第六日 比布・旭川 1/2
「今日も昼から天気崩れるって」
朝の澄んだ空気の中、テントから這い出してきた楓は伸びをしてそう告げた。
「そうか。でもまあ宿決まっとるしな」
一昨日の行程が渚の脳裏に浮かぶ。キャンプするか宿を取るか直前まで決めかねており、結局一風変わった宿に泊まることとなった。それにより多くの人と交流を持てたのは喜ばしいことだが、ずっと神経が張り詰めて疲弊したのも確かだ。
だが今日は違う。姉と相部屋とは言え個室で、かつ清潔な寝具で体を休めることができる。寝床が決まっているか否かで、気の持ちように大きな差が出るということを知った。
二人並んでテントを片付けていたところ、先ほどから楓が何度か鼻を啜り上げているのに気づいた。
「もしかして風邪?」
「いや、花粉症。急性の」
「そんなんあるかいな」
そもそもこの時期に花粉が飛んでいるのだろうか。
「ちょっと体調悪……くはないんやけど、疲れが溜まっとる感じ?」
「だいじょうぶなん?」
「ああ、走るのには支障ないから」
その言葉どおり、楓の運転は後ろから見る限り問題ないようだ。いくつかの町を抜けつつ国道40号をまっすぐ下り、道の駅「羊のまち 侍・しべつ」に立ち寄った。
「うっわ……すごいの停まっとるで」
駐車場には、北海道でもそう見ないような巨大なバイクが鎮座していた。その隣にカブを停めると、さらにその大きさが際立つ。
「デカアァァァァァいッ説明不要!!」
ビッグオフロードだかデュアルパーパスだかアドベンチャーバイクだかいう類いのものだろう。
「ちょっとアンタ横に立ってみ」
「こう?」
シートが渚のみぞおちと変わらないくらいの高さに位置している。
「ぶふっ……」
「なに笑とんねん……そもそもこれ熊用のバイクやろ?」
「熊か大谷用やな」
与太話に盛り上がる二人は、そのとき背後からの声を聞いた。
「どうも、こんにちは」
振り返るとそこには、大谷に匹敵するほど長身のお兄さんが立っていた。このバイクの主であることは確認するまでもない。
「あっ……どうも、こんにちは」
「すいませんどうも」
逃げるように踵を返した二人を引き止めるように、お兄さんは尋ねた。
「そのカブ君たちの?」
「あ、はい」
「そうです」
身長は190をゆうに超えていそうだが、体つきは細身でスラッとしている。向かい合うと、二人の顔の角度は花火か何かを仰ぎ見るときのものになった。
「それいいね、そのでっかいボックス」
ハンターカブのリアボックスを指差して言う。意外にもお兄さんは、自分のバイクより三回りほど小さいカブに興味を示した。
「これって郵便屋さんが使ってるやつじゃない?」
「はい、そうですよ」
楓はお兄さんから視線を外すことなく返した。
「すごいなこれ……あ、容量変えられるんだね。いくらぐらいした?」
「新品だったんで……五万ぐらいだったと思います」
「ほーう高いな。いやでもこれ、ほんと頑丈そうで便利そうで……いいね」
「ええ、丈夫です、確かに……雨もほぼ防げますし」
自分が褒められたかのように頬を緩める楓が、渚にはどうも気に食わない。
「買おっかな……ああ、僕ハンターカブと二台持ちしててね」
「えっ、カブにも乗られるんですか? 窮屈じゃないです?」
長いズボンに包まれた長い脚を上から下まで眺めながら、渚は横から訊いた。
「ハンターカブってステップの位置を調整できるんだよ。だからキツい感じはほとんどないかな」
「へえ……」
目の前のお兄さんがカブに跨っている絵を想像する。シートに深く座っても、両足がべったり着いて膝もかなり曲がるだろう。
「さっきからちょっと思ってたけど、そっちのカブ倒れそうじゃない?」
お兄さんの注意がクロスカブへと移った。
「はい、そのとおりなんです。大荷物載せてるせいかいつもより傾きがキツくなってて……」
長い時間停めるときはセンタースタンドを使うことにしたが、面倒であるのは否めない。
「ネットでも結構言われてるんだよ、クロスカブのサイドスタンドが短いって問題は。で……ちょっと見てほしいんだけど」
お兄さんはスマホを開き、自分のハンターカブの写真を表示させた。
「えっ……これどうなってるんですか?」
駐車されたごく普通のカブ――と思いきや、車体からサイドスタンドが二本伸びている。
「こっちが後付けのスタンドで、フレームにボルトで装着してんだ。これなら荷物どっさり積んでもわりと安定して停められる。多分クロスカブ用のもあるんじゃないかな」
「おお……こんなものが」
スタンドを増設するという発想自体、これまでまったく浮かばなかった。
「ありがとうございます、勉強になりました」
渚が頭を下げるとお兄さんは口元を綻ばせ、名刺サイズの紙片を二枚取り出した。
「僕この近くでアイスクリームの店やっててね」
「あ、ありがとうございます」
二人は謹んでそのカードを受け取った。赤い地に「ICECREAM LIFE」という文字が躍り、白いアイスのイラストが添えられている。
