手柄は奪われ、罪だけが残った
布に触れた指先が、震えていた。
甘い金属臭が喉の奥まで染みる。《構造看破》の視界では、布の下の構造線が脈打つように明滅している。情報量が多すぎて視界の端がちらつき、頭の奥が熱い。
神話級。数えるほどしかない等級。
それが今、俺の指先の下にある。
俺はゆっくりと布の端を持ち上げかけた。
「朔、待って」
天城の声が背後から飛んだ。
指が止まる。声の温度が変わっていた。さっきまでの配信用の柔らかさじゃない。低く、近い。
天城が横に立つ。肩に手を置く。親指が鎖骨の内側に食い込んでいる。
「運営から連絡あった。神話級相当の可能性がある場合、映像公開は即時停止。――知ってるだろ?」
知っている。配信は止めさせられる。だが――発見ログは別だ。
「ログはもう走ってる」
俺が言うと、天城は一瞬だけ目を細めた。
「……うん。知ってる」
早すぎる。俺が回したのは、ついさっきだ。なのに「知ってる」。
――誰かが、もう確認している。
天城はカメラに向けて、配信用の困り顔を作った。
「みんな、ごめん。運営からストップかかった。神話級の可能性があるって」
コメントが爆発する。
> 「は???」
> 「神話級確定じゃん!!」
> 「ここで切るの最悪すぎ」
> 「運営クソ」
> 「いや規約だろ仕方ない」
> 「続報はよ」
同接が跳ねる。数字が伸びていく。
天城は、その数字を見ていた。
俺には分かる。天城迅は、同接の増減を心拍みたいに感じ取る。数字が自分の手の中にある時は笑う。数字が自分以外の要因で動いた時、目の奥に別の色が差す。
今、そこに浮かんでいるのは焦りだ。
この数字の主語は、天城迅じゃない。
「じゃ、配信止めるね。――続きは必ず報告する。約束」
天城が手を振る。
「切って」
赤いランプが消えた。
その瞬間、空気が入れ替わった。
演出が剥がれ、立ち位置が“上下”に戻る。
天城は笑顔を脱いだ。残ったのは冷たい目だけだ。
「……朔。手、離せ」
俺の手はまだ布の端にある。離す理由がない。
「離す理由がない」
天城の口角がわずかに痙攣した。三年間、言うことを聞いてきた鑑定士が、初めて逆らった――その事実をまだ処理しきれていない顔。
「……へえ。反抗するんだ。お前が」
その声に、喜びが混ざっていた。
“処分する理由ができた”という喜び。
天城のインカムが鳴った。
「――あー。来たか」
待っていたみたいな言い方だった。
丁寧すぎる声が漏れる。白石玲吾。運営窓口。
「規約に基づき、当該遺物の映像公開を直ちに停止してください。対象は“神話級相当”の可能性が高いと判定されました」
配信はもう止まっている。これは合図だ。“処理”の開始。
天城が即答する。
「もう切った。現場は俺が押さえてる」
別の声が重なった。郡司皓介。資金とスポンサーの担当。
「鳴海くんのログ、確認しました」
心臓が一拍だけ止まった。
早すぎる。
準備していたのだ。俺が何かを見つけた時の“手順”を。
郡司は淡々と続ける。
「未登録区画への無許可アクセスと、停止指示前の独断開示行為。規約違反にできる材料は揃いますね」
白石が引き継ぐ。
「規約に基づき、当該ログは監査対象として凍結します。発見者権限は監査完了まで保留」
凍結。保留。
俺が刻んだはずの事実が、言葉だけで削られていく。
「……何の権限で」
白石は、丁寧に答えた。
「規約です。あなたが同意した規約」
郡司が追い打ちする。
「探索者契約の“運営裁定権”です。……今さら読んでも変わりませんが」
三年前、トップギルドの誘いに舞い上がって、読まなかった条文が、今、首を絞めに来ている。
天城が正面に立つ。
「朔。状況、分かる?」
分かっている。分かりたくないだけだ。
