不遇職【遺物鑑定士】、神話級を引く
同接は、二万を越えていた。
エクレールの平均が三万。今日は中層だから、まあ妥当な数字だ。
画面の端に流れるコメントは、歓声と罵声が混ざった白い雪崩。
その中心にいるのは、俺じゃない。
――日本トップギルド《エクレール》のリーダー、天城迅。
「よし、今日も予定通りいくよ。みんな、見てて」
爽やかな声。完璧な笑顔。肩に掛けたカメラが胸元のロゴを映す。
“正義の攻略者”。その看板だけで人が集まり、金が降る。
俺はその少し後ろ、ライトの当たらない位置で、黙って歩いていた。
天城の剣の柄が、青白く脈打っている。循環紋章。スポンサーが週一で更新をかける魔力付与の証だ。紋章が光っている間だけ、装備は本来の性能を出す。止まれば、ただの鉄に戻る。
エクレールの装備は全部これだ。買い切りじゃない。レンタル。魔力のサブスクリプション。紋章が消えた装備でダンジョンに入る探索者はいない。だからスポンサーの機嫌を損ねた人間は、装備ごと死ぬ。
俺の鑑定用ルーペには紋章がない。鑑定士の道具にスポンサーはつかない。映えないから。
鑑定士は、映えない。
映えない役は、映らない。
映らない人間は、いないのと同じだ。
だから俺の仕事はいつも同じだ。拾ったものを計測して、価値を言い当てて、黙って渡す。
褒められることはない。間違えたら、地獄。
当てても「ふーん」。外したら「使えない」。
その繰り返しを、もう三年やっている。
ふと、自分の数値を確認する癖が出た。
変わらない数字を見ると、逆に落ち着く。壊れていないことだけが、俺の証明だから。
```
Name: 鳴海 朔
Job: 遺物鑑定士(Artifact Appraiser)
Lv: 15
HP 312/312
MP 540/540
STR 14
DEX 22
VIT 18
INT 41
WIS 44
LUK 12
Unique Skills:
・構造看破(Structure Sight)
・価値算出(Valuation)
```
INT41。WIS44。鑑定に特化した脳だけが取り柄の、戦えない探索者。
剣も振れない。盾も持てない。
ダンジョンの中で、最も軽く見られる職業。
――遺物鑑定士。
それが、俺だ。
「朔くん、足元大丈夫?」
速水小春が、俺の横に並んだ。
エクレールの人気配信者。暗いダンジョンの中でも、彼女の周りだけ照度が一段上がったみたいに見える。
「大丈夫。いつも通り」
短く返すと、小春は少しだけ眉を下げた。
心配する表情。でも、その心配は途中で止まる。
止めるのは――天城だ。
「小春、カメラ見て。ほら、分岐だ」
「うん、分かった!」
小春はすぐ、配信者の顔に戻って前へ出る。
二歩目で、一度だけ振り返った。口が何か言いかけて、でも音にならなかった。
そのまま前を向いて、天城の隣に収まる。
置いていかれるのは俺だけだ。
慣れている。慣れたことが、少し痛い。
今日のダンジョンは、都心型《霞門》の中層。
企業案件らしく、機材がいつもより豪華だった。
(……音、クリアすぎるな)
俺は思うだけで口には出さない。
余計なことを言うと、叱られる。
角を曲がる。薄い霧の向こうに、鉱石みたいな結晶が光っている。
壁面に埋まる“遺物片”。拾えば小金になる程度のやつだ。
「はい、ここ小銭ポイント。朔、鑑定」
天城が、軽く顎をしゃくって言う。
配信用の、丁寧に加工された雑さ。
俺はしゃがみ、結晶片に指先を添えた。
視界が切り替わる。
世界が、解体図みたいに分解されて見える。色が消え、構造だけが残る。
亀裂の走り方、魔力の流れ、封印の残骸。
それらが一瞬で数値に変換され、脳の奥に焼きつく。
《構造看破》。
この瞬間だけ、俺は誰にも負けていないと思える。
「中級の魔力結晶。純度は……六八。市場価格、一本二万前後」
「ほら見て、うちの鑑定。便利でしょ?」
