第94章 学園内第二の違反
異変は、朝だった。
鐘はいつも通り鳴り、
講義も、出席確認も、滞りなく始まった。
誰もが――
「もう大丈夫だ」と思いたがっていた。
⸻
最初に気づいたのは、
下級生の教官だった。
「……おかしい」
精霊基礎の演習室。
昨日まで確かにあった結界が、
“外から壊された形跡もなく”消えている。
再展開しようとして、教官は眉をひそめた。
(解除コードは、誰も知らないはずだ)
魔力の流れをなぞる。
乱れはない。
暴走もない。
ただ――
最初から存在しなかったかのように、空白になっている。
「……違反だ」
教官は、即座に報告書を書いた。
だが、その紙を手に取った瞬間、
背後で声がした。
「どうしました?」
振り返ると、
別の助役が立っていた。
穏やかな声。
柔らかい笑顔。
だが、教官はなぜか――
その顔を“初めて見る気がしなかった”。
「いや……結界が」
「結界?」
助役は首を傾げる。
「最初からありませんでしたよ」
「この教室は、簡易管理区域ですから」
「……そんなはずは」
教官は、言葉を失った。
記録を確認する。
確かに、そこには
**“結界未設置”**と記されている。
(……私の、記憶違い?)
違う。
自分は、確かに張った。
だが、それ以上言葉にしようとした瞬間、
胸の奥が、ひどく重くなった。
「……そう、でしたね」
気づけば、そう答えていた。
助役は、にこりと笑った。
「お疲れでしょう」
「最近、忙しかったですから」
そのまま、何事もなかったように去っていく。
教官は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
⸻
同じ頃。
カイオンは、別の棟で足を止めていた。
「……ここもだ」
壁際に刻まれていたはずの
魔力検知用の刻印が、薄れている。
削られたわけでも、壊されたわけでもない。
「消えた……?」
いや。
「“消された”」
彼は、確信した。
しかもこれは、
アデルが使っていた手口とは違う。
もっと――
静かで、慎重で、
“見つかることを前提にしていない”やり方だ。
「……終わってない」
その瞬間、背後から足音がした。
フェリクスだ。
「お前も、気づいたか」
「うん」
「これは……別件だ」
二人は、無言で視線を交わした。
⸻
リュシアは、講義中だった。
だが、集中できない。
空気が、微妙に歪んでいる。
(……この感じ)
境界のときと、似ている。
だが、もっと弱く、
もっと広範囲に、
薄く染み込むような違和感。
ふと、前方の席を見る。
そこに座る生徒が、
ノートを取る手を止めていた。
ぼんやりと、黒板を見つめている。
「……?」
名前が、出てこない。
(あれ……この人、誰だっけ)
リュシアは、息を呑んだ。
いるのに、認識できない。
完全ではない。
だが、確実に“始まっている”。
⸻
昼過ぎ。
校長と副校長のもとに、
複数の報告が一斉に届いた。
・結界の未設置報告と記録の不一致
・刻印の消失
・軽度の記憶混濁を起こした生徒
・使用記録に残らない魔力反応
副校長は、書類を並べ、顔色を変えた。
「……第二の違反です」
「しかも」
校長が、低く言う。
「前回より、洗練されている」
副校長は、唇を噛んだ。
「模倣犯?」
「それとも……」
校長は、ゆっくり首を振った。
「違う」
「これは、“引き継がれている”」
「思想も」
「手法も」
そして、静かに言った。
「……止めたのは、実行者だけだった」
窓の外では、
何も知らない学生たちが行き交っている。
学園は、今日も平穏だ。
だがその裏で、
第二の違反が、確かに始まっていた。
見えない誰かが、
再び学園の規則を踏み越えている。
そしてそれは――
前よりも、巧妙だった。




