第八日 美瑛・富良野 1/4
ラッシュが始まる前に市街地を抜ける予定だったが、如何せん起きるのが遅くなった。二晩世話になった部屋から引き上げ、カブに荷物を積む。
「あーあ、もうこんな時間やん」
「姉貴かてグースカ寝とったくせに」
「しゃあないやろ、昨日まで体調悪かったんやから」
渚はラーメンを二杯食べ満腹となったところへ、バナナやら何やらを口にしたのがまずかった。胃もたれを起こした体は深い眠りに入れず睡眠不足に繋がった。一方楓は二十時間睡眠が仇となって体内時計が狂い、なかなか寝つけなかったようだ。
そろって二度寝してしまい、宿を出たのはラッシュが終わろうかという時分だった。
とある交差点での信号待ち。今日も南へ向かうはずだが、いつの間にか太陽を右に見て走っていることに気づいた。
「なあ、道間違えてへん?」
「えっ?」
すっかり回復してまた前を走る楓が振り返った。ちょうど青信号になり交差点を直進したところで、路肩に停車しスマホを確認する。
「はい大丈夫ッ! 完璧に合ってるぜ! OK! たぶん」
「ちょっと待って! 今小さくたぶんてつけたさなかった?」
「ごめん間違うとった」
ルートを修正し郊外へ出た。
「今日は美瑛と富良野やっけ?」
「ああ。あと十勝岳の麓まで行って青い池を見よ」
線路と平行に走る国道237号を一直線に南下する。渚はふと気になったことを尋ねた。
「海辺だけじゃなくて、こういう内陸の方でもまっすぐな道多いよな? なんでやろ」
「8番」
「は?」
「そら平地が多いからや。あと明治期に開拓が一気に進んで、計画的に道路が作られたってのもあるな。知らんけど」
「知らんのかい」
そんなやり取りをしているうちに美瑛に到着した。
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〇美瑛
花畑や牧場が広がる丘陵地帯。
スカイラインやマイルドセブンのCMのロケ地となった。
多種多様な花が咲くが、一番の見ごろは七月から八月にかけて。
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ここは丘巡りで有名らしい。国道を右折し、パッチワークの路へと入った。緩やかな曲線を描きながら、どこまでも続く丘を行く。
「渚、ちょっとの間バイク交換せえへん?」
「交換? まあええけど」
サロベツ原野を走っているときに、少しそんな話をした気がする。一度路肩に停止しハンターカブに跨ったところ、足つきが悪くなったことに気づいた。
「うっ……」
少し動揺したのを背後の姉に悟られないよう、右足でしっかりと踏ん張りながらサイドスタンドを払う。
「前は譲らへんで!」
楓は渚を抜き去り走り出した。慌ててエンジンをかける。
「おお、デジタル速度計」
ガソリンのメーターもクロスカブと比べるとハイテクな雰囲気だ。
発進して間もなく、乗り心地に大きな差があるのがわかった。エンジン音は低くパワフルだ。シートが硬めに作られているせいか、振動や地面の凹凸がよりはっきり伝わってくる。同じカブでもこれほどまでに印象が違うものなのかと感心した。
アクセルを開けてクロスカブに追いつくと、楓は軽く振り返った。
「結構怖いなこれ! 何かすっぽ抜けそうな感じ」
「やっぱそうか。ハンターカブは安定感あるよな」
「せやろ? クロスカブはエンジン音もちょっと軽いし。でも速度計はこっちの方がええわ」
タイヤの赴くままに町の北側の丘を走ったふたりは、国道を横切り南側の丘にも訪れた。
「今日の渚はなかなか引き離せへんな」
「やっぱバイクの性能やったんやわ」
これまでは登り坂になると姉に付いていけないということもしばしばあったが、今は容易に追い付ける。15ccの差がこれほど顕著に現れるとは意外だった。
北側は農場が多かったが、こちらは牧場もところどころに見られる。適当に角を曲がっていると、いつの間にか元の国道へと戻ってきた。
「いやー走ったなあ」
「まだまだ。こっからが本番やん」
国道を少し行ったところにその入口があった。
ジェットコースターの路だ。連なる丘を走るという点では変わらないが、この道は地図上では一直線になっている。つまり左右へ曲がることはないものの、絶えずアップダウンを繰り返すわけだ。
コース上の無数の山と谷のうち、最初の山の頂点に差し掛かった。
「おっほ……」
楓の口から感嘆の声が漏れた。渚は減速した姉の真横へと並ぶ。
片側一車線の道は下りに切り替わり、一度は二人の視界から消える。だがその先で再び姿を現し、次なる山へ導くようにスッと延びている。
「行くでー」
楓は上体を屈め、一気にアクセルを開けた。位置エネルギーも味方につけたクロスカブはスムースに加速する。渚も負けじとあとに続いた。
通常、起伏のある場所に道を拓くのであれば、その地形に合わせてカーブを設けるだろう。だがここは違う。沿って走るのではなく、まさに突っ切るというかたちだ。だだっ広い平野に定規で引いたような一本道や、空気の澄んだ山間部のワインディング――そういった今までに走ってきた道とは、明らかに趣が異なっている。連日息を呑むような良い景色の中を走り続けたことで、感性が鈍くなりかけていた二人の目には、ことさら新鮮に映った。
「これ、どこまで……どこまで続くんよこれ……!」
いくつかの山と谷を越えたとき、楓は歓喜と戸惑いが入り混じったような声を上げた。こみあげる愉快さを抑えきれないといった調子だ。徐々に昂ぶっていく感情は、渚のみならず楓の注意まで散漫にさせた。
「うあっ……!」
前を行く楓が唐突に車体を倒し、すぐさま引き起こす。反射的にアクセルを戻した渚の目に、地面に円く広がった茶色い塊が映った。
「もうちょっとで踏むとこやったわ……。何あれ? 牛のウンコ?」
「土ちゃう?」
「まあどっちでもええか……よそ見厳禁、前方集中」
楓は自分に言い聞かせるように呟いた。
四、五キロほど直進し続けた末、ようやく終点へ到達した。「ここまでがジェットコースターの路」という看板が出ていて実にわかりやすい。
「なあ、この道戻るんやろ? 帰りは俺が前でええやんな?」
ここまで常に姉の姿が目に映っていた分、せめて復路はじっくり景色を堪能したい。
「いや、さっき思ってんけど、別に一緒に走らなあかんわけちゃうよな」
「んん?」
「時間差でここをスタートしよ」
「何それ、こっちはこれまで汚いケツが常に視界に入っとったのに」
「誰のケツがブツブツだらけや」
「えっ、ブツブツなん……?」
「んなわけないやろ。さながら白鯨のようにツルッツルやで」
「むしろゴワゴワしてそう」
結局一分ほどの間隔を開けて発進することになり、逆方向からの眺めも存分に味わうことができた。国道で合流したところでそれぞれ自分のバイクへ跨り、再び南へ向かう。
渚がカブの時計を確認したところ、じきに昼時になろうとしていた。
「ええ具合に腹減ってきたわ」
「昼飯はサガリ弁当な」
「サガリ?」
「寿司屋で出されるお冷やのこと」
「何やねん水弁当って……」