「お前の発見ログは凍結。遺物は運営預かり。で、お前には“規約違反の疑い”が残る」
天城は淡々と指を折った。
「つまり、お前がここで大人しくしてれば――何も起きない」
大人しく。
つまり、発見者は天城迅で受け入れろ、という意味だ。
いつもは耐えられた。
でも今回は神話級だ。
「……嫌だ」
声が出ていた。
「嫌だ。発見者は、俺だ」
天城は一瞬黙って、それから温度のない笑いを漏らした。
「お前さ。立場、分かってる?」
距離が詰まる。囁きなのに圧が違う。
「鑑定士だろ。鑑定だけしてりゃいいんだよ」
聞いたことがある台詞。何十回も。
だから今回は、言い返した。
「じゃあ鑑定結果を言う。神話級だ。発見者は鳴海朔。ログは通っていた。――鑑定士として、これ以上正確な仕事はない」
石室が静かになる。
小春が息を吸った。
「迅くん、朔くんの言う通りだよ。ログは――」
「小春」
天城が名前だけを言った。
それだけで、小春の言葉が途切れた。
それでも小春は、もう一度口を開く。
「違う。朔くんは、ちゃんと手順を――」
「小春。お前、スポンサーの顔に泥塗る気?」
郡司の声が、柔らかく刃を落とす。
小春の唇が動いた。音にならなかった。拳が白くなる。
俺は、その沈黙を責められない。
看板の人間は、ここで全てを賭けられない。
天城が俺を見る。
「……な。もう終わりだろ」
そして、心臓の上を指で突いた。
「“機密情報の外部売却未遂”。それでいくから」
言葉が胃に落ちるまでに、三秒かかった。
「……何、言って」
「ログを回したのも、発見者権限を確保して転売するため――そういう筋書き」
天城の声は事務的だった。“処理”の声。
「ふざけるな」
声が荒くなった瞬間、天城の口角が上がる。
――怒らせた。よし。
天城が周囲に投げる。証人を作る。
「見ろよ。こいつ今、何しようとした? 神話級が出た途端にログ回して、止めたら怒鳴った。どう見える?」
カメラマンが曖昧に頷いた。
「まあ……冷静じゃなかったですね」
郡司が言う。
「“外部との接触履歴”は、こちらで作れます」
白石が続く。
「機密売却未遂は即時ライセンス停止の対象です。……本人が認めれば、穏便に処理できますが」
穏便。認めれば。
やっていないことを、やったと言え――そう言っている。
俺は天城を見る。
「天城。俺は、何もしていない」
「知ってるよ」
天城は、あっさり言った。
知っていて、やる。事実は最初から関係ない。
天城が布に手をかけ、遺物を抱えた。
「俺がこれ預かる。運営に提出する。お前は――別行動。ここで待て」
「待て?」
「監査対象だろ。仲間と一緒に帰すわけにいかない。運営の指示だ」
白石が追い打つ。
「当該アカウントは帰還後に事情聴取。それまで配信機材への接触は禁止です」
郡司が付け足す。
「探索者ライセンスも今日中に提出してください。――念のため」
胸が冷える。
胸ポケットの“同期ログ”に触れた。鑑定のバックアップとして回していた音声記録。
ランプが消えている。
さっきまで点いていた。
今は消えている。
管理者権限で、閉じられた。
証拠が一つ、消えた。
天城が階段を上り始める。カメラマンが続く。
小春が最後まで残っていた。唇が何かの形を作りかけて崩れる。
「……ごめん」
かすれた声。
「ごめん、朔くん」
俺は何も言えなかった。
許すほど鈍くない。責めるほど強くもない。
小春の足音が遠ざかる。
石室に、俺だけが残った。
台座は空だ。布もない。遺物もない。
神話級の匂いだけが薄く漂っている。
そしてもうすぐ、配信が再開される。
俺の名前が、最悪の形で二万七千人の前に出る。
逃げ場はない。証拠もない。味方もいない。
俺は、消えたランプを握りしめたまま、動けなかった。