天城が笑う。コメントが流れる。
> 「鑑定早w」
> 「でも戦闘できないの草」
> 「エクレールの鑑定士、置物じゃん」
> 「迅くんがいればいい」
便利。置物。
どっちも、俺の名前じゃない。
俺は結晶を袋に入れて、無言で天城に渡した。
天城は受け取って、カメラに見せてから背中のポーチに放り込む。
「ありがとう」はない。いつも通りだ。
「よし。次、ボス部屋いこ」
天城が歩き出す。パーティが動く。
俺も立ち上がって――
その時だった。
《構造看破》の視界が、まだ閉じていなかった。
鑑定後、数秒だけ残像のように構造線が残ることがある。普段は消えるのを待つ。
でも今日は違った。
壁の奥に、一本だけ異質な線が走っている。
中層の地質構造とは明らかに違う、古い、深い、太い線。
(……何だ、これ)
足が止まった。
視界を集中させる。解体図の精度を上げる。MPが微かに減る感覚。
線の先に、空間がある。
封印された空間。しかも――荒らされていない。
心臓が一度だけ跳ねた。
指先が冷たくなる。口の中が乾く。
――これは、大きい。
でも顔は変えない。
変えたら、気づかれる。気づかれたら、奪われる。三年間で学んだ一つだけの真理。
「朔?」
小春が気づいた。俺の足が止まったから。
彼女はいつも、俺が止まると気づく。天城は気づかない。
「……ちょっとだけ。確認」
短く言って、壁際に寄る。目立たない程度に、指で石をなぞった。
表面は普通の岩。でも構造看破の視界では、ここだけ色が違う。
封印の継ぎ目。
古い。ダンジョン庁の規格じゃない。
俺は手のひらを壁に押し当てた。
《価値算出》が、壁の向こうの“何か”に反応する。
数値は出ない。封印越しだからだ。
それでも、反応の強さだけで分かる。
振り切れている。
桁が違う。
継ぎ目が、ほどける音がした。
石が、静かにスライドする。
隠し通路。
狭い階段。
下から、冷たい風と――甘い金属臭。
全員が足を止めた。
天城が、振り返る。
「何してんの?」
声の温度が、ほんの少し下がった。
カメラは回っている。だから表情は笑っている。
でも目だけが笑っていない。
「……隠し部屋。未探索の封印が残ってる」
言った瞬間、コメントが跳ねた。
> 「隠し部屋きた!!」
> 「未探索!? 霞門で!?」
> 「神話級ある???」
> 「鑑定士の見せ場w」
> 「迅くんが取る未来しか見えない」
同接が動く。通知を見た人間が流入してくる。
二万二千。二万三千。数字が跳ね始めた。
天城の目が、一瞬だけ細くなった。
“数字が自分以外の要因で動いた”時の目だ。
「へえ。よく見つけたね、朔」
声だけは、優しい。
俺は階段を降りた。
一歩ごとに空気が変わる。温度が下がり、魔力の濃度が上がる。中層の空気じゃない。
構造看破の視界では、壁の組成がまるで別のダンジョンのそれに切り替わっていた。
七段。八段。九段。
部屋は狭い。四畳半ほどの石室。壁面に、見たことのない文様が刻まれている。
その中心に、台座があった。
黒い布に包まれた――“何か”。
布の上に、古い印が押されている。文字ですらない。幾何学模様。
部屋に入った瞬間、俺の《構造看破》が勝手に起動した。
布越しに、中身の構造線が見える。情報量が多すぎて視界がちらつく。
頭の奥がズキリと痛んだ。
背後で足音が増えた。
天城が降りてくる。小春が続く。カメラマンの荒い息。
部屋が、急に狭くなった。
「……へえ」
天城が台座を見て言った。
笑っている。けれど目が台座から離れない。瞬きが来ない。
“笑顔の形をした別の表情”。三年間、ずっと近くで見てきた。
「見つけたの、朔?」
笑顔のまま、天城は俺の肩に手を置いた。
配信映えする「仲間への称賛」のポーズ。
けれど親指が鎖骨の内側に入り込んでいる。押さえつける角度。
“味方”がする触り方じゃない。
俺の指先が、布の端に触れた。