「こっから北に三十分ぐらいなんだけど、もしよければ」
「あっ……あいにくなんですけど、僕らこれから南へ行くんです」
「そっか……うん、そういうことなら」
お兄さんはヘルメットをかぶり、グローブを着けた。
「じゃあ僕はこれで。気をつけてね」
「あ、はいどうも」
「お兄さんもお気をつけて」
巨大なマシンに跨るお兄さんを見送る。
「いやあ、バイクもお兄さんもすごかったな」
「どうする? 往復一時間やって」
これから走る道沿いに店があるのならもちろん訪問するところだが、来た道を戻るとなると話は変わってくる。
「んー、とりあえずジンギスカン買うてくるわ」
ここに寄った本来の目的は、売店のジンギスカン唐揚げだった。二人分の唐揚げを購入した渚は、ベンチで待つ姉の元へ歩み寄る。
「向こうでクワガタムシ売ってたで……姉貴?」
先ほどまで普通に座っていたはずの楓は、ベンチに上半身を横たえている。
「クワガタか……あんまり食えるとこなさそうやな」
声をかけられてすぐ、何事もなかったかのように身を起こした。
「食用ちゃうわ。んなことより、やっぱしんどいん?」
隣に腰を下ろした渚の質問には答えず、姉は唐揚げへと手を伸ばす。
「これがジンギスカンか。旨そうやな」
「結構油っこいで。控えめにしとき」
姉の体調がどの程度なのか見極めようと、その顔をじっくり観察する。
「あー、沁みる」
幸せそうな表情で唐揚げを頬張っている。目元が腫れぼったくなっているような気もするが、普段から顔を凝視することなどない渚には判断がつきかねた。
弟の進言に耳を貸さず一人前のジンギスカンを平らげた楓に、渚は改めて尋ねる。
「どんなもんなん、体は」
「んー、休みたいような気もするけど、今から宿行くんももったいないしなぁ」
「そもそもまだチェックインできんやろ」
楓は「せやなー」とこぼしつつ、唐突に体を預けてきた。
「渚が膝枕してくれたら、すぐ治っちゃうかも~」
「……何言ってんだこいつ」
いつもとは別の部位のネジが外れているようで、渚は恐怖と不安が交錯した心持ちで姉の両肩を受け止める。どこかに異変が起こっているのは確実だと悟り、背負っていたリュックをベンチに置いた。そこへ姉の頭を誘導してやる。
「今からマイナス二十度のとこ行くんやろ?」
朱の差した顔で尋ねる楓。
この日は少し東へ走り、「北海道アイスパビリオン」なるところへ足を伸ばす予定だった。真夏でもマイナス二十度の氷の世界を体験できるという、全国的にも珍しいテーマパークである。
「さすがに無理やろ、そんな具合やったら」
「解熱にはちょうどええんちゃう?」
「その状態で行ったら館内で凍死すんで」
「それもありかもな。ほかのお客さんが『すごいなー、こんなとこに人間樹氷の展示あるやん』みたいな」
アホなことを言う余裕があるからだいじょうぶかとも考えたが、姉は何故か体調が悪いときほど妄言のキレが増すのを思い出した。
「……ちょっと寝てもええ?」
「ええけど半開きの目ぇちゃんと閉じて」
白目ののぞく瞳を閉じた楓は、間もなくゆっくりとした寝息を立て始めた。渚はグーグルマップを開き、予約した宿までの所要時間を調べる。一時間少々と出た。
(早よ行ってもアレやし、ここらでゆっくりしていこ……)
渚も目を閉じ、薄曇りの空の下でしばし夢と現の間をさまよった。
ハッと気づいたときには十五分ほどが経過していた。
「結構回復したわ」
起きていた楓はスッキリした顔で立ち上がる。
「ほな行こか」
「こっからは俺が先行するわ」
「構わんよ」
士別を出ると和寒、さらに比布とユニークな地名が続く。
「何やねんピップて……エレキバンか」
「比布、ぴっぷ……あっ」
路肩にカブを停めた楓はスマホをいじりだした。渚も少し先で停止する。
「どうしたんいきなり」
「なあ、もうちょっと行ったら比布駅があるから、そこ寄らへん?」
「俺はええけど……姉貴は?」
「だいじょうぶ、ほぼ通り道やから。小休止も兼ねて」
JR比布駅はこぢんまりとした無人駅だったが、なかなかに見応えのあるところだった。
「えっ、これが樹木杞希林!?」
「一個多いで」
駅舎の前には、昔のピップエレキバンのCMから切り出したと思われる、顔はめパネルが設置されていた。駅のホームで撮られたのだろうか、「ぴっぷ」と書かれた看板の前で、若き日の樹木希林と会長らしい老紳士が良い笑顔を浮かべている。
駅舎に入り展示されている資料に目を通した。昭和五十四年、旅行中の大学生がこの「ぴっぷ」駅を発見した。彼らは何故かエレキバンのCMをここに誘致しようと運動を始め、ついにはCMのロケが行われた。それを見た人々が連日この比布駅に詰めかけ、入場券が千枚売れた日もあった――。
「何じゃそりゃ」
「ピップ株式会社自体は大阪にあるんやて」
「じゃあ会社名とここの地名が偶然同じやったってこと?」
樹木希林とピップ会長のサインを眺め、二人は駅をあとにした。




