第六日 比布・旭川 2/2
旭川に入ったあたりで楓は切り出した。
「なあ、ラーメン食わへん?」
「また食うんか」
「『みづはす』とかいう生姜ラーメンで有名な店あるんよ。ほら、体調悪いときって生姜とか効きそうやん?」
「……仰せのままに」
渚は呆れながらも姉のリクエストどおりにそのラーメン屋へ向かう。
「おっ、ここちゃうか」
店は国道沿いのわかりやすいところにあったが、駐車場がまったくない。
「うわー、どないしよ」
念のため確認してみたが、駐車禁止の標識がバッチリ出ている。
「この裏に公園あるで。停めれるんちゃうか」
細い路地を曲がると、すぐに公園へと出た。図書館や神社と敷地を同じくしていて、街中にしては相当な広さだ。駐車場を見つけたものの、「公園利用者以外駐車禁止」とあった。
「困りましたなあ」
ぼやく渚の横で、楓は唐突に人差し指を舐め両のこめかみに宛てがった。
「ポク、ポク、ポク……」と口ずさみながら、目を閉じてしばし迷走する。
チーン。
「ウチらは原付なんやから『駐輪』やろ? 駐車禁止にはあたらへん」
「それ俺でも思いついたわ!」
不満そうに「最近ぜんざい食うてへんからかな」などと呟く姉を無視して、駐車場の隅にカブを停める。みづはすへ向かおうとすると、どこからともなく警備員のおっちゃんが現れた。
「こんにちは」
「あ、どうも」
「こちらの公園をご利用でしょうか?」
口調こそ丁寧なものの、その眼差しは冷たく感じられた。
「いや、その……ちょっとトイレを貸してもらおうと思っただけですよ」
渚はとっさに言い訳し、遊歩道を挟んだトイレへと足早に向かった。
「みんな考えることは同じなんやな」
「ちょっとぐらいええやろうに……」
おっちゃんを横目に再びカブに跨った二人は、少し離れたところでカブを路肩に寄せていた。渚は上半身だけで姉の方を振り返る。
「バイク用の駐車場探す? ほかの店行く?」
「……今日の宿ってこの辺りやろ? カブだけ先に置かしてもらえんやろか?」
「その発想はなかったわ。宿はあっちやっけ?」
姉の機転に密かに感心しつつ、渚は来た道を戻ろうとした。
「ちょい待ち。向こうに面白いもんあるで」
「何それ」
「ええから着いて来ぃ。ゆっくりな」
楓は渚を追い越して走りだした。
「だから何やねん」
「見たらわかるから」
やたらと勿体ぶる姉に少々腹が立ったが、それを目にした途端ネガティブな感情は吹き飛んだ。
環状交差点、俗にいうラウンドアバウトだ。
「中の車優先の時計回りな」
先行する楓は右からの車を見送り、ドーナツ状の道へ踏み出した。渚も右側を確認し、そっとアクセルを開けた。ハンターカブに追いついてそのまま走る。
「おおう……」
車体をずっと片側に傾けていることに、大きな違和感を覚えた。だがそれは決して不快なものではなく、何かのアトラクションにも似た感覚だった。
「あれ? 一周してしもた?」
「出るで」
楓が左ウィンカーを出したのを見て、渚もそれにならう。歩行者に注意しつつ元の国道へ戻り、カチカチと鳴っているウィンカーを切った。
「どやった? 初めてのラウンドアバウトは」
「……久々にYESを聴きたくなった」
チェックインの時間には早かったものの、カブを置かせてほしいと申し出たところ快諾してもらえた。みづはすまではここから数百メートルだ。
「風邪気味のくせに食欲はあるんやな」
「そやな、もともとウチはよっぽどのことでもない限り食欲落ちへん。むしろ普段より食う」
みづはすには多少列ができていたものの、十分もしないうちに席へ案内された。
「ふーい、旨かったわ」
「そろそろええ時間やな」
宿に戻りチェックインを済ませた。踏み出すたびにギシギシ軋む階段を上り、二階の一室へと入る。
「うーん……レトロ」
「趣っつーか……風情があるよな」
六畳一間の和室に、二組の布団が敷かれている。旧式の黄ばんだエアコン、小型のテレビに冷蔵庫、折りたたみ式の机と座椅子、年季の入ったノーマット――ちなみに風呂とトイレは共同だ。渚は開け放されていた窓を閉めてエアコンを入れ、座椅子へ腰を下ろして言った。
「トキワ荘よりはなんぼかマシか」
「あっ、ここWi-Fiあったっけ?」
室内を見回すと、画鋲の跡が目立つ壁にIDとパスワードを記した紙が張られていた。
「よかったわ」
「これで文明人らしい暮らしができるな」
エアコンの冷気が徐々に部屋を満たし、二人の汗も引いていった。壁を背にへたりこんでいた楓は、這うようにして布団へと移動する。
「やっぱしんどいわ。さっきのラーメンが結構キてるんかも……」
「唐揚げも食ったしな」
「ちょっと前まではどんだけ食っても全然平気やったのに……歳やろか」
「ToshIやろな」
「紅やろか」
「紅だあああ!」
渚も隣の布団へ寝転がる。
「そういや家出てから全然音楽聴いてへんな」
「俺もや」
目を閉じてゆっくりと息を吐く。とにかく目まぐるしい六日間だった。時間の流れは早く感じられたものの、その間の出来事があまりに濃密で、すでに何週間も旅を続けてきたようにも思える。
奇妙な感覚に包まれたまま、渚は意識が遠のいていくのを感じた。
「ぶえっくしょーい!」
けたたましいおっさんのくしゃみで目を覚ました。だが部屋には姉弟以外の人間の姿はない。
