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第五日 宗谷岬・エサヌカ線 1/3


 カーテンの隙間から差し込む朝日が、床の一部を細長く切り取っている。前日の夜とは異なり屋根も壁もあったのだが、それでも朝方は少々冷え込んだ。さすがは最北の街である。

 上段のベッドに頭をぶつけないよう、ゆっくりと起き上がった。

「おはよ」

 声を掛けてきた楓は隣のベッドに寝転がっていたが、すでに髪も服も整えている。トイレに向かおうとすると、昨晩右隣に座っていたおっちゃんと目が合った。渚は反射的に少し頭を下げつつ声をかける。

「おはようございます」

「おはよーう」

 おっちゃんは手元で何らかの作業をしながら、間伸びした声で挨拶を返してくれた。始めは何をしているのかわからなかったが、よく見ると寝袋を丸めているところだった。

「寝袋ですか?」

「うん。ライダーハウスだと、こんなふうに布団の上で自分の寝袋使うって人も多いよ」

「はー、なるほど」

 そういうやり方があったとは。辺りを見回すと、今眠っている人も確かに寝袋を使っている。これも先人の知恵というやつだろうか。


「ではお先に失礼」

 一通りの支度を終え、近くのベッドで荷物をまとめている兄さんに声を掛けた。

「はーい、お気をつけて」

 数名は遅くまで飲んでいたのか、未だにベッドで寝息を立てていた。

「えーと、まずどこに行くんやっけ?」

 昨日から濡れたままのグローブを着けながら、楓に確認する。

「最初は北防波堤ドームやな。国道出て左折」

 昨日まではほとんど姉主導で、渚の方から次の行き先を尋ねることもあまりなかったのだが、今朝はどうも様子が違う。やはりどことなく口数が少ない。

(まあ寝る前のあれやろな……)

 渚は昨夜姉と交わした会話を思い返す。アルコールで記憶が飛んでいればよかったものを、厄介なことにはっきりと覚えていた。

(なんであんなこと……)

「渚……渚!」

「なんぞい!」

 二度呼ばれないと反応できなかったことに自分で驚きながら、渚は返事をする。

「ぞいって何やねん……顎ひも、忘れとるで」

「おう……すまん」

 渚は手早く顎ひもを結び、走り出した姉のあとに続いた。


 稚内駅を過ぎたところで、巨大な建造物が目に入った。

「あれが……防波堤?」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

〇稚内港北防波堤ドーム

昭和初期に建設された防波堤。

夜はライトアップされ、これまた一見の価値あり。

北海道遺産に選定されている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 渚の記憶にある防波堤とは似ても似つかない。本来はもっと無骨で直線的なものではないか。ついついその方向へと吸い寄せられる視線を、渚は意識して周囲の車へと戻す。

 交差点を曲がりそれに近づいたとき、渚は再び驚かされた。まっすぐな道路沿いにそれは建っているのだが、太い柱と屋根が向こうまで延々と続いている。

「えっ!? 何メートルあんのこれ」

「四百ちょいらしいわ」

 とりあえず端まで走ってみる。海側から陸側へ向かい緩やかな弧を描いた壁はそのまま天井となり、見事なドームを形作る。丸い電球が等間隔で設けられた柱は頑丈さと優美さをあわせ持ち、長大なドームを支えている。全体的に、ギリシャかローマあたりの遺跡にありそうな意匠だ。要は無駄に洗練されているのである。

「フォルムだけ見たらあれにも似てるな……山道に時々あるやつ」

「洞門とかロックシェッドとかいうあれやろ」

 四百メートルを走りきった二人はカブから降り、回廊の中をゆっくり歩いた。

「昨日ここでテント張ればと今思ってんけど、やっぱキャンプ禁止やな」

「居心地良さそうやのに」


 少し戻り道の駅「わっかない」にカブを停めた。

「やっぱ気温上がっとるな」

「もうちょい南へ行ったら、今度は暑さとの闘いになるやろな」

 カレンダー・時計・気温計を兼ねたような電光掲示板を横目に、二人は建物へと足を進める。

「JRの駅と同じ敷地内にあるんか」

 ここの道の駅・鉄道駅・バスターミナル・映画館すべてが最北端のものらしい。とりあえず鉄道駅へ入ったところ、改札口のモニターに出ている列車の案内が目に留まった。

「えっ……?」

 先発と次発の二本が表示されていたが、その間が三時間以上開いている。

「駅自体は結構立派やけど……」

 壁の時刻表を確認する。

「おおう……」

 列車は一日に七本だった。

「有名な観光地やのにな……」

「宗谷岬まで延伸したらもうちょい旅行者も使うんちゃうか」


 道の駅から海沿いに走ること五十分、とうとう宗谷岬へたどり着いた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

〇宗谷岬

言わずと知れた日本最北端。

間宮海峡を発見した探検家、間宮林蔵の像が立っている。

一帯にある灯台・公衆トイレ・神社・郵便局・ポスト・バス停・飲食店等々すべてが最北端のもの。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「とうとう来たな……」