《価値算出》が起動する。
脳の奥で、数値が弾ける。
```
[Relic Scan]
Grade: Mythic(神話級)
Status: Sealed / Owner Unknown
Warning: Disclosure may trigger Contractual Claim
```
神話級。
視界が白く焼けて、一瞬だけ呼吸を忘れた。
神話級は、数えるほどしかない。
そして“発見者”の名前は、一生残る――本来なら。
喉が鳴りそうになるのを、奥歯で噛んで止めた。
落ち着け。呼吸を整えろ。顔を動かすな。
天城の手が、まだ肩にある。親指の圧が、さっきより強くなっている。
「……鑑定結果は?」
声は穏やか。でも「訊いた」じゃない。「命じた」だ。
「……まだ開封してない。封印が強い」
嘘だ。
封印はほどけている。鑑定も終わっている。神話級だと、俺の目はもう見た。
でも言えない。
ここで「神話級です」と言った瞬間、天城が前に出る。
布を剥がして、全国に流れるのは「エクレールのリーダーが神話級を発見」という絵。
俺の名前は、映像の隅にも残らない。
三年間、ずっとそうだった。
俺が見つけて、天城が取る。俺が鑑定して、天城が発表する。
天城の指が、俺の肩にさらに食い込む。
「じゃあ、俺がやるよ。――カメラ、寄って」
同接が跳ねた。
コメントが“神話級”の二文字で埋まっていく。
> 「きたきたきたきた!!」
> 「迅くんが開封!?」
> 「画質上げろ!!」
> 「これ歴史的瞬間じゃね?」
天城が俺の前に出ようとした。
肩の手を支点にして、俺を半歩ずらす。自然で、スムーズで、配信には「位置を入れ替えた」だけにしか映らない。
でも俺は、ずれなかった。
「……その前に」
声が、自分で思ったより低く出た。
天城の手が止まる。
俺は台座に向き直ったまま、言った。
「これは、俺が“発見者”としてログを残す」
ログは、空気より先に事実を刻む。
刻めるうちに刻む。そうしないと、全部“迅が見つけた”になる。
天城の笑顔が、一瞬だけ止まった。
コンマ数秒。コメント欄の誰にも気づかれない長さ。
でも俺には、その沈黙が氷みたいに冷たく伝わった。
「ログ?」
天城が言う。
「なに言ってんの。チームでしょ?」
コメントが割れる。
> 「ログ? 何の話?」
> 「鑑定士が権利主張してて草」
> 「チームなんだから迅くんでよくね?」
> 「いや発見ログは大事だろ」
> 「誰こいつ。名前なんだっけ」
――誰こいつ。
三年間の要約みたいなコメントだった。
俺は息を一つだけ整えた。
(……手順でいく)
ここで引いたら、また三年が始まる。
違う。今回は、桁が違う。
「天城さん。発見ログ、回します。今、ここで」
天城は一瞬だけ俺を見る。
カメラは台座に寄っている。視線だけが画面の外で噛み合った。
その目は、笑っていなかった。値踏みしていた。
そして、笑った。
「……好きにして。早くしなよ」
その声が、やけに優しかった。
――優しい声ほど、危ない。
でも俺は止まれなかった。
布の上に、手を置いたまま。
配信画面の向こうで、二万五千人が同じ瞬間を見守っている。
俺は静かにログシステムを起動した。
視界の端に、記録開始のインジケータが灯る。
名前:鳴海 朔
発見場所:都心型《霞門》中層・未登録区画
対象:封印遺物(等級未公開)
記録が走る。サーバーに刻まれる。消せない文字が、今この瞬間に生まれる。
天城の視線が、俺の背中に刺さっていた。
カメラは回っている。コメントは流れている。二万五千人の目がある。
だから天城は動かない。動けない。
でも――カメラが止まったら?
その想像が頭をよぎった瞬間、指先が一段冷たくなった。
俺は振り返らなかった。
布の端を、ゆっくりとめくる。
甘い金属臭が、濃くなる。
視界の奥で、神話級の構造線が――脈打つように、光った。