「つまり姉貴はおっさんやったわけか」
「は? ぼてくりまわすぞ」
ポンと手を打ち納得する渚に、楓は赤ら顔で凄む。
「何やねん。さっきより悪くなっとるがな」
楓は黙ったまま二度、三度と盛大に鼻をかむ。
「生姜ラーメンの効能はどこいったんよ」
「……ウチの中のウイルスがたまたまラーメン好きやったとか」
これからどうしようかと渚は頭を掻きながら、机に置かれた小さな置時計に目を遣る。三十分近く寝ていたようだ。
「つーかアンタどっか行って来ぃよ。伝染るで」
「えー? 今から出かけるんもなあ……」
買い出しならともかく、すでに観光地を訪ねるような時間ではない。
「とりあえず風呂入ってくるわ」
一般家庭の風呂場を二倍に拡張した程度の浴場は、まだ時間が早いせいか一番乗りのようだった。泡立ちの悪いボディソープで体を清め、ステンレスの浴槽に身を沈める。
部屋に戻ってみると、隣り合って敷かれていた布団のうち、楓のものが窓際まで移動していた。
「寝た?」
「食いもん買うてきてー」
「何がええの?」
「何でもいい、ジャンッジャン持って来い……!」
「しもつかれでもええ?」
「人間の食いもんにして」
「栃木県民に謝れ」
「先に言うたんアンタやろ」
ジャージをジーパンに履き替えた渚は、ヘルメットを手に一階へ下りた。薄暗いロビーを横切り、見かけよりも重い玄関扉を押す。
「うわ、今にも降りそうやな……」
厚く垂れ込める雲の下、渚は呟いてカブにキーを挿した。勢いで出てきてしまったが、そもそも行く当てがない。姉の食料を買うのはもちろんだが、渚自身とてもう一食摂る必要がある。ひとり豪勢なものを食べたところで後ろめたさなど微塵も感じないが、あとから姉の非難を受けるのは避けたい。かといって、いつも行っているような牛丼屋で済ませるのもあまりに惜しい。
「まあ適当に行こか」
旭川市街を見物するのも兼ねて気の向くままに走り出したが、すぐ違和感に襲われた。
一人で走るということが妙に不自然に思えて仕方がないのである。初日に道の駅で姉と落ち合って以降、ずっと行動をともにしてきた。一週間前までは誰かと走ることなど皆無だった渚だが、今では完全にペアツーリングに順応してしまっている。
落ち着かない気分のまま道なりに進んでいたところ、偶然旭川駅に出た。
「結構栄えとるな……」
さすがは北海道第二の都市である。だが駅前まで来たことで、カブを停められそうな店は見当たらなくなってしまった。ロータリーをぐるりと回り駅ビルに背を向けたとき、とうとう雨が降りだした。
「あーあ、もうどこでもええから入ろか……」
また当てもなく走っていると、大通りの一角で「ながよし」という赤い看板が目に入った。いかにもチェーン店といった雰囲気だ。
駐車場の隅にカブを停め、急ぎ足で店内へ入る。やはりローカルチェーンのようで、看板メニューはぎょうざとカレーらしい。
(見たことない組み合わせやな……)
札幌で旨いスープカレーをいただいたが、そろそろ普通のカレーも食べたくなっていたところだ。
「すいませーん、ぎょうざカレーお願いします」
北海道らしさは皆無だったものの、普通に旨いぎょうざとカレーをいただいた。雨が降る中スーパーに寄って食料等を買い込み、宿へ帰投する。
「おお なぎさ! よくぞ もどってきてくれた! わしは とても うれしいぞ。」
「ニフラム!ニフラム!」
渚は呪文を唱え買い物袋を手渡した。
「粥、サラダ、ヨーグルト、バナナ、サラダチキン、大学ノート、バランスパワー、プリン、シャーペン……えっ、今からこれ全部食えってこと?」
「んなわけないやろ。さっきおばちゃんに連泊さしてって言うてきたから、明日の分も入っとる」
「は!? じゃあ……明後日の朝までここに軟禁ってこと?」
「姉貴はな。俺はどっか行ってくるけど」
「いけず~」
「何がいけずや。病に伏せて『一度でいいから……一度でいいから金平糖が食べたかった……』って譫言のように呟く姉貴のために、こうやっていろいろ買うてきたったのに」
「その世界線のウチはあれやろ、絶対骨と皮だけになって筵に寝てるやろ」
渚は自分の布団でうつぶせになり、買ってきたノートを広げた。
「何それ? 日記?」
「うん。せっかくいろいろ体験してるんやし、忘れんうちに記録しとこ思て」
家を出てからのことを回想し、印象に残っている出来事を取りとめもなく書き連ねていく。時々目を閉じては記憶をたどりつつ、しばらくペンを走らせた。
ふと顔を上げると、楓はすでに粥とサラダとチキンを平らげ、バナナをもにゅもにゅと咀嚼しているところだった。
「そんなに食ってだいじょうぶか」
「うるへぇー! 十二時間もありゃジェット機だって直らぁ!」
「そう言いながらゆっくり味わって食うあたり気に入った」
「ありがと」
かなりの量を買ったはずなのに、楓は三十分ほどで総量の半分以上を胃に収めてしまった。
「食ったから寝る」
楓は頭まで布団をかぶり、宣言どおりそのまま寝てしまった。
渚はノートを閉じ、一本残っていたバナナを手に取った。自身も疲れが溜まっているのは確かで、いつ姉のように体調を崩すか知れない。
静かに降り続く雨の音を聞きながら床に就いた。