 駐車場の一角には、大荷物を積み津々浦々のナンバーを付けたバイクがずらりと並んでいた。

「日本最北端の地」と銘打たれたオブジェの前には、記念撮影の順番を待つ人が列をなしている。その最後尾についた二人は、目の前に広がる海をぼんやりと眺めた。

「あれ? こっから樺太が見えるはずちゃうかったっけ」

「えっ……ああ、確かに」

 二人してスマホを開く。

「方角としてはほぼ正面のはずやけど」

 写真を撮り終えたのち、まだ見ぬ樺太の姿を求めて辺りをうろついた。考えてみれば、本土にいながらにして肉眼でよその国を拝める機会など、そうそうあるものではない。

「やっぱ見えへんことない? 雲が遮っとんか?」

 天気は回復したのだが、北の空には雲とも(もや)ともつかぬものがうっすらと漂っている。

「うーん……もしかしてあれがそうなんかな」

 渚は目を凝らして呟いた。

「えっ、どれ?」

「すでに見えとる……緑と黒の中間のみたいな色で、平べったいのが水平線に……ほら、ぼやーっと」

「んんー? ……いや、何も見えへんで」

「姉貴、視力なんぼ?」

「1.0。アンタは?」

「1.2」

「コンマ二の差か……」

 樺太とも靄とも蜃気楼ともつかぬものの写真を撮り、心に(つか)えを残したまま二人は踵を返す。そのとき駐車場へ入ってきた一人のバイク乗りが、姉弟へ向かって片手を上げた。今朝さつき湯の駐車場で、同じホンダのトリコロールを見た気がする。ヘルメットを取ったそのライダーは、昨夜渚の右隣に座っていたおっちゃんだった。

「どうも、昨夜はお疲れさまでした」

「お疲れー。もしかしたら昨日のメンツが誰かいるかなと思ったんだけど、やっぱりいたね」

「えっ?」

網走(あばしり)方面へ向かう人はたいていここに寄るからね。やっぱりこういう田舎だったら、右へ行くか左へ行くかの二択みたいな場合が多いから……それで今みたいに再会する、みたいな」

「なるほどなるほど」

 おっちゃんの話に耳を傾けつつ、渚は背後の気配を探っていた。やはり楓は会話に加わろうとせず、沈黙を貫いている。家に帰るまでこうなのだろうか、と心の片隅で思ったとき、控えめな姉の声が聞こえた。

「あの……樺太ってこっから見えんときもあるんですかね?」

「ああ、今日みたいな天気でも見えないときは見えないよ。一口に晴れっていってもピンキリだし。あと向こうの天気も関係あるらしいよ」

「向こう?」

 昨夜とはうってかわり、楓は相槌を打って相手の話を引き出そうとしている。

「樺太側で雨降ってたり風強かったりすると、ここが晴れてても見えないとか何とか」

「なるほど……樺太の天気は盲点でした」

 今日見られなかったのは残念だが、それ相応の理由があるとわかっただけでも得るものはあった。

「お姉さん。昨日は早くに席立ってたみたいだけど、だいじょうぶ?」

「あ、はい。よく寝たら治りましたんで」

「それはよかった。じゃあ二人とも、お気をつけて」

「「お気をつけて」」

 おっちゃんと別れ国道を横断する。

 楓が会話に加わってきたのは予想外だったが、昨夜の態度を改めようとしているのだとしたら、それは良い傾向だ。当の楓は澄ました顔をしていたが、周囲に人がいないことを確認すると、またも顎をしゃくらせ猪木になった。

「何やねんその顔は」

 しかもサムズアップまで付いている。渚の中では様々な想いが錯綜していたが、突き出された顎が気に食わず、軽く蹴りを入れておいた。


 カブで来ればよかったと早々に後悔した。二人は駐車場へカブを置いたまま、岬とは逆方向の丘へ登っていた。その坂道は岬から見ていたよりもずいぶん長いものだった。無駄に疲労するのは避けたいというのももちろんだが、まだ午前中だというのに汗をかいてしまうのが気に入らない。

 振り返ると、先ほど写真を撮ったオブジェや駐車場のバイクがかなり小さくなっている。

「やっぱこっからでも見えへんな」

 当たり障りのないことを口にしながら、渚は考える。昨晩の姉との込み入った話が不意に中断され、結局今までその話題には触れていない。いくら身内とはいえ、相当デリケートなところにまで踏み込んでしまった。もうこの件については言及しない方がいいのかと渚が思い始めたとき、楓は静かに口を開いた。

「渚、昨日のことやけど……」

 丘の上は短い芝生が広がる高台のようになっており、楓は人の集まっている海側を避けて奥へと歩きだした。

「確かにウチが悪かったわ。でも昨日はほんまに疲れとったんよ。体力もやけど、それ以上に気力が尽きててな。まあでも、ウチなりにゆっくり改善していく所存ですので……何卒ご容赦いただけると幸いです」

「何でビジネス文書みたいになっとんねん」

 雨の中を走り、予定していたキャンプが叶わず急遽宿を取り、しかも大部屋で一晩ともに過ごす宿泊者の大半が男だった。諸々の事情を考慮すると、あの時点で身も心も疲弊しきっていても無理はなかった。

「いや、俺かて姉貴の金でここまで来ときながら、いろいろ言いすぎて……すまんかった」

 楓は渚がやったように軽い蹴りを入れた。これでおあいこということだろうか。

「ま、今日のノルマはさっきので達成したからな! えらい気楽やわ」

「あれで終わりかい!」

 だが楓が自分から会話に加わろうとしたのは事実であり、一歩前進と言えなくもない。

「そのノリと図々しさで普段から通したらええんちゃうの?」

 渚は片方の口角を吊り上げながら言った。半分冗談だが、もう半分は優しさだ。

「は? そんなんしたらアンタ以外全員ドン引きやんけ」

「俺も時々引いとるけどな」



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