つためだった。
カレーラーメンと聞いてどんなものかと思っていたが、出された丼を見て納得がいった。
「なるほど、スープ以外はラーメンなんやな」
明るい茶色をしたカレースープから、チャーシュー、わかめ、ネギ、そしてたっぷりのもやしが顔を出している。
目を閉じ合掌した渚はカレーに箸を突っ込み、底の方からラーメンを引っ張り出した。
「おお、いけるな」
「二日絶食してから食うべきやったわ」
正直なところインパクト重視のメニューかと思いあまり期待していなかったが、それが間違いであることを思い知った。
「中華麺とカレーって案外合うんやな」
「合うように作ってるんやろ? でもこれは素直に旨いわ」
ズルンズルンと豪快に麺を啜り上げる楓。
渚はレンゲでカレーをすくい、口内全体へ行き渡らせるようにして味わう。細かいことは分からなかったが、豚骨スープとカレーが絶妙に調和しているのが感じられた。
「あっ、もやしからどんどん水分出てきとるな」
「あらま」
このとろみのついたカレーが薄まるのは避けたい。渚はカレーの絡まったもやしを先に片付けた。
「さて、飯も済んだことやし――」
カブへと戻る途中、楓はキーを取り出しながら言った。
「――飯行くか」
「ああ、姉貴の腹の人面疽に喰わせる分な」
「アホか」
姉曰く、苫小牧の海辺に「マルナカ食堂」というホッキ貝で有名な店がある。だがそこは午後二時閉店のため、今から向かうべきだとのこと。
「じゃあ一時半ぐらいに行けばええんちゃうの?」
「かなりの人気店やからな。あんまりギリやと売り切れで閉まっとるかも」
「……現時点ですでに閉まっとる可能性は?」
「なきにしもあらず」
駐車場の片隅にて、本格的な飯会議の火蓋が切られた。
「ホッキ貝ってどっかで食ったよな……稚内やっけ?」
「そう。だから是が非でも食いたいとまではいかへんのよ」
「ほかに苫小牧の名物ってないん?」
「やっぱ水揚げ日本一のホッキが強すぎるからな……あとは今食ったカレーラーメンぐらいちゃう?」
ならばやはりホッキをいただくべきではなかろうか。
前髪をかき上げた楓は改まって言った。
「これが北海道で食う最後の飯になるやろから……」
「……失敗は許されんと?」
楓は深く頷く。
「うーむ……」
実に悩ましいところだった。
どうせなら有名な店で食べたい。かといってカレーラーメンを平らげたばかりの腹では、ホッキ貝の美味さを存分に堪能することができないかもしれない。
楓はスマホを操作しつつ言った。
「しかしこれ、人気メニューがホッキカレーってのはどういうことなんやろ」
「ホッキカレー?」
「ほら」
掲げられたスマホで食べログのページを確認した。
言われてみれば確かに違和感がある。新鮮な魚介類を扱う店であれば、自信のある食材は刺身や寿司、海鮮丼など生の状態で提供したいと思うのではなかろうか。
渚もスマホを開いて検索をかける。
「いや、店のホームページ見たら海鮮丼がおすすめになっとんで」
「ほんまや」
前の道を行き交う車に視線を移し、渚はひと呼吸置いて言った。
「そもそも生で食う場合、店によってそこまで変わるんやろか?」
「……言われてみたらそうかもな。焼いたり揚げたりするんなら技術やほかの素材の差が出て味も変わるやろうけど、海鮮丼とかなら魚介そのものの質でほとんど決まりそうやわ」
「ならこの店にこだわらんで、ほかの飯屋でもええってことちゃう?」
「ほかの……このあたりはいくつか飲食店集まっとるな」
「とりあえずここまで行ってみよ」




