第93章 噛み合い始めた歯車
学園の夜は、静かだった。
昼間の騒ぎが嘘のように、
回廊には足音もなく、
灯りだけが等間隔に揺れている。
校長室では、三人が向かい合っていた。
校長。
副校長ミレーヌ。
そして、机の前に立つリュシア。
「――報告は、以上です」
淡々とした声だった。
事実だけを並べ、
推測と感情を、丁寧に切り分けている。
校長は、深く息を吐いた。
「やはり、か……」
副校長が静かに頷く。
「生徒が減っている」
「だが、誰が、いつ、どこへ行ったのか」
「それが、誰にも“分からない”」
「分からないのではなく」
「“分からなくさせられている”」
その言葉に、部屋の空気が一段重くなった。
⸻
校長は、机の引き出しから古い羊皮紙を取り出した。
「これは、学園創設時の記録だ」
広げられた文書には、
びっしりと細かい文字が並んでいる。
「この学園では、過去にも“事故”はあった」
「魔法暴走、研究失敗、記憶障害」
「だがな」
校長は、指で一行をなぞった。
「共通点がある」
リュシアが視線を落とす。
「……必ず、“記録が残っている”」
「そうだ」
副校長が続ける。
「どれほど不都合でも」
「どれほど恥ずべき失敗でも」
「学園は、“空白”を作らない」
「作らないように、作られている」
静寂。
「今回だけが、異常なのです」
リュシアは、はっきりと言った。
「記録があるのに、実体がない」
「実体があった痕跡があるのに、記録が揃いすぎている」
校長は、わずかに目を細めた。
「……誰かが、“帳尻を合わせている”」
「しかも」
副校長の声が低くなる。
「学園の内部構造を、よく知っている者だ」
⸻
その頃。
別の棟では、カイオンが一人、書架の間に立っていた。
積み上げられた帳簿。
履修表。
出席記録。
どれも、完璧だ。
完璧すぎる。
「……やっぱり、おかしい」
彼は小さく呟く。
欠席は、すべて“正当な理由”で処理されている。
転科。
一時休学。
外部研修。
だが。
「同じ週に」
「同じ理由が、こんなに重なる?」
ページをめくる手が、止まる。
「……違う」
「減ってるのは、“人数”じゃない」
「“存在感”だ」
名簿にはいる。
記録にも残る。
だが、誰の記憶にも残らない。
「……記憶操作だけじゃない」
「“周囲の認識”ごと、薄くされている」
背筋に、冷たいものが走った。
⸻
同じ時間。
フェリクスは、窓辺にもたれて夜の中庭を見下ろしていた。
隣には、アイリス。
珍しく、彼女は何も言わない。
「……なあ」
フェリクスが、ぽつりと呟く。
「スパイごっこ、楽しかったか?」
アイリスは、しばらく黙ってから答えた。
「……楽しかった」
「でも」
「途中から」
「“見ちゃいけないもの”を見てる気がした」
フェリクスは、目を伏せる。
「それでいい」
「それが、正常だ」
彼は、拳を握った。
「これ、ただの学園事件じゃない」
「“やり方”が、慣れすぎてる」
「失敗した時の逃げ道まで、用意されてる」
アイリスは、小さく震えた。
「……誰が、そんなことを」
フェリクスは、答えなかった。
代わりに、静かに言う。
「少なくとも」
「“一人”じゃない」
⸻
再び、校長室。
校長は、立ち上がった。
「――よし」
「方向は、見えた」
副校長が頷く。
「禁忌魔法の許可は、まだだが」
「それまで、手はある」
校長は、リュシアをまっすぐに見た。
「君たちの動きがなければ」
「我々は、まだ“平穏”の中にいた」
「感謝する」
リュシアは、少しだけ目を伏せた。
「……まだ、終わっていません」
「ええ」
副校長が、静かに答える。
「だが」
「“何が起きているか分からない”段階は、終わった」
校長は、低く宣言した。
「これは、事故ではない」
「そして」
「学園だけの問題でもない」
夜の学園は、相変わらず静かだった。
だが、その静けさはもう――
安心ではなく、嵐の前の静寂に変わっていた。
歯車は、確かに噛み合い始めている。
次に動くのが誰かは、
もう時間の問題だった。




