第83章 燃え移る怒り
王族専用区画から戻る途中、
リュシアの足取りは乱れていなかった。
息も、脈も、顔色も——
外から見れば、まったく平常。
だがそれは、異常だった。
数刻前まで、
彼女はアデルたちと直接対峙し、
連続して魔法を行使し、
複数人を相手取って動いていた。
魔力の消耗。
精神集中の反動。
身体への負荷。
——普通なら、歩くことすら億劫になる。
それなのに。
リュシアは、何事もなかったかのように歩いている。
(……おかしい)
自分でそう思いながらも、
彼女は歩みを止めなかった。
⸻
フェリクス、カイオン、アイリスは、すでに自室に戻っていた。
三人とも、限界が近かった。
フェリクスは壁にもたれ、肩で息をしている。
魔法行使の反動で、指先がまだ微かに震えていた。
アイリスはベッドに腰を下ろし、膝を抱えている。
隠密だ、尾行だと目を輝かせていた姿はなく、
今はただ、現実の重さに押し潰されそうだった。
カイオンは椅子に座り、俯いたまま動かない。
顔色は青白く、魔力の流れがまだ整っていない。
そこへ——
ノックもなく、リュシアが入ってきた。
「……おかえり」
フェリクスが、掠れた声で言った。
「どうだった?」
リュシアは一瞬だけ視線を伏せ、
それから簡潔に話し始めた。
何が行われていたのか。
誰が、どんな理屈で。
殿下たちの存在が、どう利用されていたのか。
感情を極力排した、報告。
だが。
話が進むにつれ、
部屋の空気が、確実に変わっていく。
⸻
「……ふざけるな」
最初に声を震わせたのは、カイオンだった。
「殿下たちを……」
「“目印”にした?」
「憧れてただけの生徒を……?」
拳が、ぎゅっと握られる。
「学ぶ場所だぞ、ここは……!」
アイリスは唇を噛みしめていた。
「……あたし」
「尾行してる時、変だって思った」
「でも……」
「“そんなはずない”って……」
言葉が、途切れる。
フェリクスは、ゆっくりと顔を上げた。
「……アデルだけじゃないな」
低い声。
「許した大人がいる」
「褒めた教授がいる」
「——止めなかった奴らが、一番罪深い」
その目には、いつもの軽さはなかった。
⸻
沈黙の中で、
三人はようやく気づく。
——リュシアが、まだ立っている。
誰よりも魔法を使い、
誰よりも前線にいたはずなのに。
「……座らないの?」
アイリスが、か細く言った。
リュシアは、少し首を傾げる。
「平気だから」
その一言。
フェリクスは、目を細めた。
(……平気なわけがない)
魔力消費量。
戦闘負荷。
精神集中。
——どれを取っても、限界を超えている。
それでも、立っている。
⸻
カイオンが、ぽつりと言った。
「……怒ってる?」
リュシアは、少し考えてから答えた。
「怒ってるよ」
静かに。
「だから」
「止める」
短い言葉だった。
だが、その瞬間。
三人の中にあった疲労の奥で、
確かな火が灯った。
怒りは、共有された。
もう、
見なかったふりはできない。
学園の夜は、まだ静かだった。
だが確実に——
事態は、次の段階へ進もうとしていた。




